真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

真光が避けているもの:現代医療

真光が避けているものとして、魔を祓うものとされるものや縁起のいいものを取り上げました。榊や豆まき、門松などですね。
unlearn-mahikari.hateblo.jp
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ほかにも避けているものがいろいろありますね。

真光の教義の特徴は、現代医療の否定です。薬や手術などの治療を信者から遠ざけます*1
「寝を楽しむ」と言うのでしたっけ? 落ち着いて考えたら苦しみを長引かせてるだけなんですよね。

床に長く伏せては仕事や勉強にも大きな穴をあけてしまいます。軽い病気でも長く休み、しかも病院に行かなかったなんてことが分かったらどう思われますか?
「治す気がないんだ」、「責任感がなくていい加減な奴だ」と思われます。

「福祉や医療で苦しみを止めたらミソギにならない」

と真光は言います。

もう本音がダダ漏れではありませんか。
要するに「苦しみなさい」というのが真光の意図なんです。真光は病気治しや奇跡で人を集めておいて本音は「不幸になれ」なのです。

病院で治療を受ければ数日で治る病気も、「無駄に」長引かせる。もっと症状が楽になるはずなのに苦しませる。
早期発見早期治療すれば天寿をまっとうできるはずだったのに、「罪が消えない」と脅し、病院に行かせないことで早死にさせる。

救急車を呼ぶべき場面で道場の人に許可を取るような奇異な行動を取ってしまう。保護責任者遺棄という倫理的にも法律的にもアウトな行動を取らせてしまうくらいに強い洗脳です。
真光の教義に反することは大切な人の命を失うことより怖いのですよ。

そもそも病院すら行かずに、救急車すら呼ばずに「助かるかどうかは神様にお任せ」というのは、神様に対して大変な失礼行為ではありませんか?

極端な言い方をすると「ゴムなしでバンジージャンプしますが信者だから必ず奇跡が起きて助かるはずです」のような主張です。神様からすればそんな横着なことを言われても「知らんがな」ではないでしょうか。

人事を尽くして天命を待つ

人間は人間の領域で、人間のできることを尽くす。
そのあとは神様に運命を任せるのが正しいと思います。

*1:薬事法に引っかからないように、手かざしと医療を十字に組むと改められました。現在はさらに軟化している模様