真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

御朱印帳のススメ

神社やお寺に参拝した証として御朱印をいただくことができます*1。御朱印帳仏教の納経帳が元で、本来はお経を書き写して納めた証を記録する和紙の帳面(ノート)です*2

寺社の社務所に御朱印をお願いして、数百円程度納めます。

お守りだとモノですからそんなに何個もいただくわけにも行きません。「これっていつごろ返納に行くんだっけ?」「旅先でいただいたものだけど、現地まで返納しにいくのはちょっとなあ」などと面倒ですよね。

朱印帳なら一冊で済むのでかさばりませんし、参拝した寺社の名前と日付が残ってよい記録になります。人の手で書いていただける割にはお守りよりお手頃。

私は御朱印帳で二回くらい命を救っていただいております。
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不安が強いときには枕元に置いて寝ることもありますし、お守りがわりになっていいですよ。

真光も御朱印帳が嫌いみたいですし、おススメです。

*1:お経を納めないといただけないお寺や、宗派として御朱印そのものを受け付けていない場合や人手が足りない、特別なときにしか受け付けないなどがあります。

*2:帳面に書くのではなく半紙に書いたものをくださる場合もあります。

真光が出て行く

最近は毎日のように額に塩を刷り込んでいます。
肩や背中が重くなるので、身体にも塩を振っています。漬け物になった気分です。
最近は肩だけではなく背面の太股や足首が重くなります。

「やだなぁ、真光からの攻撃だなぁ」とうんざり。
うしおさんと話して、清め塩で肩は祓われたけど、悪いものが肩より下に落ちてきたんだろうとのことでした。

ある日気づいたのです。「これは真光からの攻撃ではない」ということに。

私の中に長年住み続けていた真光の成分が、外に出て行っているのです。額から入ってくるのではなく、吹き出している。

膿を出すときには痛みを伴うもの。
悪いものを出し切ったその後は、きっと爽快な気分になることでしょう。

ブログを始めて半年経ちました

早いものでもう半年です。

何にせよ継続するというのは大変なことです。
トラブルもありましたが、乗り越えたときには必ず得るものがありました。

うしおさんをはじめとして、多くの方々に支えられてこのブログは続けてこられました。
カルトから完全に抜けるために、色々な神様仏様からご加護をいただいています。無神論者を気取っていた私も、神様の救いを感じるようになりました。神社やお寺、教会やモスクに行くと気分がすがすがしくなります。

困難に打ち克つたびに、私は神様と人々の助けと愛を感じることができます。
人のやさしさと、神様のことをより強く信じることができるようになりました。

かつての私は真光や、自分を入信させた母親を強く恨んでいました。
「こんなはずじゃなかった」「たくさんのものを失った」「人並みの青春を送れなかった」「暗い性格になってしまった」「自分に自信が持てない」「何もかも真光のせいだ」「こんなカルトに入れた親が憎い」

やめてからも10年以上憎み続けていました。
オミタマを返したから真光をやめられたとは限らないのです。

「人を呪わば穴二つ」

他人を憎むということは、自分を憎むということです。他人を焼き殺すつもりで向けた怒りや憎悪は、必ず自分自身を燃やし尽くします。
とはいえ怒りで頭に血が上ってしまうと刺し違えてもよいと思ってしまうものです。

そんな憎しみに満ちたあなたを見て喜ぶのはいったい誰でしょう?
真光の神とされるものです。

怒りや憎しみを捨て去ることは負けたような気がするかもしれません。
それは真光があなたを焚き付けているのです。
「もっと憎め、怒れ、悲しめ、呪え、そしてその業火で己自身を滅ぼしつくせ」と。

怒りや憎悪は真光のエサ

真光を怒りや憎しみで攻撃しても何のダメージもありません。それどころか喜びます。
憎しみや怒りで心がいっぱいのときには、人のやさしさに気づかないかもしれません。コーヒーがおいしかったとか、空がすっきりと晴れてきれいだったとか、そんな小さな幸せに気づかないかもしれません。
不幸とは自分で作りだしていることも多いのです。

周りの人に恵まれないのは、いつもあなたが心に怒りを抱えているからかもしれません。
人間は他人に対して受容や否定のサインをなんとなーく出しています。
人間が好きな人は、他人に対して「あなたに興味がありますよ、好感を持ってますよ」という印象を与えるような言動を取ります。そういう態度を取る人を嫌いになる人は少ないです。だから人間が好きな人は「自分の周りにはいい人しかいない」と思っています。

真光で失ったものは取り返せない?

真光に関係なく、過去に戻ることはできません。「あのときああすれば、こうだったら」、という悩みをぐるぐる回っても何も変わりません。
他人と過去は変えられません。変えられるのは自分自身と、未来だけです。

失ったものを嘆く期間は必要ですが、過去を生き直すことはできません。過去に囚われても何の意味もありません。
人間は「今、ここ」しか生きられないのですから。

つらかったことは人に話すのが難しかったら、紙に書いてみましょう。
ここのコメント欄やネットの掲示板に書くのもよいでしょう。書くことで心の整理がつきます。頭の中だけで考えても、同じことをぐるぐる考えてネガティブに傾きがちです。

心がつらいのなら精神科の門をたたきましょう。それに抵抗があるのなら、まだ真光の医療否定が身に沁みついているのかもしれません。

あなたの足で、一歩前に踏み出しましょう。

真光が避けているもの:現代医療

真光が避けているものとして、魔を祓うものとされるものや縁起のいいものを取り上げました。榊や豆まき、門松などですね。
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ほかにも避けているものがいろいろありますね。

真光の教義の特徴は、現代医療の否定です。薬や手術などの治療を信者から遠ざけます*1
「寝を楽しむ」と言うのでしたっけ? 落ち着いて考えたら苦しみを長引かせてるだけなんですよね。

床に長く伏せては仕事や勉強にも大きな穴をあけてしまいます。軽い病気でも長く休み、しかも病院に行かなかったなんてことが分かったらどう思われますか?
「治す気がないんだ」、「責任感がなくていい加減な奴だ」と思われます。

「福祉や医療で苦しみを止めたらミソギにならない」

と真光は言います。

もう本音がダダ漏れではありませんか。
要するに「苦しみなさい」というのが真光の意図なんです。真光は病気治しや奇跡で人を集めておいて本音は「不幸になれ」なのです。

病院で治療を受ければ数日で治る病気も、「無駄に」長引かせる。もっと症状が楽になるはずなのに苦しませる。
早期発見早期治療すれば天寿をまっとうできるはずだったのに、「罪が消えない」と脅し、病院に行かせないことで早死にさせる。

救急車を呼ぶべき場面で道場の人に許可を取るような奇異な行動を取ってしまう。保護責任者遺棄という倫理的にも法律的にもアウトな行動を取らせてしまうくらいに強い洗脳です。
真光の教義に反することは大切な人の命を失うことより怖いのですよ。

そもそも病院すら行かずに、救急車すら呼ばずに「助かるかどうかは神様にお任せ」というのは、神様に対して大変な失礼行為ではありませんか?

極端な言い方をすると「ゴムなしでバンジージャンプしますが信者だから必ず奇跡が起きて助かるはずです」のような主張です。神様からすればそんな横着なことを言われても「知らんがな」ではないでしょうか。

人事を尽くして天命を待つ

人間は人間の領域で、人間のできることを尽くす。
そのあとは神様に運命を任せるのが正しいと思います。

*1:薬事法に引っかからないように、手かざしと医療を十字に組むと改められました。現在はさらに軟化している模様

母の洗脳が解けるかも?

先日偶然ばったり母に出会ってしまい、仕方なく実家で夕食を食べることにしました。勝手に手かざししてくるのではないかひやひやしながら。

狂信者の妹はサイコパスなのですが、最近になってようやく母はその本性にうっすらと気づき始めたようです。母にとって腹を痛めて生んだわが子ですから、情がない人間というのは想像ができないのでしょう。
昔から妹は親を親とも思わない態度で今も母を顎でこき使っています。

余談ですが、真光信者って末端のいい人とそれを食い物にする人間に二分してる気がしますね。後者はある程度地位が上の人に多い印象です。

さて、母親への情を人質に取られ、会えば真光の罠にかかってしまうのが現状なので警戒していました。
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妹のことをきっかけに、母は真光に対して不信を感じているように見えました。

真光をやめて以来、母とは真光の話をしたことはありません。
今までは手かざししたものを食べさせようとしたり、明確に口には出さなくても真光に戻ってきて欲しいと思っているのは明らかでした。

母との食事から帰ってきても体調は悪くなりませんでした。むしろ「何も悪いことがないから変だな」と思ったくらいです。おみたまをつけてる人間と合うと体調不良になるのを覚悟しないといけないくらいなのに。
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むしろあのときオミタマをつけてなかったのかと思ったくらいです。

母を救えるのかもしれない。

一番読まれている記事

最初の頃は、恵珠さんの訃報記事が一番読まれていました。

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現在では最も読まれているのは、真光やめたい人向けの記事ですね。

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トップページを除外するとダントツの一位。
これからも「真光やめたいなぁ」という方が自分の足で一歩を踏み出せるようにお手伝いができればなと思います。

カルトは思考力を奪う

うしおさんは神道で育ちました。
神道は自由すぎてつかみどころのない宗教です。神話はありますが文字になった教え(教典)はあんまりありません。

仏教の教えの本は小さな本屋にもありますが、神道の本を探しても数も少ないですし、有名な神社の由来やご利益、お作法くらいしか書いてないです。教えが書いてあるのはおみくじの裏だけ。

うしおさんの説明だと、神道は心のあり方や生き方についての教えだそうです。
神道は自由。つまり「自分で考えなさい」ということです。「好きにしなさい。でもお天道様はいつも見てるよ」という世界観です。

「カルトは思考力を奪う」ということは知っていたのですが、自分もそうなんだという認識がまったくありませんでした。カルトに慣れ親しんでいた私は、自分で考えるということ自体がよく分かりませんでした。

うしおさんは私に辛抱強く問いかけ続けました。
「どう思う?」「どこに行きたい?」「何が食べたい?」「どっちが好き?」「やめとく?」「明日にする?」「何がほしい?」「何が見たい?」「ねぇ、どうしたい?」
「分からない、分からないよ」と答える時期が長く続きました。

真光をやめても、ずうっと私は思考停止し続けていたのです。

何を望んでいるのか、何を考えているのか、どうなりたいのか、考えようとすると暗闇に覆われます。今は楽しいのか、悲しいのか、怒っているのか、嬉しいのか、自分の感情さえ分かりませんでした。私は私のことを知らないし分からないのです。
信じるものもないまま、何から何までうしおさんに依存した生活していました。
二人で過ごせる時間が少ないと、精神的に不安定になって迷走し、更に負担をかけるありさまでした。

今も一緒に過ごせないことが多いのですが、やるべきことやしたいことを自分で見つけて、計画を立てたり実行できるようになりました。
解決に至った原因はいろいろありますが、うしおさんの愛と根気強さは一番大きな要素です。
自分の頭で考えられなかった私に、少しずつでも考えさせようと、うしおさんはそこまで計算して問い続けました。
「どうしたい?」と。

おまけ:うしおさんの言葉。
「自分の人生は自分で考えて行動するもの。他人から与えられたものは他人の人生でしかない」
「カルトは何をしたらいいのか、どう考えたらいいのか、何もかも与えてくれるから楽ちんだよ。そんなのは人間のことをバカにしている」
「でも、それは需要と供給だよ。考えたくない人はカルトにはまるの」