真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

真光への感謝状

以前、「真光に対して感謝を捧げれば最高の復讐になるだろう」と述べたことがあります。

今やトゲがだいぶ取れてきましたので、「復讐」という物騒な言葉が不似合いになりつつあります。

真光に対する恨みでいっぱいの人には是非実行していただきたいのですが、真光のことを恨むよりあなたが幸せになった方が「復讐」になります。

なかなか相手の立場になって考えることは難しいです。
あなたがひじょうに恨んでる人間のことを想像してください。一人や二人、絶対に許せない人がいるでしょう。
その人があなたのことを憎んでいる場合はどんな気持ちになりますか?
今度はその人があなたにしたことを忘れて幸せに暮らしていたらどう思いますか?

これが「幸せになった方が復讐になる」という意味です。

真光は試験のようなものです。
勉強するのは苦痛ですが、試験がなければ身につきません。

私も人間ですから、試練はつらくて逃げ出したいものです。でもやがて勝利した暁には必ず何かを学び取っています。
チャンスはピンチの顔をしてやってくるとはよく言ったものです。

信者時代の苦しかった子供時代を含めて、私は本当にたくさんのことを真光から学びました。それは日々増え続けています。
この経験がなければ今ブログも書いていません。神話に親しんだり、寺で安らいだりしていません。

これはただ蝶よ花よと甘やかされて日々を楽しく過ごしていたら得られなかった経験です。
昔は出来なかったこと、理解できなかったことや受け入れられなかったことが今は出来ます。

真光は苦しめるつもりで攻撃をしてますが、私はそれを成長の糧にすることができます。
私の人生に不要なもの、取り除きたい過去は何一つありません。

真光に対してはけっこう感謝しています。
曇り一つない純粋な感謝にまで達するといいですね。