真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

毒入りのOS-1

母のことは嫌いではないんだけど、実家を出てからは疎遠になっています。親子なのによそよそしい間柄。

母の方はちゃんと私をかわいがっているんだけど、私が実家に近寄らないしメールの返事もそっけないです。

 

大人になってようやく、母が宗教にのめり込まざるを得ない状況だったことを理解しました。

一言で言うと父は家庭を顧みませんでした。仕事が忙しかったのもありますが母への愛情はありませんでした。奴隷みたいなお手伝いさんです。殴る蹴るとかはなかったけどねぇ……くらいのもんです。

お母さんも悪い人ではないのだよ、とうしおが言っていました。

真光に囚われた母が哀れで救いたくなりました。こういう情を、真光の神とされるものは悪用しようとします。
若いときには、真光に入信にさせられて青春を失ったことをいくばくか恨んでもいましたが、今はその気持ちは全くありません。真光隊に入隊していたら被害も増えたでしょうし、やめられなかったかもしれません。

 

母からは定期的に「元気にしてる?」とメールが来るんですが、「はい」くらいしか返事をしません。それぐらいぶっきらぼうです。

洗脳が解けたのをきっかけに「もっと母と接しよう」と思い、私としてはめずらしく電話までかけて「今度からはもっと会おうと思います」と言いました。

 

ちなみに私は夏場はかなり頻繁に脱水症になります。
気をつけてはいるものの、脱水してしまったら涼しくして食事をきちんと摂るしか対策がありません。塩分と水分だけを摂ったり、OS-1(経口補水液)は一時しのぎです。

母に電話したその日は、暑くていつの間にか脱水していました。うしおと休みが合わない日が多くて、その日も私は一人きり。塩分水分補給に味噌汁は飲んだもののなかなか回復しないのです。それは経験上かなり症状が進んでいることを意味しました。
経口補水液を買いに行く気力はもうありません。

昼間に電話した母のことを思いだし、熱中症で苦しんでいることを伝えました。鍵は渡しているし家も近いので、すぐにOS-1を二つ持ってきてくれました。

たわいのない話などして、久しぶりに親子で会ったなあと情が沸きました。具合が悪いと言ったせいか、母は黙って手かざしをしてきました。今まで会うときも、こっそりしてくることに気づいていたのですが何も言えませんでした。
しかしこのときははっきりと「手かざししないで」と言えたのです。
父を待たせているからと言って長居はせずに母は帰りました。

 

体調がいつまで経っても治りません。経口補水液二本も飲めば十分なはずなのに。食事を摂れば必ず治るからもう少しと横になっていました。

うしおが帰ってきて食事をしました。うしおがいれば精神的にかなり安心するし、食事を摂ればすぐに治るはずなのにいつまで経っても苦しい。さっきからやたらと水を飲み続けているのに……あれ? おかしいぞ?
もうのどは渇いていない。
この変な体の熱は何だ?

これはただの体調不良ではないということに、うしおが気づきました。
具合が悪くて母を呼んだことを後悔しました。あのOS-1に手かざしをしていないはずがないのです。
手かざし済みのものを飲食するというのは、こういうことなのだと体で理解しました。こんなにも悪いものをずっと額に受け続け、手かざし済みのものを食べ続けて成長し、大人になりました。

神棚を拝んでから清め塩を額に擦り込むとすぅーっと悪いものが吸い取られて落ちていきます。気持ちがよくて、うしおも私も温泉につかったときのように「あーーー」と声を出します。
この体調不良は三日くらい続いたと記憶してます。

 

真光は弱ったところを狙いに来るようです。最初はただの脱水による体調不良と区別がつかなかったのですが、次第に「こういう感じの体調不良のときは額や背中に清め塩」というのが習慣になりました。最近はそういうことが必要になる回数も減りつつあります。

私が洗脳から目覚めて、本格的に心が真光から離れ始めました。だから焦っていろいろ向こうから仕掛けてくるようになったのです。
この母による毒入りOS-1事件がその皮切りでした。