真光をやめたいと思ったり、やめた後も真光を恨んだり。
ときには現役の信者をバカにしたり、人格攻撃をする人もいます。
(二世信者は別として)かつては救いを求めて入信したときの気持ちはお忘れですか?
死役所
2019年の秋ドラマでよかったのは、「死役所」。
すべての死人が訪れるお役所の物語です。
死の状況を振り返りながら申請書を書き、49日以内に成仏していくという一話完結形式のドラマです。
人の死に際はまさに人間ドラマ。
有料ですがオンラインでも視聴できます。
www.paravi.jp
カルト宗教「加護の会」
これをお勧めする理由は、カルト宗教「加護の会」が描かれるからです(9~10話)。
子供の病気をきっかけに、カルトに引きずり込まれてしまうエピソードがあります。
真光あるあるですね。
カルトのやさしさ
第9話では、加護の会に入信した青年、寺井修斗(柄本時生)のエピソード。
優秀な弟と比べられ、実家で居心地の悪い思いをしていた寺井。
祖母の付き添いで参加した「加護の会」の講演会に感銘を受けて何もかも捨てて入信する。
優しい人々に囲まれて「ありのままの自分でいられる」と幸福に過ごすが……
というストーリーです。
視聴した感想は「これは入信しても仕方ない」でした。
間違いなく寺井は幸せで、加護の会の方が「本当の家族」という状態だからです。
この場合、「加護の会をやめさせて何になるんだろう?」と思うんですよ。
批判は無力
優秀な弟は「ネットに加護の会はインチキと書いてある」とけなします。
もちろん心配して会を非難するわけですが、寺井はよけいに心を閉ざすばかり。
真光批判に熱を上げる人は、批判という行為を軽く考えすぎていませんか?
その人の好きなものや信じるものをけなす行為は、侮辱も同然です。
「こっちの水は甘いぞ」と吸い寄せられてるところに「インチキだ」と言っても「悪口を言うなんて、ひどい」としかなりません。
宗教に限らず、何かを確信した人を変えるというのは難題というものです。
簡単に変えられる程度のものは、元々信念ではないとも言えます。
例え家族であっても翻意させることは至難の業。
寺井の弟のように、団体の悪いところをあげつらったところで溝ができるのが関の山でしょう。
感情的になって対応しても、悪化するばかりで何も解決できません。
そもそも、魂や人格を外部からの働きかけで変えられるのでしょうか?
変えられるとしたら、それは洗脳ではないですか?
じゃあどうすべきなのか、というのは今も答えがありません。
帰る場所がある
もしできることがあるならば、せめてその人の居場所を作ること。
帰れる場所を残し、戻ってきたら「おかえりなさい」と受け入れてあげることではないでしょうか。
もし大切な人に真光をやめてほしいなら、真光批判だけはおよしなさい。
これが真光の罠です。
unlearn-mahikari.hateblo.jp
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