真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

真光が豆まきをしない本当の理由

真光が特に嫌いな神事が豆まきです。
記憶があやふやですが、こんなエピソードだったと思います。

本来は真光の神が統治し、神の台座に座っていました。しかし人間に物質文明を発展させるために他の神様に台座を明け渡すことになりました。

台座を降りるときに「いつ戻れるか」と聞いたら他の神様から「炒り豆に花が咲くころ」と豆を投げつけられました。
「炒り豆には花も咲かぬ」とはありえないことを意味するので「二度とない」という返事です。

そういういきさつで真光信者は豆まきをしません*1

うしおさんにこの話をしたら以下のような霊感コメントをくれました。

「神様というのは、『物質文明を発展させる』といった人間的な欲望はない。このことからこのお話は神様ではなく人間、つまり教祖が考えた話だということが解る。要するに豆を投げつけられたのは教祖」
このエピソードは「正しく神様を崇拝しない私利私欲の光玉は台座を追われた」というお話なのです。

救世教の西荻窪支部長にまでなったのに、霊動に興味を持ち過ぎだと注意され、セクハラで罷免されましたから、台座=救世教での地位でだいたい合ってるんですよね。

本来ならば豆は芽を出し、花が咲き、実を結ぶものです。ここでは豆は神様を意味します。

炒り豆とは「欲望という火を通してしまって花が咲かなくなった」ものです。この台座を降りるくだりは教祖が「金儲けという欲を信仰に持ち込んだ結果、非難されたことを表している」とうしおさんは言います。
そういえば真光は火の神を自称していますから話が通ります。

光玉は救世教の方針に反して霊動が起きやすい手かざしを続けていました*2*3

光玉はなぜ霊動に興味を持ったかというと、単なるオカルトだけではなく金儲けに使えると踏んだからです。興した真光では霊動の激しさを売りにしていました。
unlearn-mahikari.hateblo.jp

だから救世教の方針にも従わなかった。信仰心より商売を選ぶあたりがビジネスマン光玉です。

うしおさんには教祖の過去や火の神について説明していないのですが、何故か言い当てました。
「炒り豆ですべて解った。所詮は人間の浅はかな知恵でできた教えだからすぐ解る。古代神はわけがわからん」と言っていました。

*1:真光が鬼だからしょうがないね。 unlearn-mahikari.hateblo.jp

*2:☆暴かれた真光 日本語版☆  2017年1月22日閲覧

*3:「眉間に手かざしをすると霊動が起きることは、分派元の世界救世教や大元教でも確認されているが、信者が発狂し自殺したため一切禁止された。しかし、真光系教団ではそのような危険な事を平然と行っている。」 崇教真光 - Yourpediaより引用。2017年1月22日閲覧