Cairn、9005mの山を目指して
PS5/Steamなどで遊べるサバイバルクライミングゲーム「Cairn」。
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開発者インタビューによると夢枕獏の小説「神々の山嶺」を原作とした、谷口ジローのマンガ版に影響を受けたそうです。
「Cairn」と「神々の山嶺」の内容に触れながらアーヴァとは一体どういう人物だったのかを考察します。
この記事にはPS5「Cairn」と夢枕獏「神々の山嶺」のネタバレが含まれます。
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アーヴァは羽生丈二の娘
結論から言うと、アーヴァは羽生丈二の娘です。
羽生丈二とは
「神々の山嶺」には類い希なる登攀技術を持ちながら、性格が終わっている登山家、ビカール・サン*1こと「羽生丈二」が登場します。
フィクションでの登山家はだいたい独善的で、人間界ではうまく行かずにトラブルを起こして人から嫌われていきます。
アーヴァの性格が悪いのも当たり前なので、私はそんなに違和感がありませんでした。
性格が羽生丈二に似ているので、「お前は『ビカール・サン』とでも名乗れ」と思っていました。
パートナーのザイルを切るか問題
物語の展開も「神々の山嶺」に少し似ています。
「神々の山嶺」では安全確保のためにお互いの身体をつないだザイル(ロープ)を切るか? というテーマがあります。
相手を犠牲にして自分だけ助かるか、それとも二人とも滑落するか?
ケルンの中でも、ロープがつながった者同士が道連れに落ちる描写があります。
まさかロープを切る相手が人間ではなく、命を持たないクライムボットになると誰が想像しただろうか。
つまりクライムボットが岸文太郎なのです。
本来は友情と信頼を育んだ人間がパートナーとなってアンザイレン(お互いをザイルでつなぐこと)するべきです。
ロボットは生き物ではないし、愛着があったとしても「ザイルを切るか切らないか問題」に緊迫感は出ません。
生き物とうまくいかないアーヴァ
アーヴァはパートナーのナオミや、仕事仲間クリスの連絡も無視しました。
一方、壊れかけのクライムボットに出会うとかわいそうがり、石を積んで墓標とし、彼を弔いました。
自分のクライムボットに名前は付けず、古いものを使い続けていました。
初期のモデルなので、父親が使っていた形見なのかもしれませんね。
人間とはうまく行かないので、自分の意思を持たない機械の方が愛着が沸くのかもしれません。
憤怒のあまりクライムボットを殴りつけて壊したものの、深く後悔していました。
彼女は山行を妨げられると頭が沸騰し、大事な人や大切なものでも傷つけてしまう人間です。
愛する人と山、どちらを選ぶのか
このゲームのテーマは「愛と山、どちらを選ぶのか?」
恋人と山を降りるより、孤独を選んだヨハンナ。
瀕死のガブリエルを置き去りにして、霊薬エーデルワイスを求めたロベルト。
グリズリーに襲撃された動物学者たち。
みんな何かを選び取り、もっとも大切な人を喪いました。
アーヴァの激しい怒り
登攀中はしくじると自分に苛立ち、ムービーでもナオミやクライムボットに腹を立てています。
何故そんなに沸点が低いのでしょうか?
彼女の父親は伝説の登山家でしたが、彼のことは語らず「どうだか」と濁しています。
英語版だと「そう言われてるわね」と他人事のような言い方です。
おそらく家族より山を選んだ男で、山を死に場所に選んだのでしょう。
彼女は父親が自分を捨てたことに深く傷つき、強い見捨てられ不安を抱えています。
「マコト」の父親
誰かのクライムボットには「マコト」という息子を持つ父親の言葉が遺されていました。
父親は自分をおいて山に行ったけれど自分も同じ事をしている。息子にパパと呼ばれるたびに胸が張り裂けそうだ。
マコトの父親は、家族への愛情と山への衝動に引き裂かれ、やっと彼の父の気持ち――父親は自分を愛していたけれど山を選んでしまった人なのだと理解できたという描写です。
家族を捨てたアーヴァ
ナオミは恋人であり、ペットのカプセルは二人の子供に近しい存在でした。
つまりナオミとカプセルはアーヴァの家族です。
「病気のネコを見捨てるなんて」とプレイヤーにははなはだ不評ですが、それが山というものです。
アーヴァは、ナオミから「カプセルをまた病院に連れて行った」と聞いて不機嫌になり、ついには亡くなったと報せが入りました。
英語版だとナオミは明確にアーヴァを非難しており、カプセルの哀れな姿とその最期を見届けるべきだったと責めています。
なぜ馬鹿みたいな岩に登るのかと問われ、「ナオミは何もわかっていない」と声を荒げます。
クライムボットのアンテナをへし折って通信を不能にしてしまいました。
このように、彼女は攻撃的に見えても逃げ癖のある弱い人物なんですね。
ナオミやカプセルが大事じゃなかったわけではありません。愛しているからこそナオミの連絡に感情をかき乱されるのです。
これが山屋の業というものです。
アーヴァ自身が父親に見捨てられた娘として悲しみ、彼を恨んでいたことでしょう。
しかし自分も同じように家族を捨てて山を選び、父親と同じような生き方しか出来ないと悟りました。
偉大な登山家である父親の気持ちを理解できてしまった。
彼女が山に登るのは、そこに父親を求めているからです。
羽生丈二も子供のときに一度だけ家族で山へ行き、その後家族は事故死してしまいました。
羽生にとっても登山は家族とのいい思い出なのです。
アーヴァは山に父を奪われ、自分も山のせいで大切な人を傷つけてしまう。
娘として愛されたかった気持ちは、山に登ることでしか満たされません。
だから家族を捨ててでも山を選んでしまう。
山とは父親自身のことであり、山と一つになること、アーヴァ自身が山になることでしかその寂しさは埋められない。
だから山行を阻まれると見捨てられ不安が爆発し、逆上するのです。
カプセルは高齢で前から調子が悪かったようです。
さよならを言うのが苦手だから、あえて山に逃げて別れを回避したのかもしれません。それだけカプセルとの別れがつらく、受け入れることができなかった。
もしかしたらエーデルワイスを見つけて、カプセルに持って帰ってあげたかったのかもしれませんね。
なぜ山に登るのか?
言い換えると「何故父は娘である私よりも山を選んだのか」。
その理由がわからないから、アーヴァも自分が山に登る理由がわからないのです。
そしてマウント・カミ登頂の過程で、家庭を失い、マルコとも道を違え、ザイルパートナーを自ら叩き壊し、孤独になってしまいました。
短気で人と向き合わずに逃げてしまう性格ゆえに。
「私には山しかない」と言っていましたが、本当に全てを失ってしまいました。
羽生はひたすらエベレスト冬期南西壁無酸素単独初登頂「だけ」を目指していた男でした。
妻も岳父も理解があったので、家庭を犠牲にするジレンマは描かれませんでした。
一方アーヴァは頂きに立つことと引き換えに、大切なものを一つずつ喪失・破壊していく点にフォーカスされたストーリーという違いがあります。
積極的に山を選んだというよりも「山以外なくしてしまった人」だと思います。
人類最後の未踏峰、マウント・カミを征服するとアーヴァは咆哮します。
達成感はなく、もう登る山がなくなってしまった絶望しかありません。
登山家として父親を超えても、どんなに高い山に登っても、そこにお父さんはいないのです。
アーヴァは山頂から空へと登って星になります。
アーヴァは羽生丈二の娘説
「Cairn」はインタビューで「神々の山嶺」漫画版に影響を受けたと答えています。
羽生は「何故山に登るのか」を尋ねられ
「そこに山があったからじゃない。ここにおれがいるからだ」。
アーヴァは「山にいるのではなく、私自身が山になる」と答えました。
二人とも協調性はありませんが、自分を慕う人間には意外と面倒見がいいところがあります。
羽生は岸文太郎に岩登りを教え、危険を顧みずに文太郎やアン・ツェリンを助けました。
アーヴァはマルコに厳しく接したり登り方を具体的に教えたり、彼のために下山しようとさえしました。
アーヴァはキャリアからして30代から40代ぐらいでしょうか。
マルコは多分21歳*2以降で、子供のときからアーヴァ憧れていたことから、少なくとも10歳は離れていると考えられます。
登山家には「43歳の壁」という言葉があるそうなので、個人的に43歳説を挙げたいところです。
しかし恋人との関係で悩んだり、友達が誕生日を祝ってくれたりするのでもっと若い気がします。
羽生は伝説のシェルパ、アン・ツェリンの娘ドゥマと結婚して子供が二人います。
原作小説では1993年時点で2歳の男の子ニマと6ヶ月の赤ちゃんがいました。
羽生と伝説のシェルパの娘との間に生まれた子なら、二人の血を受け継ぎ才能ある登山家になっているでしょう。
彼らは2025年時点で35歳と32歳ぐらいになっているはずです。
もし羽生がアーヴァの父親だったなら「3歳の女の子」に岩壁を登らせても驚きません。むしろ当然。
父とのクライミングの思い出を語るアーヴァの表情は明るく、きっといい思い出だったのでしょう。
年齢的にそれほど矛盾もなく、「道筋がわかれば後は登るだけ」といった登攀の考え方などに共通点があります。
協調性のなさや暴言で周りを傷つけて孤立しがちな性格も似ています。
よって私には、アーヴァは羽生丈二に似ていると言うより、その娘として描いたように思えました。
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エヴェレスト 神々の山嶺を観る | Netflix
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