真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

新年のご挨拶2019

あけましておめでとうございます。

去年のことを振り返ると、山あり谷ありでしたが実りも多くありました。

真光に対して恨みとか怒りとかは特にないです。
皆さんが真光からの執着から解放されるように、お手伝いが出来ればこれ以上の喜びはありません。

本年もよろしくお願いいたします。

よいお年を

皆様今年はどんな一年でしたか?

大祓式に今年も行ってきました。

式が終わって、神主さんがいいことをお話しされていました。

罪穢れというのは、怠けたとか人の悪口を言ったとか、そういう誰にでも当てはまるようなものごとですよ、というお話です。

思い返せば今年は怒ってばかりでしたね。

ブログには「真光への恨みを捨てよう」などとえらそうに書いていましたが、お恥ずかしい限りです。

罪穢れを神様が吹き上げて流し去って下さいますので、大事なものが見えるようになって、よい年を迎えられるそうですよ。

罪穢れを祓い落としたのが本来の自分なのかなと思うと感慨深い一日でした。


皆様よいお年を!

神社検定申し込み開始

試験合格への第一歩とはなんでしょうか?
それは申込。申し込まないと受けられません。

一般的に、早く受験を申し込む方が合格率が上がります。
気合いという意味もありますが、申し込むとスイッチが入るのでしょう。
www.jinjakentei.jp
毎年試験範囲が変わります。対応のテキストなどは公式サイトで確認してください。

私が受験する予定の壱級はまた日本書紀。これで三年目です。

神社検定公式テキスト?『神話のおへそ『日本書紀』編』

神社検定公式テキスト?『神話のおへそ『日本書紀』編』

古事記も試験範囲なのでどんな問題が出るのか今から楽しみです。

神社検定公式テキスト2『神話のおへそ』

神社検定公式テキスト2『神話のおへそ』

メインは用語集の祭祀編。もう用語集という名前の時点で苦労しそうです。

神社検定公式テキスト?『神社のいろは要語集 祭祀編』

神社検定公式テキスト?『神社のいろは要語集 祭祀編』

弐級でもかなりつらかったので、やりとげられるのか不安はあります。
弐級・壱級の勉強法もつらつらと記事をあげていこうと思います。

肝心の問題集は第1~5回まで完売。
電子書籍もありますし、Amazonにはオンデマンド(ペーパーバック)もありますのでそちらでがんばりましょう。

夢に出る神様

神仏がみそなわす

うしおさんの夢にご祭神様が現れました。
雲の上から皆さんを見守っていたそうです。

秋祭りは歌舞飲食

その翌日、うしおさんとイベントを冷やかしに行きました。
私には何の興味もないジャンルでした。

そこには心から楽しんでいる人たちの笑顔がありました。

「あんなにも楽しそうな顔ができるのか」と感じ入ります。
彼が何をしているのかは一つも理解できませんが、今この瞬間、充実しているのはわかりました。

輝くとはこのことです。

彼は「私に何かよい影響を与えよう」とか、「ありがたい教えを授けよう」としたわけではありません。
彼はただ自分が楽しんでいただけです。それでも私は、とても心が洗われて晴れやかです。

何もしていなくても、何かしている

ただ明るく楽しく過ごしているだけで、誰かを救うことかがあります。
手を差し伸べたり、具体的なアドバイスをしたり、直接関わることだけが人助けではありません。

自分自身が明るくなること。それは暗い闇夜に光をともすことです。

暗い表情、ため息、当てこすりの言葉、咎めるような視線、侮る態度。
他人のちょっとした言動で、嫌な気持ちになったことはありませんか?

逆に、親切な態度を見て、自分も優しい気持ちになりませんでしたか?

真光ばかりを見つめていては真光に勝てないのです。
笑み栄ゆ彼が教えてくれたことです。

まさかの出会い

このイベントの中でご祭神さまとの接点がありました。
一番興味がなくて本来なら目にも入らないところだったので、「ご縁だなあ」と思いました。

質問をしましたが、要領を得ない回答でした。神様はいつも答えを教えてくれません。自分で考えなくても答えを与えてくれるのは、カルトです。

神社検定の認定カードが届きました。

神社検定弐級に合格したので、認定カードを申し込んで先日届きました。

ご朱印帳に名刺カード入れを貼り付けて入れておこうと思います。

ご朱印帳に名前を書いていなかったのでちょうど良いですね。

「神は見とほしなり」
真野時綱

台紙に神道の言葉が書かれていてなかなか感慨深いです。

川の向こうから

山が呼ぶ

今年は山に近づかないようにしています。
特に怪談もなく秋を迎えました。

次の休みには出かける予定があったので、うしおさんが近くの神社を探してくれました。
公式サイトの写真を見てみると、雰囲気がよさそうです。
山とは少し離れていて、平地でした。これなら何も起きそうにありません。

看板の案内に従って現場に行き、細い道を進みます。自動車のまま鳥居をくぐり、神社の敷地に入ってから停めました。
駐車場から外にでると、鳥居の横には美しい川が流れ、水の音が清らかです。安らかに息を吸い込みます。

神話に登場する神様が二柱ほど祀られています。
創建は千年以上前なので看板の説明を読んでも由来は不明なことばかり。

住宅から少し離れているものの、案内表示などは新しく作り替えられています。
お手洗いの清掃も行き届いて、地域住民の信仰心を感じます。

本殿の左横に広いスペースがあり、その奥が駐車場でした。鳥居の内側は駐車場ではなかったようです。

畏怖

参拝を済ませて帰ろうとすると、うしおさんが「すごい崖」と言いました。
大きな川の向こう側には岩肌が露出して崖になっています。船越さんが犯人を追い詰めているかもしれません。

圧倒されて思わず私も感嘆の声を上げました。
威圧感があって「神様だ……」としか言いようがありません。ただならぬものでしょう。

これが畏怖。初めて味わう感情です。

神威には伏すべし、という気持ちになります。真光でこのような気持ちになったことはありません。
比較的近い感情としては、自然災害への恐怖でしょうか。

あの崖は何かに似ています。教科書にでてきたゴトビキ岩を思い出しました。

神社検定公式テキスト1『神社のいろは』

神社検定公式テキスト1『神社のいろは』

P13。

洞穴

細見すると、崖の上の方は大穴が口を開けています。十分に人が入れそうなぐらいの洞窟があります。
「お墓があるよ」とうしおさんが言いました。
洞窟の入り口には細長い石が何体か立てられています。自然物ではなく明らかに人が設置したものです。
「お墓じゃないよ。仏像だよ」
遠くてはっきりとは見えないものの、石仏の背面に見えました。

後から考えたら、私たちは下から見上げているので、入り口近くに仏像があれば見えないはずです。
つまり下から見えるように置いてあるのです。それはあの崖が信仰の対象であるということを意味しました。

(これは小さいけど山だよな。崖というより巨石。磐座いわくらだ)

小さい山クラスの巨石なら、今まで見た者の中では一番大きいでしょう。
そして洞窟……そう言えば前にも山の穴の中にうしおさんが吸い込まれそうになったことがありました。
unlearn-mahikari.hateblo.jp
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山だ。あれは山だ。山が呼んでる案件だ。

「うしおさん、なんでここの神社にしたの?」
「検索したら出た」
「呼ばれたんじゃない? あの崖に」

最大の危機は山で二人で死にかけたときのこと。
うしおさんは苦しみの余りに「車のドアを開けて崖から落ちたくなった、落ちたら楽になれる」と言っていました。
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鳥居の中からガン飛ばされて目が痛くなったり。
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「あの洞窟行きたいんでしょ?」
「行きたい」
「危ないよ。山に吸い込まれるよ」
しかし大きな川がブロックしているようです。橋もなく、崖の近くにも道もなく行けそうにありません。
本当の聖域は立入禁止になっています。じゃあ簡単に行けるパワースポットってなんでしょうね?*1

「これは川が防衛線になってるね」
後で調べたら、かつてはこの川で身をすすいでから参拝したそうです。伊勢神宮五十鈴川みたいなものです。

「すごく呼んでる、こっちを見てる。目力が強い。
悪い感じはしないけど、行くのはよくない。
分かってるけど魅力を感じて行きたくなる」とうしおさん。

後ろ髪を引かれるうしおさんに車に乗るように促しました。

帰り道を戻りつつ気づいたことは、駐車場を間違えた意味です。

車を停めた鳥居の近くには木が生えておらず、崖がよく見えます。少し歩くと木が遮って目に入らないのです。最初に正式な駐車場に停めていたら木がじゃまでには気づかなかったでしょう。

私は水流の音がした川に視線を落としましたが、うしおさんは上を見て崖に気がつきました。

今回、神社自体は山ではなかったのですが、川越しに山が呼ぶという変化球でした。
そんなトラップは期待してないし、難易度を上げないでほしいなあ。

教祖は使い捨て

2代目の教祖・恵珠氏が亡くなって2年経ちます。

真光の特徴の一つとして、先代に冷たいことが上げられます。

初代は典型的な昭和のおっさんで、良くも悪くも俗物だったと思います。親しみやすく話が面白い。
そういうしょうもないおっさんを、悪い意味で神格化してしまった。

人間味を消して威厳がある人物像に書き換えられてしまった。こういう立派な教祖様のイメージって本人が望んでいたのでしょうか?

正確に言えば、崇教真光は恵珠氏が創設した教団です。教義などは引き継いでいるものの、大きくしたのも彼女の功績です。
彼女の教団でありながら、批判の対象になるのは光玉氏ばかり。意図的かどうかはさておき、スケープゴートにされている印象があります。

三代目にしても二代目が亡くなったときの対応が悪く、敬意に欠けていました。

批判の対象ではありますが、さすがに恵珠氏には哀れみを感じました。
心と金を捧げた教祖への仕打ちを見て、信者がどう感じるのか想定できなかったのか?*1

元信者にとっては憎しみの対象でも、信者にとっては大事な心の支えでしょう。

この辺が三代目の器を感じます*2

恵珠氏が亡くなって半年後くらいには統治が行き届いた雰囲気がありましたが、その後はまた存在感がなくなっていきましたね。
最近の雰囲気はどうなんでしょう?
unlearn-mahikari.hateblo.jp
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*1:組織運営・経営としても悪手です

*2:小さいとは言っていない