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真光やめたら幸せになりました

真光抜けて十数年経ってようやく洗脳が解けました。

私の感謝:災い転じて福となす。

不幸が起きても、それが単なる不幸のままで終わるとは限りません

人間関係でもめたけど、誤解が解けたし自分の悪いところも反省した。
相手の浮気で大好きな人と別れて、毎日泣いて暮らしていたけれど、よく考えたら暴力は振るうし借金癖のある人だった。
事故に遭って出費は多かったけどケガはなかった。
会社をクビになったけどあくどい商売だったし、転職したらやりがいのある仕事につけた。

「結果的にはよかったな」ということありますよね。

失うことでしか得られないこともあります

病気になって初めて健康のありがたみが分かる。困ったときにいろんな人たちに助けてもらってありがたかった。詐欺被害にあったけど対策を学んだから、他の人にも教えたい。自分が傷つけられたから、傷ついた人の気持ちが分かるようになった。当たり前のことだと思っていたことが実はとてもありがたいことだと気づけた。

自分の短所を改めたり、発見したり、目標ができたり、成長したり。人は不幸になっても、その経験から学び取ることができます。

そうして、「当時は大変だったけど苦労してよかったなぁ」と感謝します。

私はちまちまと真光から攻撃された話を書いています。もちろん私も聖人君子ではありませんので不幸の最中は「イヤだなあ、苦しいなあ」と思います。「もうだめだ」と絶望的な気持ちになったり、大事なうしおさんとの絆にヒビが入ることすらあります。

でも、そのたびにもっともっといいことが起きるのです。

より深くお互いを理解しあって絆が強くなります。ふと「真光の教えの意図って本当はこういうことなんじゃないかな?」と着想を得たりすることもあります。
頭を使って考えるのが大事です。

今回はかなり深い痛苦がありましたが、骨身に堪えたからこそ感謝もできましたし、今この記事を書くことができるのです。

困窮する私を必死に助けてくれた人たちがたくさんいました。彼らは優しく私を受け入れて、気持ちに寄り添い、あるいは確かな技能で疼痛を取り除き、この道の先に光はあると教えてくれました。
とても尊い、美しい心の持ち主たちです。

私は人の善意を、愛を、専門家の知識や技術のすばらしさをこの肉体で覚えることができました。それは大きな痛みを受け入れなければ決して体得することができないものでした。

災い転じて福となす

痛みや苦しみ、出費、悩み、絶望。
真光が与えてくれた苦しみのすべてが、よいものに変わりました。
真光信者だったとき、真光の考えがしみついていたときに、こういう考え方はできませんでした。不幸はただの不幸のままで終わってしまい、そこから何かを悟るということができませんでした。真光がそうさせないように洗脳するからです。
何かを考えようとすると黒い霧に覆われて、言いようのない恐怖を感じて思考が止まりました。

私はもはや真光を攻撃するつもりがありません。その必要がないからです。
もう彼らの攻撃に対して怒りや憎しみを持つ必要がありません。一時的には私を苦しめても、必ず乗り越えて大きなものが得られるからです。

真光にはちょっとだけ感謝しています。回り道はしましたがうしおさんにも出会えました。別人のように運が良くなり、去年ぐらいからいい人にしか出会っていません。
私は人を信じることができます。私は私の悪いところを受け入れました。

すでに真光は、私にとって親戚のおじさんくらいのポジションです。顔を見たらとりあえず説教するけれど、最終的には「がんばれよ」と肩を叩いてお小遣いをくれる人のようなものです。

例えば先日も「このブログのデータが入ってるUSBを水没させろ」とか「ブログ全部削除しろ」などの邪念を感じました。
「デジタルデータとはいつ消えてもおかしくない、はかない情報だ」という事実を思い出してバックアップを三重に取りました。そんなもんです。

転んでもただでは起きない

不幸なことはつらくて苦しい「だけ」で終わるとは限りません。そこから得られるものが必ずあります。

痛みや苦しみそのものに感謝するとそこでストップしてしまい、肝心の学びが手に入らなくなるのです。

学ばないようにし向けているのは誰でしょうか?
学ばないことで誰が喜びますか?
それによって苦しむのは誰ですか?

あなたの感謝とは罪悪感を消してくれる罰のことですか?
それとも全身が喜びに満ちるしみじみとしたありがたさのことでしょうか?

あなたの人生は、誰のものですか?

真光式感謝

真光の教えの「痛みに感謝」って変ですよね。マゾヒストじゃあるまいし、痛みや不幸そのものに感謝できるわけがありません。
確信をもって言いますが真光は感謝が大嫌いです。よってそんなきれいな気持ちは信者に持ってほしいわけがありません。

真光が言う感謝とは?

真光は一方的に先祖や前世などの罪を背負わせておいて、「不幸現象(ミソギ)でそれを消してやるのだから感謝しろ」と言います。まるでヤクザの言いがかりではありませんか。

神道における「禊(みそぎ)」とは水で洗い清めること。参拝する前に手を洗い口をすすぐことも簡略化した禊です*1
本殿にお参りしたときは心身の罪穢れを祓うために、神職の方が祓詞(はらえことば)を奏上し、大麻(おおぬさ)*2や塩湯などでお祓いをします*3

禊は死者の国である黄泉の国から帰ってきた伊邪那岐命(いざなきのみこと)が心身についた穢れを祓うために海で禊祓(みそぎはらえ)を行った神話が元になっています。
服を脱ぎ払う祓えと海水に身を浸す禊だそうで、やはり不幸や苦痛で罪を消すという話は出てきません。

なぜ禊祓がミソギハラヒに変わってしまったのでしょうか?

真光が教えるのは、勝手に押しつけた罪の意識につけこんだ偽物の感謝です。真光の意図としては罪悪感を盾にしてノーガードで不幸を味わえということです。

あら不思議。いつの間にか感謝が罪悪感にすり替えられています。カルトはよくすり替えたりねじ曲げたりします。

罪悪感は「罰を受けたい、償って許されたい」という気持ちにつながります。不幸現象で罪悪感を消すことが目的になり、感謝がどこかに消えてしまいましたね。罰を与えられること自体が目的になり、経験から気づくこともなく、学ぶこともできなくなるのです。

痛みに感謝して不幸そのものに注目してしまうと肝心のことに気づけません。「痛い=ありがたい」で思考が止まるのです。よく考え抜かれた教え(罠)だなぁと感心します。

「痛みに感謝」とは、「本当の学びからは目をそらせ」という意味なのです。

当然、自然に感謝がわきあがるような考え方は教えてくれません。そんなものは「真光の神とされるもの」は喜びませんからね。
真光が不幸にこだわるのは、その苦しみの怨嗟が彼らの栄養分になるからです。


神社検定公式テキスト1『神社のいろは』

神社検定公式テキスト1『神社のいろは』

神道の教科書、神社検定

以前から「神道は教典がないなぁ」と思っていました。書店のセンスの問題なんでしょうが、神道の本はなかなかいいのが置いてありません。おみくじに書いてある神の教えぐらいしかないなぁとボヤいておりました。
unlearn-mahikari.hateblo.jp
先日遠出をしたときに大きな本屋に行く機会がありました。「何か神道の本でよいものはないかなぁ」と探しましたが、宗教コーナーに新宗教の書籍はあるのに神道の本がまったくなくてびっくりしました。世界神話とか民族文化扱いなんですね。

そこですばらしいものを見つけました。神社検定(神道文化検定)の公式テキストと申込書です。

www.jinjakentei.jp

神社検定公式テキスト1『神社のいろは』

神社検定公式テキスト1『神社のいろは』

「神社のいろは」は一般向けの神社本よりも踏み込んだ内容となっており、参拝の作法や各神社の由来だけではありません。祭りの種類や意味、本殿での祈願の作法、神棚のお祀りの仕方、神道式の葬式やお墓など、神道文化の基礎が学べる本です。
試験を受けない方であっても読んで損はありません。

神社のいろはで一番衝撃的だったのは仏教の仏壇にあたる御霊舎(みたまや)という祖先の霊をお祀りするものの存在ですね。神道が葬式から排除されたのはなんとなく知っていたのですが、私の頭の中では「仏壇=仏教」なわけで、先祖崇拝は仏教から始まったものと思いこんでいました*1。そりゃあ仏教伝来以前にも先祖崇拝はあるよなあと心を改めました。

神社検定とそのテキストは安心の神社本庁監修!
内容が信頼できますので、検定のテキストというだけではなく神道の教科書と言っていいと思います。

「めんどうくさい話はいいから御利益教えて」的な要望に応える本とか、ゆるふわスピリチュアルなど、カルトに近い神道本とは一線を画しています。

正しい教えを知らなければ真光の洗脳は溶けません

――などとえらそうなことを書いておきながら、私が神道の勉強を始めたのはほんの数日前のことです。
やってみると分りますが、神道の勉強を真光が嫌がっているのを感じます。

真光の初級研修のときから、「既存の宗教では○○と教えてますが(真光では)××が正しいのですよ」と教えられます。これを一つずつ元ネタを探し当て、一歩一歩過ちを正していくのです。
それがこのブログの最初のタイトル案であり、urlにも含まれている「学び直し(unlearn)」です。

私の中に残っている真光の残骸を取り除いて行く作業がようやく始まりました。

昔の私に比べれば、今の私は真光の毒が抜けています。しかしまだ少しばかり残っているのです。
この「あと一押し」というのが、できそうでなかなかできないというのが現状です。

真光にいたのが十年以上。やめてから十数年。
真光をちゃんとやめられていないことに気づいてから、まだ一年も経っていません。どうせすでに長い時間が経過しているのです。焦る必要はありません。

真光が嫌がるのは正しい教えを知ることです。本当の意味で洗脳を解くのにも役に立つはずです。
勉強は面倒くさいものですが、必ずそれは自分の身になります。

神社検定公式テキスト1『神社のいろは』

神社検定公式テキスト1『神社のいろは』

神社検定公式テキスト2『神話のおへそ』

神社検定公式テキスト2『神話のおへそ』

神社検定公式テキスト10神話のおへそ「日本書紀」編

神社検定公式テキスト10神話のおへそ「日本書紀」編

神社検定公式テキスト3『神社のいろは 続(つづき)』 (神社検定公式テキスト 3)

神社検定公式テキスト3『神社のいろは 続(つづき)』 (神社検定公式テキスト 3)

神社検定公式テキスト9  神話のおへそ「古語拾遺」編

神社検定公式テキスト9 神話のおへそ「古語拾遺」編

第5回神社検定問題と解説 平成28年版3級2級1級

第5回神社検定問題と解説 平成28年版3級2級1級

神社検定公式テキスト8『万葉集と神様』

神社検定公式テキスト8『万葉集と神様』

*1:「神社のいろは」138P。

仕事運上昇

どうしてなのかは分からないのですが、ぼんやりとして通勤用のカバンに御朱印帳を入れてしまいました。
「まぁいいか、何か意味があるかもしれないし」と思ってそのときはそのまま忘れて週明けにそのまま出社しました。人生で初めて御朱印帳を職場に持って行きましたね。

その日は胃腸の調子が悪かったので、外宮の御朱印のページを開いて豊受大御神(とようけのおおみかみ)様においしくご飯が食べられますようにとお願いをして無事に食べました。

仕事場でいいことがありまして、うしおさんが「今回は(先月お参りした出世の)神様の存在を感じるなあ。御朱印が連れてきてるのかなぁ」と言い出しました。

「何で分かったの?」
朱印帳を職場に持って行ったことは自分が完全に忘れていたくらいなので、うしおさんには何も言っていません。
こういう何で知ってるんだ系のことがちょいちょい起こるんですが、うしおさんの正体が一番知りたいのは私です。

真光が避けるもの:福祉

「福祉は福を止める」として避けさせようとしますね。生活保護はダメと言う人もいるようです。

生まれつきの障害や、事故などで後天的に障害を負うこともあります。病気などで一時的に働けなくなることもあります。
すべての人間がいつまでもピンピンしているわけではありません。少なくとも老化は誰でもしますよね。

「だからお互い助け合いましょうね」というのが普通の社会です。個人同士が相手を支え合って社会は成立しています。

しかし真光はそれを否定しています。いわば究極の自己責任論ですね。

生まれつきの障害なんて本人に罪も責任もないのですが、真光は前世や先祖の罪を持ち出してましたね。今でもこの手の差別発言はしてるんでしょうか?

でも自己責任で生きていける人なんていませんよね。誰も頼らずに生きていくことはできません。
もしできると思っているならそれは単に無知か傲慢です。

コンビニがあれば生きていける?

商品を生産したり配送したり、レジを打ったり陳列しているのは誰でしょうか。
企画、開発、営業、生産、配送、売買、ゴミの回収。自分以外の誰かが何かをしています。道路や電車があり、蛇口をひねれば水が出る。それを用意してくれたのは誰ですか? 裸で生活していますか? その服を作ったのは誰ですか?

例えば病気を治すのにも医者だけがいればよいわけではありません。研究する人、薬を売る人、病院の設計図を書く人、医学書の誤字脱字をチェックする人、看護師の制服を縫う人、医療器具の安全基準を考える人、食堂のメニューの栄養管理をする人、大学を作る人、補助金の申請書を書く人、離島にヘリを飛ばす人、治験に参加する人、医療事故で亡くなる人、遺体を献体する人、珍しい症例を持つ人、医者が通勤する電車を運転する人……必要な人がたくさんいます。多くの人が務めを果たしてこの世は成り立っています。

感謝しましょう。

カルトの見分け方:勧誘してくる

路上や訪問で勧誘してくる宗教はろくなことがないので避けましょう。目的を隠したり嘘をついて呼び寄せて、実は宗教の勧誘だったなんてのは最悪です。逃げましょう。

断るときに理由を聞かれるかもしれませんね。しかし具体的なことを答えてはいけません。こういうものは緻密に考えられた反論マニュアルが用意されているものです*1。具体的に答えてしまうと一つずつ反論されてやりこめられてしまい、できない理由を潰されてしまいます。

ですから「嫌だから」や「取り立ててやろうとは思わない」と答えれば十分です。好き嫌いに理由なんかありませんからね。
「どうしても理由を言え」としつこく問いつめられた場合は、逆に「何故理由を言わないといけないのか? その理由は?」と尋ねましょう。

そもそもなぜ勧誘するのでしょうか?

勧誘でもしないと人が集まらない宗教だからです。
神様というものは自分で選ぶものではないでしょうか? 神様は神社などに鎮座しておられるものです。こちらから出向いて参拝するのが礼儀でしょう。

頼みもしないのにやってくるのは悪徳な訪問販売くらいのものです。
「幸せは歩いてこない だから歩いていくんだね」
至言ですね。能動的に、自分から動きましょう。

*1:相手はプロです。論争など丸腰で洗車と戦うようなものです

急病につけいる真光:医療否定

急病

私は基本的に健康なのですが、珍しく重病になりました。

その日は症状がひどいのに会社も早退しませんでした。無理をしているつもりはないのですが、健康が逆に災いして労ったり休んだりする習慣がないのです。医療否定で育ったせいもあります。

夜中の痛苦にあえぐ私に、うしおさんが何度も「救急車を呼ぼう」というのを頑固に拒否し続けました。今思えばあれは真光の医療否定ですね。
「医者に行かない、救急車も呼ばない」と言いながらのたうち回る私にうしおさんは困り果ててしまいました。
激痛に窮してついに救急車を呼んだときには、専門病院の受付が終わっていました。あと10分早ければ間に合ったのにというところでした。
「専門科ではないので診察はできない。痛み止めの処方だけになると思うがよいか」と確認されてから救急車をお願いしました。

「こんなことで救急車を呼んでいいのかな」という申し訳ない気持ちで乗りました。救急隊員さんたちは優しく接してくれて、大丈夫ですよと声をかけてくれました。きびきびと働く彼らを見て感謝の思いがあふれ、感極まって泣いてしまいました。24時間体制で夜勤も急な呼び出しもいとわずに働いてくれる人たちのなんと尊いことでしょう。

病院では担当の科の先生はおらず、話は聞いてくれましたが痛み止めだけの処方でした。それでも医者に何かしてもらうと心が安らぐものです。
苦しみが深かった分、医者のありがたみが分かると同時に、どうしようもなくなってエセ医学にたどり着く人の気持ちも少しばかり分かったような気がします。おぼれるものは藁をもつかむ。

真光との闘い

(こんなに弱ったときにはきっと真光がつけいるだろう。こんな大きな隙を見逃すはずがない)
額がムズムズしたり身体が重くなったりしました。単なる病気の苦しみだけではなかったように思います。
病気との苦闘に耐えかねて、「もうダメだ」「一生このままかもしれない」などと悪い考えばかりが思い浮かびました。

うしおさんの献身的な看病にも感謝ができませんでした。身体が思うように動かせずにイライラして、ヒステリックな態度を取りました。普通なら大喧嘩になるはずですが、うしおさんの器が大きいおかげでそうはなりませんでした。うしおさんも当たり散らされて何も思わないわけではありませんが、「一番つらいのはtenさんなんだから」と受け入れてくれました。

何度もいろんな病院に行きました。医者にかかると安心していったん症状が落ち着くのですが、時間が経つとまた悪くなります。
このときはもうひたすら真剣に神棚に祈りました。今までで一番まじめに拝んだものです。

うしおさんとLINEで相談して、ぎりぎり間に合ったので専門科の病院に行きました。処置を受けて家に戻ると、水を飲むのもつらかったのに栄養ゼリーなどが飲めるようになり、一気に回復しました。
大好きなカフェオレを自分で入れることもできました。数日ぶりに人間らしいものを食べられるようになりました。
普通に生きて、食事が取れるというのはありがたいことですね。

真光に戻れ

一方私が病院に行く直前、うしおさんは大変なことになっていました。
「tenさんを(真光信者の)実家に連れてこい」「手かざしすればすぐ治る」という声がすごくて発狂しそうだったそうです。「(狂信者の)妹の顔や真光式の仏壇が見えて、目眩がして尻餅をついた」そうです。
「ああこれは病院に行かせないようにしているんだ」とうしおさんは判断して、私に病院に行くように知らせてきました。

信者の母のことは私の頭にもよぎりましたが、「絶対手かざしで悪化するからやめておこう」とすぐにその考えを捨てました。なのでうしおさんに訴えかけたようです。うしおさんの言うことは素直に聞きますからね。

この声に従って実家――つまり真光の領域に行けば取り返しのつかないことになっていたと思います。
単に悪化するのではなく、むしろ快方に向かった可能性すらあります。ええ、「治って」しまうんですよ。書き間違いではありません。このときは治るんです。
だって真光のこと信じてしまいますよね、そんなことになったら。
実家に入り浸り、窮地をすくった真光に恩義を感じ、母から手かざしを受けるようになるでしょう。いつかは再入信するかもしれません。
……洗脳が完了したらあとは搾取の始まりです。

批判サイトでは「手かざしに気のせい以上の効果はなく、ただのインチキだ」ということしか書かれていないことがあります。
何も効果がない、つまり良くも悪くもならないので害はないというわけです。

真光の神が望むもの

しかし私は手かざしが霊的に有害であると主張します。真光に神はいないのではなく、悪い神がいます。医療否定で病気を悪化させ、長引かせ、痛みと苦しみを増幅して深く味わわせ、金銭と時間と心身の健康、ときには命さえ奪う。
それが真光の望むものです。