真光の経典で「ありてあるもの」というフレーズがあったような気がします。
毎度のことで申し訳ありませんが、記憶も薄れ経典も手元になく確認ができません。「そんな言葉は載っていない」ということでしたらお知らせください。
出エジプト記
元ネタはユダヤ・キリスト教の経典、旧約聖書の出エジプト記です。
モーセがヤハウェの名前を尋ねたときの回答が「ありてあるもの」。この意味を答えられますか?
様々な訳し方をされており、統一見解はないようです*1。
「私はなる、私がなるものに」(岩波訳)
「私はある。わたしはあるという者だ」(新共同訳)
「わたしは、有って有る者」(口語訳)
「わたしは自分がなるところのものとなる」(新世界訳)
「『ある』の方だと『オレはとにかくスゲエんだぞ』『オレは常に共にいるよ』辺りの解釈。『なる』の方だと『オレが何になるかはオレが自由に決めるんだ』くらいの解釈です。後者は名前によっと属性を限定されることを嫌っている??(エホバの証人は『神は必要に応じて色んな役割を担う』といった理解)」
「バカダークファンタジー」としての聖書入門P38より
多分、光玉氏はかっこよさそうな雰囲気で持ってきてしまったんじゃないでしょうか。
基本的に神道や仏教ベースの教えが多いようですが、キリスト教も勉強をして教義に取り入れていったのでしょう。
キリスト教の中でも「三位一体」などの日本人になじみの薄いものは取り入れなかったようで、そこは彼のセンスだと思います。
「パクリだ、コラージュ教義だ」などと批判的な気持は沸いてきません。光玉氏は好奇心から色々なものを無邪気に取り入れて、結果的につぎはぎのカルトが出来上がってしまっただけなのかもしれません。
彼も一人の人間です。
神格化して祭りあげることも、悪魔化して貶めることも間違いなのではないでしょうか。
そしてその方向に誘導しているのは誰なのか、考える時期ではありませんか?
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