前回は「無神論者、ハードすぎじゃね?」というお話でした。
普通の宗教を信じる
ここは基本に立ち返って普通の宗教をおすすめします。
「結局は宗教をすすめるのかよ」とお思いですか?
真光は既存の宗教をパクっているのはご存じでしょう。引用するだけならまだしも、わざわざねじまげているのが害悪なのです。
毒を抜こうとするのなら、正しいことを知るのがなにより大事。信じなくても教えを知ることだけでもよいでしょう。何がオリジナルでどうねじ曲げたのか一つ一つたどりましょう。私は始めたばかりなので偉そうなことは特に言えません。
無理には勧めませんが、まともな宗教を信じるのはよいことです。
既存の宗教ももちろん問題はあります。しかしカルトにすがるのは百害あって一利なし。
カルトが何よりも嫌いなのは「正しい信仰心」です。
真光の教えを思い返せば、他の宗教で魔を祓ったり縁起がよいとされることを嫌い、信者に避けさせています。榊やお雑煮、豆まき、クリスマス。門松も先端を斜めではなく真横に切ってます(やらなきゃいいのにわざわざねじ曲げてやるところに悪意を感じます)。門松を水平に切るのは真光とは関係ありません*1
普通の宗教でよいとされることをすれば真光は嫌がるのです。
まともな宗教って何よ
真光を信じて「み光が出てる」とか「ありがたい教え」などと教祖様を拝んでいた我々元真光信者であります。そんなものを拝んでいた人間の感覚で、どんなのがまともな宗教なのかを感覚的に判断することはできません。
むしろ感覚や直観に従ったから間違えたんです。
トンデモにハマる人って論理やデータを軽視して感覚や直観を重視しがち。自分の勘がどの程度のものなのか自覚するためにも、競馬でもやってみればいいんじゃないでしょうか。
感覚や直観が現実をしっかりととらえているならば、知識も理論も統計も必要ありません。人間は感覚にだまされるからこそデータを取って数値化し、分析し、判断することを発達させてきたんです。
「昔からある神道や仏教ならいいのか?」
というと、真光を含めてそちら系のカルトはたくさんあります。
ジャンルだけでは判別できません。宗教や宗派自体はまともでも、特定の寺社はカルトに染まっているかもしれません。
とりあえず竹田研究会はやめてください。
世話になってるお寺さんがあるはずなので親御さんに聞いてみましょう。親元を離れて暮らしている人は実家と同じ宗派のお寺を探してもいいでしょう。昔から住んでいる人によく行く神社を聞いてもいいかもしれません。
地元にずっと昔からある神社やお寺に通うのでいいと思います。ある程度の規模があればお祭りをやっているはずですので、そのときに行くのでもよいと思います。
旅行でも寺・神社は人気のスポットです。観光気分で訪れたり、御朱印を集めてもよいでしょう。私はお寺で買ったお線香を居間で焚いています。
神社や寺、教会に行って雰囲気を味わいましょう。真光とどう違いますか? 清浄な空気は魔を祓っていってくれるはずです。
まともな宗教はある意味つまらないです。
当たり前のことや耳が痛くなるような正論など聞きたくないような教えばかり。キャッチーで意外性があっておもしろいようなこともないです。欲望をかなえてくれるような安請け合いもしてくれません。お金や労力を捧げても、むしろ何も与えてくれません。棚からぼた餅ももちろんくれません。
なぜあなたは救われたいと思うときに、普通の宗教ではなくカルトに惹かれたのかよく考えましょう。