真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

お雑煮の真相

真光ではお雑煮が事実上禁止されています。その理由は初級研修で習います。

記憶があやふやですが、真光での設定を説明しましょう。正神(真光の神)が神の台座に座っており、この世を支配していました。しかしその座を副神に明け渡したと説明されます。

正神が引退された後に残された龍体(正神が活動するための体)の眼球に柊の葉を刺した名残だと初級研修会にて教えられる。さらに、副神が正神の龍体を切り刻んで臓物を煮て食べてしまった名残が正月の「雑煮」だとされている*1

この話はいったい何を意味するのでしょうか?

龍体は教祖本人のことでしょう。
岡田光玉は世界救世教に入信後、西荻窪支部長にまでなります。霊的なことに興味を持ちすぎることを注意され、最後はセクハラで解雇されました*2

「台座を追われる下りはこのことを指している。セクハラは口実で、権力闘争に負けたんでしょ」とうしおさんは読み解きました。

「臓物を切り刻んで喰われる」という恨みに満ちた強い表現を使っているところに特徴があります。
人間の悩みに大してバリエーションはありませんので、人間関係に問題があったと推測するのが妥当です。何らかの裏切り行為があったと光玉は感じたのでしょう。いわゆる断腸の思いです。

「腸を切り刻んで食べるようなひどいやつらだ」という印象を与えるためでもあるでしょう。

さて、お雑煮はお正月の風習です。これは本来的な意味では「正しい行為」であり、真光的には「間違ったもの」を象徴しています。
「雑煮になった=正しくなった」

かつての取り巻きが救世教に残ったことを裏切りと感じたのかもしれません。活動するための体ですから、浄霊(手かざしの元ネタ)を奪われたという意味もあるでしょう。

聖書の抽象的な話に史実が含まれていることがあるように、真光の教義にもその歴史があります。そんな風に考えてみるとおもしろいかもしれません。

私の考えを述べましょう。
光玉の教えはそのへんの飲み屋で酔っぱらってるおっさんのノリで、しょうもないダジャレがたくさんあります。
多分、雑煮と臓物程度の思いつきが始まりでしょう。

*1:崇教真光 - Yourpedia 2017年1月18日閲覧。

*2:☆崩壊した真光の基礎☆ 2017年1月18日閲覧。 ■■■ 真光関係者集合!!(8)■■■ 2017年1月18日閲覧。