2023年は受難続き
昨年はあまりうまくいかないことが多く、様々なものを失いました。
信頼、金銭、健康。
「旅行をやめたのが原因ではないか?」
と思い至りました。
普段から地元の氏神様に参拝しているのですが、それだけでは足りませんでした。
地元から遠く離れないと、私は自分を見つめ直すことが出来なかったのです。
信仰の深い土地
かつての城下町は閑として、観光客も少なく大人しいものです。
小さな神社、道路脇の祠、個人宅の小さな祠。
すべてが丁寧に祀られており、町全体が信仰深い土地柄のようです。
神社では代々の藩主がご祭神様として祀られ、ずいぶん領民に慕われていたようです。
見知らぬ旅人にまで挨拶するような、礼儀正しい方々でした。
マリア観音を求めて
歩いて回れるくらいの小さな町並みに、キリスト教会が何軒かありました。
山間の教会が目的地でしたが、その前に別の教会にも寄り道しました。
敷地内にはちょっとした歴史博物館があり、メダイや書籍、手作り雑貨などが売られていました。
「お目当ての教会で買えばいいか」
と思っていたら、うしおが
「山の上の教会にお土産売り場はないから、ほしいものはここで買いなさい」
と言いました。
「山の上の不便そうな場所だし、土産物屋などという観光地らしいお店はないかもしれない。
教会についての歴史博物館がわざわざ麓にあるのだから、現地にはないだろう」と考えたようです。
後から思うとマリア様からの伝言だったのかなと。
買い物という細かいところが女性らしい気遣いです。
ちなみに教会以外の土産物屋も「代金はここに入れてください」という無人販売
形式だったので治安がよさそうでした。
教会内は誰もおらず、キリストの受難――イエスが十字架を背負い歩き、処刑されるまでを描いた絵画が飾られていました。
山の上の教会
手すりはあるものの、道は整備されていませんでした。
「財布と携帯以外置いてくればよかった」
きつい上り坂を中程まで上る頃には息を切らし、どうしてこんな重いカバンのまま上ってしまったのかと後悔しました。
視界の半分は山肌に覆われ、残りの半分は柵もない崖。
落ち葉は掃き清められており、人のいた残り香がありました。
登り切ると石碑があり、雨水を布で拭き取った痕跡がありました。
顔も知らないその人の、ここを大切に思う気持ちをくみ取ることができました。
幕府の迫害から逃れ、山の中に隠れて信仰を護り続けていた信者たち。
宗教弾圧の歴史を遺すこの場所は、なんとも言えない沈痛とした空気が漂っていました。
うしおが「納得してない空気を感じる」と言っていました。
教会内には観音様に偽装されたマリア像は優しく微笑んでいました。
かつて虐げられた人々にもそうしていたように。
神とは生き霊のようなもの
天神さまの研究によると、各地に残る伝説がすべて事実であるならば、太宰府にたどり着くのに何年もかかってしまうそうだ。
史実の道真公は1ヶ月程度で太宰府に着いている。
同じように、キリスト教のイエスさまと史実のイエスでは相当の違いがあるはずだ。
神は概念のようなもの。
概念として存在するから、史実と違っていても問題はない。
人々は癒やしと許しを彼らに求めた。
その思いが、ある意味で生き霊の集合体のようなパワーを持つ。
人々が願う限り神様は存在する。
その神様の力が宿るのが教会。
神様は本当に覚悟が決まった人の前にしか姿を見せない。
ただし苦境そのものを取り去ることはしない。
信者たちも覚悟決めてるから、別にそんなことも望んでいない。
うしおはそんなことを語っていた。
受難の説明
「彼らの大変な受難を通して、tenさんも昨年は色々受難だったねと説明してくださったんだ」
私が日々悩まされてることは些末で、どうでもいいことに振り回されすぎていると気づきました。
「小者にいちいち腹を立ててないで、もっと気高い人々をご覧なさい」
人は過ちを犯すもの。でも改めて行きましょう。
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