真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

2017-10-01から1ヶ月間の記事一覧

やめてほしけりゃ批判はするな

急がば回れ 真光をやめさせたいなら、やめさせようとしたらいけないんですよ。禅問答をしているわけではありませんので、逆の立場で考えてみましょう。他人に真光をやめさせようとする行為は、自分にとってはどういう行為に該当するか考えたことはありますか…

真光批判の意味のなさ

批判は逆効果 真光批判ってあんまり意味ないですよね。それが私のスタート地点です。真光被害に怒ってる方に「批判など意味がない」言うと「真光の肩を持つのか」と思うことでしょう。批判サイトは確かに信者を減らしたでしょう。 しかし批判サイトができは…

人間の失敗作

ユダヤ・キリスト教の神、ヤハウェは人間を作りましたが失敗したなあと思って滅ぼそうとします。 ノアの箱船が有名ですね。真光においても神様が人間を作ろうとして失敗してしまい、それでできたのがサルや馬と言っていた気がします。 (毎度ながらよく覚え…

ブログをやめたい

色々とトラブルが重なってすっかり精神的に参っていたところでした。真光そのものは不幸を起こしません。少なくとも私の場合はそうです。 しかし心身が弱っているときはつけこまれることがあります。「やめてずいぶん経つのに、なんで今でも色々あるんだろう…

山の祭り

秋祭り ここ数年はとある山間部の祭りに毎年行っています。 このときにだけ安くておいしいお米が手に入るからです。 山間部ならではの野菜や川魚なども食べられます。お互いに顔の分かる地元民しか参加していないようなお祭りなのですが、暇つぶしに見た出し…

母に会いたくない

母と会う予定を入れましたがどうにも気が乗りません。 些細なことが気になったり、そわそわしています。うしおさんが言うには「そんなに会いたくないというのは、おそらくお母さんの信仰心が前よりも強くなってるからだろう」とのことです。 ますます会うの…

真光ビフォア・アフター

真光をやめた後の変化 真光の毒が抜けた私はずいぶんと性格が変わりました。昔の私は斜に構え、流行や普通を見下す自意識過剰なタイプでした。 真光信者に特有の選民意識ですね。いわゆる中二病です。今や普通であることの勇気を持っているので、わざと人と…

天津祝詞の元ネタは天津祝詞太祝詞事(アマツノリトフトノリトゴト)

結局天津祝詞とは? 「天津祝詞」という言葉自体は神道に存在します。 一般的には「天津祝詞太祝詞事(アマツノリトフトノリトゴト)」で一つの言葉として扱われるようです。 延喜祝詞式 「延喜式」という平安時代10世紀の法令集がありました。刑罰や行政の…

真光の元ネタ:カミムスビ

教典の何かで「カミムスビ」という単語があったような気がします。唱えている当時はまったく意味が分かりませんでした。真光ってあまりこういう唱える呪文の意味を教えてくれない気がします。元ネタは神道で、古事記では神産巣日神(かみむすひのかみ)、日…

真光の元ネタ:弥栄

弥栄(いやさか)え 真光では弥栄えを「ヤハエ」と読ませますがユダヤ・キリスト教の神の名前である「ヤハウェ」とのダジャレです。キリスト教は世界一信者が多く各エピソードはなんとなく日本人も知っています。私は真光の二世信者だったせいか宗教全般に疎…

天津祝詞の元ネタ:祓詞

真光の天津祈言の元ネタは祓詞はらえことば 祓詞とは 神社で改まって参拝したいときや祈願があるときは「昇殿参拝」や「正式参拝」といって本殿の中でお参りができます。 特に願い事に関する祝詞をあげてもらうときはご祈願やご祈祷と言います*1。本殿内で席…