真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

「Cairn(ケルン)」人物考 羊飼いヨハンナ

君とは違う

この記事には「Cairn」のネタバレが含まれます。

羊飼いヨハンナ

ヨハンナは最後の雲上人です。

アーヴァとは話も合いました。
お互いに孤独が好きで他人に合わせられず、恋人との間に溝があります。
アーヴァはネコを飼い、ヨハンナは山羊の世話をしています。

村人もロディも皆山から下り、孤独を愛するヨハンナだけは羊たちと共に残りました。

似たもの同士

ヨハンナは人と距離を置くうちに人付き合いがわからなくなり、気難しくなってしまいました。
アーヴァも似たようなことを言われたようですね。

アーヴァにはパートナーのナオミがいて、トミーやロージーのように誕生日を祝ってくれる友達がいます。
クリスのように理解のある仕事仲間もいます。

でも彼らに対してアーヴァはいら立ち、無視し、悪態をつきます。
山が与えてくれるものを、彼らは与えてくれないからです。

ヨハンナは静けさの中で心地よく生きていました。これ以外の生き方は考えられないほどです。
でもそれは近くに村の皆がいて、いつでも会いに行けたからです。

ヨハンナはアーヴァにとっての理想です。
他人が煩わしくて一人になりたいけれど、実際にやればどうな未来になるのかというifの姿です。

ロディもヨハンナも別れを告げないまま、自然消滅しました。

養蜂家

ヨハンナに似ているのが養蜂家です。
ミツバチを飼っていましたが、盗みに怯えて疑心暗鬼になっていたようです。
説得が成功したのか、彼もいなくなっていました。

アーヴァとの共通点

「今どき孤独なんか流行らない」
「考え方古いかな」
二人とも、自分のことを時代遅れだとわかっています。

例えパートナーであっても、相手に合わせて自分の生き方を曲げることはできません。

「あなたのようにはなれない」

実際に二人ともパートナーから「あなたのようにはなれない」と言われています。
ロディはここに残ってもいいけれど、誰もいない村で一人残るのは無理だ、君とは違うと去りました。

マルコとアーヴァも山に対する姿勢がかなり違い、
私には山だけというアーヴァに、マルコは「あなたのようにはなれそうもない」と袂(たもと)を分かちました。

あなたの行くべき場所へ

アーヴァは、ヨハンナは下山してロディと共に生きた方がいいと考えたようです。

愛する人と山

ヨハンナが象徴するのは自分の生き方や好みを貫き通すのか、それとも望みを曲げて愛を取るのかという選択肢です。
同性で性格や立場も似ていることから共感しやすく、アーヴァに近い人物像でした。

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Cairn人物考アーヴァを伝説にした男「クリス」

アーヴァを伝説にした男

クリスはアーヴァの仕事仲間です。
おそらく代理人として企業との間に入って交渉するのでしょう。

契約のためなら「君が大喜びしてたって伝えておいたよ」などと適当な嘘をつくことがあります。

偏屈なアーヴァに理解があり、彼女をメディアに売り出して知名度を上げ、大手のユカイ社との契約を取り付けた仕事のできる男です。

ユカイ社はクライミングジムにチラシが貼ってあるので、多分この世界では最大手なのでしょう。

いくらクリスが話をまとめても、彼女本人の承認がなければ契約は成立しません。
焦って何度も連絡をして「僕達はチームなんだ」とつい強めに言ってしまいます。

お金でアーヴァを支えるサポーター

登山には金がかかります。

「神々の山嶺(いただき)」でも、実力はあるのにお金がなくて山に登れない悩みがずっとありました。

マルコのように明るい性格なら、クライミング教室の先生もできます。
アウトドアショップで働いたり、登山の商品開発に関わるアーヴァなんて想像がつきませんね。

社会不適合者のアーヴァだけでは、登山に専念したり費用を工面したりできないでしょう。
クリスあっての登山なのに、感謝するどころか煙たがっています。

彼女は孤独な人間ですが、ちゃんと支えてくれる人がいます。

偽物のアーヴァ

金銭面で支える一方、メディアの力で「虚像のアーヴァ」を作り上げてしまった張本人でもあります。

アーヴァは山に登る理由を聞かれても、いつも本心でないことを答えていました。

クリスのせいというわけではないのですが、彼女自身も自分が何故山を登るのか分からないままになっていました。

三人の伝説の登山家

このゲームには三人の伝説の登山家が登場します。
アーヴァの父親、ダマス、アーヴァです。

アーヴァの父親

マルコが伝記で読んだアーヴァの父親は伝説の登山家であり、アーヴァにとってはそれほどいい父親ではありませんでした。

ダマス・アル・ファトリ

アーヴァにとってダマスは憧れの人でしたが、彼と直接会うことで失望しました。

アーヴァ

マルコにとって、彼女は子供のときから憧れていた登山家です。
彼女を一人の女性として愛することはなく、マルコにとってアーヴァは「ヒーロー」のまま終わりました。

三人ともメディアを通してみれば「伝説の登山家」であり、人として見れば弱点やかっこよくない面がありました。

アーヴァは山岳雑誌に20ページも特集を組まれたり、密着取材でドキュメンタリー映画まで制作されています。
アーヴァは嫌がっていましたけど。

そして伝説へ

誰かが二番目にカミに登頂したとき、彼女の遺体も見つかるでしょう。

そのとき彼女は、最初にカミの頂を踏んだ人間として歴史に名を刻み、伝説の登山家となるでしょう。

ユカイ社のテントが売れるに違いありません。
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Higher Truth

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「Cairn」人物考「射撃ジジイ、ダマス」

ダマス・アル・ファトリ

この記事には「Cairn」のネタバレが含まれます。
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ダマスって自分を騙してるから「ダマス」という名前にしたんだと思います。

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三世代の登山家

このゲームには三人の登山家が登場します。
青年マルコ、中年アーヴァ、老人ダマスです。

アーヴァは現時点でもっとも優れた登山家であり、いずれはダマスのように伝説と呼ばれるでしょう。
ダマスは彼女が憧れるような、「伝説の登山家」であり、その後や最期を表す人物です。

山屋はいつ終わりなのか?

登山家が死ぬのは肉体的な死を迎えたときではなく、山を諦めたときです。

ただの一度も頂上にアタックしなかったダマスは、アーヴァにとっては「終わった登山家」でした。

全盛期のダマス

かつてのダマスと現在のアーヴァはキャリアも似ており、難関の壁や山を制覇して、残すは難攻不落のカミのみという状態です。

彼は誰にも自分の記録を破られたくない人です。
カミに一番最初に登頂したら、「その記録が破られることは当分ないだろう。ようやく安心して引退できる」とインタビューで答えています。

最初にその頂きを踏むだけでは足らず、二登目ができれば永遠に現れないことを望んでいます。
登山家としてはピークを過ぎており、大きな挑戦をするラストチャンスでした。

「尊厳ある死」

ダマスの狙撃は「谷川岳宙吊り遺体収容」がモデルです。
谷川岳は標高1997mですが、1930~2012年までで805名が亡くなっており、エベレストの死亡人数342名(1922~2024年)の二倍以上です*1。

昭和35年(1960年)に衝立岩(ついたていわ)で2名が宙づりになり死亡。
遺体収容が極めて困難なため、自衛隊が狙撃してロープを切断したという痛ましい事件でした。

バラバラになった人形のように宙ぶらりんになった登山家の遺体は、ダマス自身の象徴です。

登ることも降ることもできず、諦めていない体(てい)を装うために留まり続けています。

「下山すれば失敗したことになる
だが、ここに踏みとどまっていれば
あきらめたことにはならん
希望が必要だった。正気でいるために」

彼が撃ち落としてしまいたかったのは自分自身。
自分をこの山に縛り付けるロープを、誰かに切断してほしかった。

誰にも先を越されたくない独占欲でここから離れられず、一方でこの苦しみを終わらせてほしかった。
つまり誰かが登頂して、自分をカミ山から解放してほしいと願ってもいました。

アーヴァも等身大のダマスに失望し、「自分が作り上げたこの煉獄に、永遠にいればいい」と暴言を吐きながらも、彼の苦しみには理解を示しています。

ダマスは
「壊れたマネキンのように、君を宙吊りにしたままにはしない。他の連中と同じように、君の遺体を山に還してやる」
と、捨て台詞なのか「骨は拾ってやる」という優しさなのかわからない言葉をかけて見送りました。

ザイルを切るか問題「ダマス編」

ロープはお互いの安全のために繋ぎ、あるいは道連れにするもの。

カミに挑んだ登山家たちを死後も山に縛りつけ、無残な骸を晒して辱めます。

そしてダマスを山につなぎ止め、登山家として終わることも死ぬことも許さなかった。

ロープを切る以外に、彼らの尊厳を守り、安息を与える方法が他にあったのでしょうか。

意図的に雪崩を起こしたのか?

ダマスの銃声をきっかけに、チリ雪崩がアーヴァを押し流そうとします。

元々常に雪崩の危険性はあるものの、アーヴァが登攀中に銃を撃つのは、悪意があるように感じられます。

登山家はカスなので、こういうことをしてもおかしくありません。

ロープとは安全を確保(ビレイ)するものであり、誰かとつながる絆を表します。
絆とは縛り付ける鎖となり、羽ばたくときの足かせとなります。

アーヴァは「伝説の登山家」ダマス・アル・ファトリに直接会い、彼の弱さに触れたことで彼女の中の偶像は消え、憧れも終わりました。

息子が父親を乗り越えるように、アーヴァは伝説の登山家を超えました。
そして彼女はまた一つ、人との絆を失いました。
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ダマスって実質奪衣婆ですよね。

「Cairn(ケルン)」アーヴァとは何者だったのか?

Cairn、9005mの山を目指して

PS5/Steamなどで遊べるサバイバルクライミングゲーム「Cairn(ケルン)」。
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開発者インタビューによると夢枕獏の小説「神々の山嶺(いただき)」を原作とした、谷口ジローのマンガ版に影響を受けたそうです。

「Cairn」と「神々の山嶺」の内容に触れながらアーヴァとは一体どういう人物だったのかを考察します。

この記事にはPS5「Cairn」と夢枕獏「神々の山嶺」のネタバレが含まれます。


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アーヴァは羽生丈二の娘

結論から言うと、アーヴァは羽生丈二の娘です。

羽生丈二とは
「神々の山嶺」には類い希なる登攀(とうはん)技術を持ちながら、性格が終わっている登山家、ビカール・サン*1こと「羽生丈二」が登場します。

フィクションでの登山家はだいたい独善的で、人間界ではうまく行かずにトラブルを起こして人から嫌われていきます。
アーヴァの性格が悪いのも当たり前なので、私はそんなに違和感がありませんでした。
性格が羽生丈二に似ているので、「お前は『ビカール・サン』とでも名乗れ」と思っていました。

パートナーのザイルを切るか問題

物語の展開も「神々の山嶺」に少し似ています。
「神々の山嶺」では安全確保のためにお互いの身体をつないだザイル(ロープ)を切るか? というテーマがあります。
相手を犠牲にして自分だけ助かるか、それとも二人とも滑落するか?

ケルンの中でも、ロープがつながった者同士が道連れに落ちる描写があります。
まさかロープを切る相手が人間ではなく、命を持たないクライムボットになると誰が想像しただろうか。

つまりクライムボットが岸文太郎なのです。

本来は友情と信頼を育んだ人間がパートナーとなってアンザイレン(お互いをザイルでつなぐこと)するべきです。
ロボットは生き物ではないし、愛着があったとしても「ザイルを切るか切らないか問題」に緊迫感は出ません。

生き物とうまくいかないアーヴァ

アーヴァはパートナーのナオミや、仕事仲間クリスの連絡も無視しました。
一方、壊れかけのクライムボットに出会うとかわいそうがり、石を積んで墓標とし、彼を弔いました。

自分のクライムボットに名前は付けず、古いものを使い続けていました。
初期のモデルなので、父親が使っていた形見なのかもしれませんね。

人間とはうまく行かないので、自分の意思を持たない機械の方が愛着が沸くのかもしれません。
憤怒のあまりクライムボットを殴りつけて壊したものの、深く後悔していました。

彼女は山行を妨げられると頭が沸騰し、大事な人や大切なものでも傷つけてしまう人間です。

愛する人と山、どちらを選ぶのか

このゲームのテーマは「愛と山、どちらを選ぶのか?」

恋人と山を降りるより、孤独を選んだヨハンナ。
瀕死のガブリエルを置き去りにして、霊薬エーデルワイスを求めたロベルト。
グリズリーに襲撃された動物学者たち。
みんな何かを選び取り、もっとも大切な人を喪いました。

アーヴァの激しい怒り

登攀中はしくじると自分に苛立ち、ムービーでもナオミやクライムボットに腹を立てています。
何故そんなに沸点が低いのでしょうか?

彼女の父親は伝説の登山家でしたが、彼のことは語らず「どうだか」と濁しています。
英語版だと「そう言われてるわね」と他人事のような言い方です。

おそらく家族より山を選んだ男で、山を死に場所に選んだのでしょう。
彼女は父親が自分を捨てたことに深く傷つき、強い見捨てられ不安を抱えています。

「マコト」の父親

誰かのクライムボットには「マコト」という息子を持つ父親の言葉が遺されていました。

父親は自分をおいて山に行ったけれど自分も同じ事をしている。息子にパパと呼ばれるたびに胸が張り裂けそうだ。

マコトの父親は、家族への愛情と山への衝動に引き裂かれ、やっと彼の父の気持ち――父親は自分を愛していたけれど山を選んでしまった人なのだと理解できたという描写です。

家族を捨てたアーヴァ

ナオミは恋人であり、ペットのカプセルは二人の子供に近しい存在でした。
つまりナオミとカプセルはアーヴァの家族です。
「病気のネコを見捨てるなんて」とプレイヤーにははなはだ不評ですが、それが山というものです。

アーヴァは、ナオミから「カプセルをまた病院に連れて行った」と聞いて不機嫌になり、ついには亡くなったと報せが入りました。
英語版だとナオミは明確にアーヴァを非難しており、カプセルの哀れな姿とその最期を見届けるべきだったと責めています。

なぜ馬鹿みたいな岩に登るのかと問われ、「ナオミは何もわかっていない」と声を荒げます。
クライムボットのアンテナをへし折って通信を不能にしてしまいました。
このように、彼女は攻撃的に見えても逃げ癖のある弱い人物なんですね。

ナオミやカプセルが大事じゃなかったわけではありません。愛しているからこそナオミの連絡に感情をかき乱されるのです。

これが山屋の業(ごう)というものです。

アーヴァ自身が父親に見捨てられた娘として悲しみ、彼を恨んでいたことでしょう。
しかし自分も同じように家族を捨てて山を選び、父親と同じような生き方しか出来ないと悟りました。
偉大な登山家である父親の気持ちを理解できてしまった。

彼女が山に登るのは、そこに父親を求めているからです。

羽生丈二も子供のときに一度だけ家族で山へ行き、その後家族は事故死してしまいました。
羽生にとっても登山は家族とのいい思い出なのです。

アーヴァは山に父を奪われ、自分も山のせいで大切な人を傷つけてしまう。
娘として愛されたかった気持ちは、山に登ることでしか満たされません。

だから家族を捨ててでも山を選んでしまう。

山とは父親自身のことであり、山と一つになること、アーヴァ自身が山になることでしかその寂しさは埋められない。
だから山行を阻(はば)まれると見捨てられ不安が爆発し、逆上するのです。

カプセルは高齢で前から調子が悪かったようです。

さよならを言うのが苦手だから、あえて山に逃げて別れを回避したのかもしれません。それだけカプセルとの別れがつらく、受け入れることができなかった。
もしかしたらエーデルワイスを見つけて、カプセルに持って帰ってあげたかったのかもしれませんね。

なぜ山に登るのか?

言い換えると「何故父は娘である私よりも山を選んだのか」。

その理由がわからないから、アーヴァも自分が山に登る理由がわからないのです。

そしてマウント・カミ登頂の過程で、家庭を失い、マルコとも道を違(たが)え、ザイルパートナーを自ら叩き壊し、孤独になってしまいました。
短気で人と向き合わずに逃げてしまう性格ゆえに。

「私には山しかない」と言っていましたが、本当に全てを失ってしまいました。

羽生はひたすらエベレスト冬期南西壁無酸素単独初登頂「だけ」を目指していた男でした。
妻も岳父も理解があったので、家庭を犠牲にするジレンマは描かれませんでした。

一方アーヴァは頂きに立つことと引き換えに、大切なものを一つずつ喪失・破壊していく点にフォーカスされたストーリーという違いがあります。
積極的に山を選んだというよりも「山以外なくしてしまった人」だと思います。

人類最後の未踏峰、マウント・カミを征服するとアーヴァは咆哮します。
達成感はなく、もう登る山がなくなってしまった絶望しかありません。

登山家として父親を超えても、どんなに高い山に登っても、そこにお父さんはいないのです。

アーヴァは山頂から空へと登って星になります。

アーヴァは羽生丈二の娘説

「Cairn」はインタビューで「神々の山嶺」漫画版に影響を受けたと答えています。

羽生は「何故山に登るのか」を尋ねられ
「そこに山があったからじゃない。ここにおれがいるからだ」。
アーヴァは「山にいるのではなく、私自身が山になる」と答えました。

二人とも協調性はありませんが、自分を慕う人間には意外と面倒見がいいところがあります。

羽生は岸文太郎に岩登りを教え、危険を顧みずに文太郎やアン・ツェリンを助けました。
アーヴァはマルコに厳しく接したり登り方を具体的に教えたり、彼のために下山しようとさえしました。

アーヴァはキャリアからして30代から40代ぐらいでしょうか。
マルコは多分21歳*2以降で、子供のときからアーヴァ憧れていたことから、少なくとも10歳は離れていると考えられます。

登山家には「43歳の壁」という言葉があるそうなので、個人的に43歳説を挙げたいところです。
しかし恋人との関係で悩んだり、友達が誕生日を祝ってくれたりするのでもっと若い気がします。

羽生は伝説のシェルパ、アン・ツェリンの娘ドゥマと結婚して子供が二人います。
原作小説では1993年時点で2歳の男の子ニマと6ヶ月の赤ちゃんがいました。

羽生と伝説のシェルパの娘との間に生まれた子なら、二人の血を受け継ぎ才能ある登山家になっているでしょう。
彼らは2025年時点で35歳と32歳ぐらいになっているはずです。

もし羽生がアーヴァの父親だったなら「3歳の女の子」に岩壁を登らせても驚きません。むしろ当然。
父とのクライミングの思い出を語るアーヴァの表情は明るく、きっといい思い出だったのでしょう。

年齢的にそれほど矛盾もなく、「道筋がわかれば後は登るだけ」といった登攀の考え方などに共通点があります。
協調性のなさや暴言で周りを傷つけて孤立しがちな性格も似ています。

よって私には、アーヴァは羽生丈二に似ていると言うより、その娘として描いたように思えました。
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*1:映画版では「ビシャル・サルパ」

*2:米国では飲酒は21歳から

シグナス家は何故ジュナを引き取ったのか メタファー:リファンタジオ考察

この記事はネタバレを含みます。

なぜシグナス家はジュナを引き取ったのか

レラはジュナのことを、

「上流貴族のシグナス家が、社会貢献を印象づけるためだけに、
気まぐれに拾って来た、ただの孤児」

と言いましたが、本心と違うことを言うシーンなので、「社会貢献」というのは事実ではないと思います。

イエに囚われたレラ

レラは子供の時分のうちから、その手を汚す羽目になりました。
そのような仕事を引き受ける代わりに、シグナス家は代々高官に取り立てられてきました。

シグナスは穢れた名家…両親は権威にへつらい、魔法の腕前でしか
人の価値を測ろうとしない…ずっと失望の中で生きてきたわ。

子供としての愛情は受けられず、優秀な魔道士として評価される家庭でした。
その生い立ちから、ルイの説く実力主義は受け入れがたいのです。

正反対の姉妹

気弱な姉レラと、自分を貫き通すジュナ。
姉妹に血のつながりがないとは言え、同じ家庭に育ったようには見えません。

むしろ同じように育てられていないから、家に囚われず、ジュナは自由に生きているのだと思います。
実際に、彼女はシグナス一族の家業も知らされていませんでした。

周囲の人々は、シグナス家のことは口に出さずともある程度は知っていたでしょう。
社会貢献を印象づける必要性はあったとは思います。

何故ジュナを選んだのか

ジュナの外見や歌声に惹かれたのかもしれません。その方が世間体もよかったのかもしれません。

ただ、両親はジュナには割と自由に過ごさせていたように思えます。
単に、跡取りとして期待をしてないから厳しくしなかっただけかもしれません。

根拠のない妄想に過ぎないのですが、シグナス家の家業と、ジュナが奴隷にされていたことが関係があるのではないでしょうか。
責任や良心の呵責を感じて、ジュナを引き取ったのではないでしょうか?

シグナスの家に生まれた私には、そんな貴方が
眩しく見えた…貴方に夢を見たの
貴方は自由の象徴だった
そんな中に現れた貴方は、私の生きる希望…
ほんとうに命よりも大切な存在だった

レラにとってジュナは自由の象徴でした。
それはシグナス家にとっても同様だったのではないか。

なぜならレラはシグナス家の後継者であり、イエから逃れられない立場です。
彼女個人の感想と言うより、シグナス家の本音に見えます。

家業で汚れ仕事からは逃れられず、引き換えに地位を得ても心苦しかったでしょう。
人らしさを捨て、感情を捨てなければシグナス家の人生は苦しいものです。

だから両親はレラを子供としては愛すことができず、優秀な駒として育てました。
一方ジュナは家業に関わらせず、「子供」として愛を注ぎ、自由を制限することはなかった。

もっと率直に言ってしまえば、毒親はすべての子供を虐待するわけではなく、いじめる子供と溺愛する子供を分けたりします。

レラを後継者にした理由

フォーデンの死後に、レラは人気やすがれる存在という理由で後継者に選ばれます。
まず、気弱で言うことを聞きそうなので、傀儡政権の神輿として御しやすいです。

政権で色々もめると、とりあえす女性にしておこうかという流れ、ありますよね。

レラは惺教の暗部を知るシグナス家であり、万が一ジュナのいるルイ勢力に寝返ると、惺教府にはかなりのダメージになります。
では、立場を与えて抱き込むしかありません。

レラ自身は惺教の欺瞞や搾取などを受け入れた上で、それでも弱き人々に救いをもたらすと確信しています。
これは、不正を飲み込めないギドにはできないことです。

レラには清濁併せ呑む度量があるので、あのまま女王になれば、フォーデンのように惺教を背負って立てる器だったと思います。

評議会の皆さんは王子が即位後もなんとなく政権側について無事生き残っていました。
こういう「選挙で落とせないけど権力のある人たち」も描かれていて面白かったです。
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英雄譚序曲

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メタファー:リファンタジオ 宗教者ギドの死と再生

この記事は重要なネタバレを含みます。

宗教者ギドの死と再生

武力でフォーデンを支えるコバンザメ

序盤では、ギドは惺教の権威をカサにした自己愛的な人格として描かれます。
体格もハゲマッチョで全身タイツです。

神の御名において罰を下してくれる!
我ら惺教府僧兵団、神の威光にあだなす者は
何者だろうと退けて来た
大いなる惺教の威光にひれ伏せ

また、フォーデンを支えることで自身の出世も達成してきました。

権力者としての失墜

フォーデンの右腕だと自認していたのに、「人心を惹きつけるものがない」という理由で後釜の地位をレラに奪われて激怒。
しつこくレラに辞退を迫ります。

グローデルとの違い

グローデルとギドの言動は、似ているようで決定的な違いがあります。

グローデルは、勇者品評会で小さなニンゲンの首を提出しました。
そもそも大きな首というお題に沿っていませんし、国民はニンゲンを見たことがないので本物かどうか判断できませんでした。

彼は独りよがりで、自分のことしか考えていません。
だから、彼なりに自分の欠点を受け入れて努力している割に、他者から評価されないのです。

一方でギドは、大きな魚を提出しました。
大きさも充分で、かつ無益な殺生をせず貧しい人たちに振る舞って施しをしました。
このように、彼の性根は敬虔な信徒であり、弱者をいたわる優しい人なのです。

ギドの過ち

彼は薄々、惺教の過ちに気付いていました。
惺教の腐敗した環境では水が合わず、自分を曲げなければなりません。

信仰心も深く、惺教の不正を認めたくないのでイライラして虚勢を張っていました。

出世して地位を得られれば、惺教が間違っていないと確信できます。だから彼はフォーデンに地位をねだったのです。

全てを失ったギド

肝腎のフォーデンの護衛にも失敗し、レラにも敗北。惺教の信頼も地に落ちました。

「私が信じた惺教とはなんだったのだ…
これからは、何を頼りに…
『何を頼りに』か…
惺教を守っているつもりが、支えを失った途端、動けんとはな…
私も…レラの言う『弱き者』か。」

すべての肩書きを失い、彼はようやく自身とその信仰心について振り返りました。
いち宗教者に墜ちたことにより、己を受容できたのです。
彼が守っていたのは、教団の不正をただせない自分自身の弱さでした。

再生したギド

終盤でギドは、等身大の自分を「最初から己の力では何もできぬ弱者だった」「名ばかりの僧兵団長」と認めました。

指導者を失ったものの、信仰心が彼に残りました。
彼は、自分に何ができるのか分からないものの教会に立つことを決め、脅威にさらされる信徒たちの無事を願い、祈りを捧げました。

以前の彼は異教徒に厳しく、彼らの神器を取り上げることを提言するような人間でしたが、終盤になると、「明らかに信徒ではない」王子たちにも安売りをしてくれるようになります。

出世欲を捨てたのに、エンディングでは枢機卿という教皇に次ぐ立場に上り詰めていました。

惺教府の悪行が表沙汰になって以来、
惺教への信頼は地に落ちました。
驕りや不正、悪しき風習があったことも認めます…
だが、惺教に救われた者も確かにいたはずなんです。
真に救いを求める者のため、私はこれから
あるべき惺教の姿を取り戻したいと考えています。
枢機卿として、惺教に救われた者として、
それが私にできる唯一の恩返しですから。

おだやかになったギド

不正の処罰もして自浄に努めているようです。

彼が本当にやりたかったのは、腐敗を正し、本来の惺教に立ち戻って信徒に救いをもたらすこと。
本当の望みに奉仕している彼の顔つきは穏やかです。

フィクションで宗教を取り上げると、「教団を潰して終わりにしてしまえ」という流れになりがちになります。

過ちを犯し、また悔い改める。
それが本来あるべき姿だと思います。

ギド一押し

宗教関係でもっともいいキャラなのがギドです。
すべてを失って本来の自己に立ち戻るという流れや、出世欲で自分を見失い、欲を捨てて立場を得るなどおじさんの人生が詰まっていました。

ゲーム自体も面白いですし、宗教系ゲームとしても特筆に値するオススメの作品です。
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フィクションのカルト宗教論「メタファー:リファンタジオ」 聖女レラ編

この記事には重大なネタバレが含まれています。

宗教=カルトという浅さ

ゲームで宗教がテーマになると、だいたいやばいカルト宗教として描かれます。
このブログはカルト宗教がテーマなので、それに沿っていると言えばそうなのですが、同じような内容ばかりで食傷気味でした。
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宗教はすべてカルトだと冷笑するのは、高二病に過ぎません。
「自分はそんなものに騙されない、賢い人間だ」と思っている分、たちが悪いとも言えます。

真光の悪態をついていながら、別の変な宗教に入る人は珍しくありません。

伝統宗教は王道。
長年の信頼を重ねたいわばブランド品のようなもので、確率的にあまり大きな問題は起きにくいはずです。
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宗教と名乗らないカルトにハマる人も多いのですが、今はこちらが主流でしょう。

惺教の功罪

「メタファー:リファンタジオ」は惺教内部の腐敗、異教徒の弾圧や歴史の改竄(かいざん)など具体的な悪行が描かれています。
一方で、人々の心の支えであることも明言しています。

功罪の「功」を否定しなかったのが、今までのゲームと大きく違うところです。

誰でも救うことは不可能である

実力主義ルイに対して「困っている者は誰でも助ける」を理想として掲げる主人公。

主人公が初めてグラン・トラドについたときのこと。
主役が飢えたパリパスに食べ物を分け与えると、次々に他のパリパスも群がってきて、ガリカがその場から離れるように促すシーンがあったかと思います。

序盤から「誰でも助ける」がどういうことなのか、その実現困難性が示されます。
毎週ろくな裁判もなく処刑が行われていますが、主人公は特に助けませんでした。

主役の理想主義に対し、国民や対立候補からも度々実現不可能だと言われ続けます。

実際に、王子が玉座についてから1年後になっても、見捨てられた人々がいます。

「『(困った人は誰でも)助ける』ってか?
お前、ずっとそれ言ってるな。
俺は、…お前のことずって見てたよ。
ずっと…この街の隅っこで。
これ以上見て見ぬフリされんのは嫌だよ…
俺らみてえな、行き場のないパリパスがまだいるってこと…
そのこと…忘れんなよ」

贖罪の聖女、レラ

レラは実際に、弱き人々を長年に渡り治療魔法で癒やし続けてきました。
弱者が礼儀正しくて感謝してくれるならやりがいもあるでしょうが、実際には「愚かで好まれざる者たち」でありました。

「かわいそうな人たちを助けてあげたい」という気持ちだけでは続けられなかったでしょう。
「罪滅ぼし」という強い原動力があったからこそ、聖女と呼ばれるほど人々を癒やし続けてきました。

この描写がキャラクタ造形に説得力を持たせます。

レラが象徴するのは、誰からも必要とされないような人間、皆から疎まれるような人であっても保護してくれる「福祉」。

周囲から好かれるような人は、政府が保護しなくても誰かか助けてくれるでしょう。
愚かで好まれざる者たちをも包摂するのが国家の役割です。

彼女は惺教の不正や搾取を認めつつ、人々の心を救い、支えになっていると説きました。清濁併せのみ、惺教を受け入れていたのです。

「心酔して、不安を何かに預けた者は、もう二度と悩まずにすむ。」
「この国が…ずっと昔からやってきた事よ」

また、宗教ではなく国のしてきたことだともしています。

「でも、だからって惺教は、誰の救いにもならなかったの?
ほんとの救いって何かしら?
『神はいない。自分の力で自由に競え、それが公平な世の中』…
そんなルイの怖がる信徒たちは、愚かなの?
私は、本当の意味で国民を救済する。
悩まず、何の不安もない…そんな生活を永遠に送れるようにね。」

ガンギマリである

元ネタはマルクスによる「宗教は民衆の阿片」論です。
マルクスが言った「宗教はアヘン」とは?

「ルイを退けた者は王座を得るでしょう。でも貴方たちは、遺された惺教信徒を…ルイの世界では死ぬべき『弱い人々』を、救えるの?」
「弱さゆえに好かれず、行き場を失って信仰に至る人たち…それを自由の名の下に突き放すつもりなら、そんなのはルイと同じよ!」
「王となるなら、愚かで好まれざる者たちをも救う力と覚悟がいる。
貴方が何者だろうと、それを確かめずに死ぬ気は無いわ!」

レラは信徒の皆の心に直接声を届けました。彼女の慈愛の心もまた本物でした。
でも、異教徒ムツタリ族には届かない。

「愚かで好まれざる人々」への慈愛を訴えながらも、異教徒はその中に含まれていません。
彼女の優しさの限界も描写してるのが容赦ないなと思いました。

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