真光やめたら幸せになりました

真光抜けて十数年経ってようやく洗脳が解けました。

ブログをやめたい

色々とトラブルが重なってすっかり精神的に参っていたところでした。

真光そのものは不幸を起こしません。少なくとも私の場合はそうです。
しかし心身が弱っているときはつけこまれることがあります。

「やめてずいぶん経つのに、なんで今でも色々あるんだろう」とうしおさんに愚痴をこぼしました。
このブログを書いてるから真光との接点が消えないのです。
真光に不利なことを書き続けているから攻撃されるんだ。
もういやだ。何事もなく平穏に暮らしたい。

「もうブログやめたい」という言葉が思わず出てしまいました。
あれ? なんだかおかしいぞ?
これは真光が言わせたに違いありません。

ブログやめたいという発言に、うしおさんはショックを受けたようで色々と話し合いました。
「せっかくの人助けだよ」と諭してくれました。

何はともあれ、真光からの「このブログをやめてほしい」という気持ちはしっかり届きました。
つまりそれなりにこのブログは効果があるのかも知れません。

unlearn-mahikari.hateblo.jp
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山の祭り

秋祭り

ここ数年はとある山間部の祭りに毎年行っています。
このときにだけ安くておいしいお米が手に入るからです。
山間部ならではの野菜や川魚なども食べられます。

お互いに顔の分かる地元民しか参加していないようなお祭りなのですが、暇つぶしに見た出し物が案外面白いのです。
地元民しか知らない町おこしソングを歌ったり、MCが内輪ネタのトークをしたり、非常に和気藹々として居心地がよいのです。
年寄は若者を大事にして彼らにイベントや農産業の主導権を渡しています。女性もニコニコと魚を焼いています。

初めてこの祭りに行ったときに、非常に歌のうまいおじさんがいました。演歌や民謡という何の興味も沸かないジャンルなのに、皆が釘付けになるくらいのカリスマ性があります。遠い田舎まで来る理由の三割くらいがこのおじさんです。
このおじさんは残念なことに今年は参加しないようでした。

昼間に氏神様に感謝の奉告をして、夕方からお祭り会場を目指してを運転し始めました。

霊感の必要性

毎年通ると気分の悪くなる場所があり、そこにはカルト宗教施設があります。
「こういう霊感って何のためにあるんだろう。気分が悪くなるだけじゃない?」
とうしおさんに聞くと、
「早めに対策がとれるでしょ」と言いました。
記憶の中ではそこに大きな旗が立っていましたが、一年ぶりに見てみると思ったより遠く離れていて小さかったです。

道沿いに白いのぼりが立ててあります。以前おかげをいただいた神様がこんな山中にも祀られています。
そう言えばこの神様にお礼を申し上げたいことがあったのですが、なかなか遠いので「いつ行けるのかなぁ」と思っていたところでした。

去年もこののぼりを見たはずなのですが、その神様とは気づいていませんでした。
「これはお呼びなのではないか?」と思い行きたくなりました。

迷い道

うしおさんが突然「道が分からなくなったからナビをして」と言いました。
毎年通う道で、あまり迷うようなことはないのですが急に分からなくなったそうです。
この日は曇りで湿度が高く、警戒していました。

地図アプリで調べて道を曲がって行き始めましたが「こんな場所通ったことがないよね」と話をしていったん元の道に戻りました。
神社とお寺が向かい合っていてなんだか境目感がありました。
ナビは道が違うと言いだします。
きちんとピンの立った場所を確認し、目的地があっていることを確認して、地図アプリの通りに行きました。

橋は境目

なんだか雰囲気が暗かったです。ナビをたびたび確認しながら行きました。
「この赤い橋、嫌な感じがするね」
とうしおさんは渡り始めました。おそらくここが境目でしょう。こんな真っ赤な橋を渡って覚えていないのも変な話で、いつもとは違う道を通ったようです。

道のそばに神社の鳥居がありました。
なんと鳥居の笠木(二本の横棒の内、上の方)が欠けているのです。非常に暗くてうしおさんが「あれはやばい」と言いました。どうもこちらが呼んでいたようです。

うしおさんがいったん元の道に戻ろうとしたのも、こちらの道に行きたくなかったからでした。通り過ぎただけなので実害はなく、帰り道に通らないように何号線か覚えておきました。

目的地にはきちんと着きました。
祭りでおいしい魚などを食べ、目的のお米も買えました。
人々の優しさと田舎の風景が心を癒します。

やはり歌のうまいおじさんは出演しないようでした。
となるとさっきのお礼を申し上げたい方の神様が気になります。

スマホで調べたら古くからある神社で、祭りの開始時間が遅いのです。
非常に珍しい神事があり、今のお祭りを十分楽しんでからそちらに行っても間に合います。
「お礼が言えないなあ」と言っていたから機会をくださったのでしょう。歌のうまいおじさんがいないのもそういう流れかも知れません。
そんな話をうしおさんとしました。

現地を後にし、神社に向かいます。
少し遅れるかな? と思いましたがちょうどよい時間に着きました。
そこそこ広さのある境内でしたが、人が多すぎてなかなか前に進めないくらいです。ここは本当に山間部かと思うくらいです。
神社の作りが非常に珍しく、山の中には山の文化があるのだなあと思いました。

謎神事

神社に参拝すると、二人の神職が本殿の中にいらっしゃいました。5分も経たない内に神事が始まりました。
古代の衣装に身を包んだ数十人の行列が、昔のルール通りの不思議な動作をしながら少しずつ進んでいきます。
案外と若者が多く、独特の御輿を担ぐ彼らはとても誇らしげでした。
ここの神様はよいものを見せてくださるのです。
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私の氏神様が主に祭られている神社で、お礼参りをしにきた神様は末社・摂社として勧請されているようです。
朝に氏神様にお参りしたから連絡が行ったのかもしれません。

神様の思し召しかな?と思ったら逆らわず流れに身を任せています。
今のところこれで間違いはありません。
素直が一番ですよ。

母に会いたくない

母と会う予定を入れましたがどうにも気が乗りません。
些細なことが気になったり、そわそわしています。

うしおさんが言うには「そんなに会いたくないというのは、おそらくお母さんの信仰心が前よりも強くなってるからだろう」とのことです。
ますます会うのが嫌になってブルーになります。

母自体は嫌いではないのですが、会った後に必ず体調を崩してしまうのです。
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しかしふっとひらめいたのです。
「真光が私を恐れているのかも知れない」と。
母と会うのが憂鬱になるのは、真光が邪魔して会わせないようにしているからです。私を恐れているからこそ会ってほしくないのです。

考え方を変えると「やってやるぞ」という気持ちになります。

おみくじアドバイス

会う当日の朝に氏神様を参拝しました。
母と会うことを奉告し、おみくじを引くと「押しつけはいけないよ」と書かれていました。
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母と会って他愛もない会話をし、帰ってから体調を崩しました。
やはり先に参拝してよかったです。終わった後では体調が悪くて神社に行くことは出来ません。
事前に参拝していたおかげか、少し休んだらすぐに回復しました。

最初は三日くらいダメージが続いていたので大きな進歩です。
私は失敗しても糧にして成長していきます。
真光が試練を与えてくれるからこそ、私は学習ができるのです。

なんということでしょう。真光には感謝しています。

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真光ビフォア・アフター

真光をやめた後の変化

真光の毒が抜けた私はずいぶんと性格が変わりました。

昔の私は斜に構え、流行や普通を見下す自意識過剰なタイプでした。
真光信者に特有の選民意識ですね。いわゆる中二病です。

今や普通であることの勇気を持っているので、わざと人と違うことをする必要がなくなりました。
要は他人の評価基準に惑わされることが少なくなったのです。
自分の評価軸で好きだと思うものを好きになるのです。

意外と趣味であっても「その趣味そのものが好き」なのではなく、それが趣味だとかっこよく思われるからなど他人の視線を意識して行動することってよくあるんですよ。
例えば「ワインに詳しいとおしゃれと思われる」などです。
今振り返ってやっと気づきました。

素直な人は愛される

本来の私はこんなにも明るくて素直だったのだなあと感慨深いです。
素直すぎて周りの人によく笑われます。考えていることがすべて言動に出るので嘘がつけません。
楽しいときは楽しそうにしますし、つらいときはつらい顔をしています。
すぐに動揺したり感情が出る人って周りから見るとかわいいんですよね。

「ありえない」「無理」「そんなわけない」など、常に否定の言葉を言い続ける人はかわいげがありません。
人の指摘や意見を受け入れないのも嫌われやすいポイントです。

私見ですが、たいした自己も持たず、自分のことが嫌いな人間ほど自分の意見ややり方に固執して、他人を否定します。
自分を変えないことが脆弱な自己を守る手段になってしまうのです。それでは成長がありません。

感謝

感謝することがより自然にできるようになりました。
やはり感謝されて怒り出す人間はいませんので、人からも好感を持たれるようになりました。

真光をやめられていないことに気づいた一年前と比べると、ずいぶんと感謝に満ちた生活をしています。

貯金も増えていませんしパートナーも仕事も何年も環境が変わっていません。
条件が変われば幸せになれるわけではないのです。

幸福とは、今この手の中にあるもので満足できることです。

天津祝詞の元ネタは天津祝詞太祝詞事(アマツノリトフトノリトゴト)

結局天津祝詞とは?

天津祝詞」という言葉自体は神道に存在します。
一般的には「天津祝詞祝詞事(アマツノリトフトノリトゴト)」で一つの言葉として扱われるようです。

延喜祝詞

延喜式」という平安時代10世紀の法令集がありました。刑罰や行政の法律の他、公の祭祀のことも定められています。
その中に祝詞が27編収録されおり、これを延喜祝詞*1と呼びます。

祝詞の中では重要視されており、今も神職の方が日々作成される祝詞の基礎となる文章です。
祝詞って作るものなんですよ。なので事典や文例集が書籍として販売されています。


延喜祝詞式のうち「六月晦大祓(みなづきのつごもりのおほはら)」「鎮火祭(ひしづめのまつり)」「道饗祭(みちあへのまつり)」、伊勢大神宮「六月月次祭(みなづきのつきなみのまつり)」「九月神嘗祭(ながつきのかむにへのまつり)」「中臣(なかとみ)寿詞(よごと)」に「天津祝詞祝詞(アマツノリトフトノリトゴト)」という言葉が出てきます*2*3

天津祝詞の太祝詞事とは

天津祝詞の太祝詞事」とは、「天上から伝わった神聖な荘厳な祝詞の言葉」*4であり、(今読み上げている)大祓詞のことを指します*5*6

天津祝詞祝詞事」の謎

大祓詞は「……天津祝詞の太祝詞事を唱えなさい。このように唱えましたらば……」という変な文章です。
「『天津祝詞祝詞事』を唱えろと書いてあるのに、『天津祝詞祝詞事』そのものが書いてないじゃないか」ということで後世の人が色々考えました。

  1. 「あるけど書いていない」
  2. 「口伝」
  3. 大祓詞そのもの。または一部」

と解釈されています*7

長々と説明しましたが大祓詞の「天津祝詞祝詞事とは何か?」は大きな謎なので基本的には解説があります。

天津祝詞が作成されるまでの過程は調査が完了次第また記事にします。

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*1:延喜式祝詞、式祝詞祝詞式とも言います。

*2:祝詞全評釈P15

祝詞全評釈―延喜式祝詞 中臣寿詞

祝詞全評釈―延喜式祝詞 中臣寿詞

祝詞概説P37
祝詞概説

祝詞概説

*3:正確には少しずつ表記や読みが違います。

*4:祝詞全評釈P244

祝詞全評釈―延喜式祝詞 中臣寿詞

祝詞全評釈―延喜式祝詞 中臣寿詞

*5:昔は「天津祝詞祝詞事」に該当する特別な文句があったと考えて仏教の呪文や作為された文などを挿入して読み上げていた時期があったようです。祝詞全評釈P253

祝詞全評釈―延喜式祝詞 中臣寿詞

祝詞全評釈―延喜式祝詞 中臣寿詞

*6:六月晦大祓であれば「この大祓の詞そのものに外ならない」祝詞全評釈P253。鎮火祭なら「この鎮火祭の祝詞は、皇祖が天孫降臨の時皇孫に授けられた神聖な祝詞であるという意識がある」祝詞全評釈P273。

*7:祝詞必携P46

祝詞必携

祝詞必携

真光の元ネタ:カミムスビ

教典の何かで「カミムスビ」という単語があったような気がします。唱えている当時はまったく意味が分かりませんでした。真光ってあまりこういう唱える呪文の意味を教えてくれない気がします。

元ネタは神道で、古事記では神産巣日神かみむすひのかみ日本書紀では神皇産霊尊かみむすひのみこととお名前が若干違います。

古事記日本書紀で世界の創世を語る一番最初のお話に登場します。

古事記では、神々の世界の高天原たかまのはらに最初に現れたのが天の中心の主の神である天之御中主神あめのみなかぬしのかみ、次に万物を生み出す二柱の神である高御産日神たかむすひのかみと、神産巣日神が出現します。この三柱が造化三神と呼ばれています。

ちなみに日本書紀は同じような話の異説を色々収録しているので、神様の現れる順番や名前や登場するかしないかがちょっとずつ違います。

日本書紀本文で最初に現れるのは国常立尊くにとこたちのみことです。一書(異説)は六番目まであり、第四の一書に更に「また別の伝えでは」の後に天御中主尊あめのみなかぬしのみこと高皇産霊尊たかむすひのみこと神皇産霊尊かみむすひのみことが現れたと紹介しています。

教典は捨てたので手元にありませんが、漢字表記がわかれば古事記日本書紀どちらが元ネタなのか、あるいは混同しているのかが分かると思います。

真光の元ネタ:弥栄

弥栄いやさか

真光では弥栄えを「ヤハエ」と読ませますがユダヤキリスト教の神の名前である「ヤハウェ」とのダジャレです。

キリスト教は世界一信者が多く各エピソードはなんとなく日本人も知っています。私は真光の二世信者だったせいか宗教全般に疎く、「ヤハウェ」という言葉すら知りませんでした。それぐらい無知なのです。

さて弥栄えも神道由来の言葉で祝詞のりとにも使います。

「弥栄えに栄えしめ給へと、かしこみ恐みもまをす」

出典:平成新編祝詞事典増補改訂版 P56

平成新編 祝詞事典 増補改訂版

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