真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

神社検定弐級 中だるみ対策とこれからの勉強計画

勉強の進捗状況

問題集の第6回から第2回までの4回分を一周しました。
神社検定に限らず、試験の二ヶ月前に問題集を一周するというのは理想的なペースです。

中だるみ

問題集を一周し、いったん区切りがつくと起こるのが中だるみ。
昨年の参級のときもそうでした。
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神社でおみくじを引いたら「早急に目標を立てて全力を尽くせ」と書いてあり、あわてて計画を立てました。
見てきたように的確なアドバイスをくださいますよ。

去年の記事にも書きましたが、勉強は計画が肝要です。

勉強の計画

神社のいろは 続

基本的には「神社のいろは 続」から60問程度出題されます。
ここを中心に最低50点は取れるように勉強していきます。

神社検定公式テキスト3『神社のいろは 続(つづき)』 (神社検定公式テキスト 3)

神社検定公式テキスト3『神社のいろは 続(つづき)』 (神社検定公式テキスト 3)

第2回から6回までを比較すると気づきますが、年々難易度が上がっていきます。
赤字以外の出題が増えました。
選択肢が長文になり、「間違ったものを選びなさい」が増していきます。

さて、問題を解いたら、正解の選択肢だけではなく他の選択肢もすべて調べます。
そして教科書にマーカーを引き、第何回の何問か書き込みます。

すると、同じ箇所が複数回出題されていることが分かります。

具体的に言うと「中臣祓訓解」は第2回、5回、6回に選択肢として出題されています。
三輪流神道や橘家神道教派神道も2回ずつくらい出ました。

ざっくり言うと纏向遺跡、中世と近世は問題が集中しています。
まったく同一の問題とまではいかずとも、同じページから問いが出されることは多いのです。

教科書に仏教の子細な解説はありますが、出題はされないだろうなあと予想しています。
ただし、山王神道両部神道は複数回出題されています。神道の仏教との関係は大事なのです。

問題集は二周目からは、間違えたところは問題集に印をつけていきます。
直前の振り返りがやりやすくなります。

補足:出題されるわけではありませんが、解説を読むためにも「神社のいろは」と「神話のおへそ」は必要です。

神社検定公式テキスト1『神社のいろは』

神社検定公式テキスト1『神社のいろは』

神社検定公式テキスト2『神話のおへそ』

神社検定公式テキスト2『神話のおへそ』

日本書紀

神社検定公式テキスト?『神話のおへそ『日本書紀』編』

神社検定公式テキスト?『神話のおへそ『日本書紀』編』

30問くらい出題されます。
まずは去年の第6回参級の問題のうち、日本書紀の部分だけをやります。
第6回 神社検定 問題と解説

第6回 神社検定 問題と解説

過去問の参級と弐級の問題を見比べたことはありませんが、さすがに全く同じ問題は出ないんじゃないかなぁと思います。

日本書紀は、古事記古語拾遺と内容が似ているので、過去問はそこを重視します。
これは去年の参級と同様ですね。

ただし古事記日本書紀では内容が少し違います。
教科書の解説の本文だけでなく、段ごとの最後に古事記日本書紀の違いのまとめがあるので、そこは要確認です。

皇室

皇室 Our Imperial Family 第75号 平成29年夏号 (お台場ムック)

皇室 Our Imperial Family 第75号 平成29年夏号 (お台場ムック)

皇室 Our Imperial Family 第76号 平成29年秋号 (お台場ムック)

皇室 Our Imperial Family 第76号 平成29年秋号 (お台場ムック)

皇室 Our Imperial Family 第77号 平成30年冬号 (お台場ムック)

皇室 Our Imperial Family 第77号 平成30年冬号 (お台場ムック)

皇室 Our Imperial Family 第78号 平成30年春号 (お台場ムック)

皇室 Our Imperial Family 第78号 平成30年春号 (お台場ムック)

これが一番対策しづらいのではないでしょうか?
そもそも1,728円×4冊で6,912円にもなります。
雑誌の記事という特性上対策がやりにくいのです。
かといって弐級は難しいので、10点も捨てるわけにはいきません。

実は出題範囲はある程度決まっており、P20以前とP70~P100あたりが中心です。
問われるのは主に神様のお名前、神社名、地名、祭りの名前やしきたりなどです。
「神社のいろは」の内容を覚えていたら。「皇室」を読まなくても答えられる問題は多いです。

本文よりも記事のタイトルすぐ左に書かれた、短い要旨の文からの出題が多いです。

第6回は10問のうち6問が皇室71号(平成28年夏)から出題されていて、偏りがあります。
これは神武東征の特集だったからです。神話の記事なので出題しやすかったのでしょう。

第3回と4回は各号から均等に出題されていますが、5回6回からは出題される号に偏りがあり、問題が出ない号もあります。

もちろんムック4冊分ともなるとかなりの分量があります。
読んだ人へのサービス問題と割り切って、全問正解を目指さないようにするのがコツです。

70点取れれば合格なんですから。

「神社のいろは続」は60点中50点、日本書紀は30点中20点、「皇室」で10点中7点。
このくらいを目安に頑張ろうと思います。

春に目覚める山の神

うしおさんは定期的に山に吸い込まれてしまいます。

さて、冬場は山がらみの事件はあまりありません。

湿度の問題なんでしょうか?
昔話にも、雨が降ると妖怪が山から下りてきて村まで来る話がありました。
雨で境界線が乱れるんですかねー。

暖かく過ごしやすくなってきました。
春の花が咲き始めると山も活動を始めるようです。

うしおさんと、「明日は某チェーン店でごはんを食べよう」という話しをしました。
翌日車に乗ると、うしおさんはお店と反対方向に行きます。

そのチェーン店は近くに二カ所あります。
近い方に行くという話だったのに、何故かうしおさんは遠い方の店に行きました。

そのお店の近くにあるんですよ。
なんだかよろしくない神社で以前うしおさんを呼び寄せた山が。
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後でうしおさんに聞いたら、なんでかこっちの遠い店に来てしまったそうです。
「呼ばれたんだろう」と言っていました。
お店の横からその山が見えますが、どうにも林の間からじっと視線を感じます。

うしおさんは「多分春になったから動き始めたんだと思う」と言っていました。

山の神様は春になると降りてきて田んぼの神様になるそうです。秋にまた山に帰ります。

山も冬眠して春に目覚めるんでしょうね。

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うしおを引き剥がす

皆さん神社検定の勉強はしていますか?
私は大神のトロフィーがあと一つでコンプリートです。


Nintendo Switch『大神 絶景版』 プロモーション映像

うしおが邪魔

大きな神社に行く日が近づくと、うしおさんと仲違いすることがあります。
我に返ればだいたい真光の罠です。

今でも特定のテーマの記事を投稿した後には額がむずむずしたりします。
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真光が嫌がってるんでしょうね。やっぱり元信者には恨み苦しんでいてほしいんでしょう。

憎しみに支配された人生なんてどう考えても不幸です。そりゃあ真光も腹を抱えて笑いますよ。

思い返せば現役信者の母は、よくうしおさんの悪口を私に言いました。
それでよく喧嘩になったものです。
こうやって私が一番嫌がることを真光はやらせていました。別れてほしかったんでしょうね。
近年うしおさんの霊感が強くなったせいか、真光にとっては邪魔なんだろうなぁと感じます。

真光をやめられていないことに気づいたのもうしおさんのおかけですし。
神社に時々参拝して真面目に神棚も拝むようになりました。

明るく楽しく生きていきましょう。

教祖の人格、教団の性格

組織は統率者のカラーに染まるものです。

宗教団体は保守寄りが多いので女性差別に容認的な傾向があります。
真光は逆に女性が男性を虐待してる話がちらほらありますね。
ameblo.jp
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うちの妹の真光夫妻も、妹の方が夫を虐待して奴隷みたいな扱いをしてます。
そりゃあストレスで早死にもするでしょう。
memo.kouheibun.com

会社など団体にも性格と言いますか、傾向のようなものが出てきます。

初代光玉氏は軍人と経営者。欲のあるギラギラした感じです。

二代目恵珠氏はきっと男性に恨みがあったんでしょうね。
求心力があり教団を大きくした功労者だと思います。

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二代目が亡くなる少し前くらいにやっと「真光をやめられていない」ことに気づいたくらいです。
その後は(元)信者の方もちょっと精神的に落ち着いてきた感じがあります。
それぐらい影響力の高い人間でした。

光玉氏と恵珠氏は、タイプは違えど二人ともカリスマ。
三代目は「俺の方が初代より優れてる」と思ってるから粛正したり教義を変えたりするのかな?

二代目は「ネットのことなんぞ歯牙にもかけない」というどっしりと構えた感じがありましたので、相当に器が違います。

このままだと一万人以下の細々とした団体になりそうです。四代目まで保つのかな?
人数が減るときには当然ライト層から脱落していきます。
反面、狂信度の高い崇拝者だけが残りその比率が上がっていきます。

先鋭化されてカルト濃度が上がるので、早めに逃げておきましょう。

真光のやめどき

そろそろ春ですね。

進学や就職で実家を離れる人も多いでしょう。
転勤で新しい土地に行く方もいるはずです。

こんなときは真光と自然に離れるチャンス!

心機一転。
新しい人生を歩みましょう。

戒告

真光小ネタのお話。

真光において不幸現象は戒告と言われています。
霊が何らかの訴えを気づいてもらうために不幸を起こすのだそうです。
例えば、真光的に正しい先祖の祀り方をしてほしいから祟って病気や家庭不和を起こすなどです。

その考え方の正誤は横に置きます。

「戒告」の本来の意味は失態や過失に対して戒めること。
経営者が従業員に対して出すものです。

光玉氏は会社をやっていたことがあるんでしたね。
こういった言葉一つ一つにも本人の人生や経験が現れるのです。

真光こんなにヒドイ! が駄目な理由

真光批判の罠

感情的になる

だまされたことに気づいて、まずは怒ったり悲しんだりするでしょう。
人間ですから恨んで当然です。

しかしあまりにも長期間、感情的になり続けると心身によくありません。
涙を拭いたら立ち上がりましょう。もうどこにでも行けるのですから。

そろそろ日本人女性の平均寿命も90代になろうとしています。数十年単位の回り道もそれほど致命的な無駄ではありません。

過去に戻ることも変えることもできないのですから、恨みを燃やし嘆いたところで無駄な感情のコストを支払ってるだけです。
人が苦しんでるのを見て喜ぶような神が満足するでしょう。

復讐という正義

復讐とは、正当性があると確信できる暴力です。
発散は必要ですが、怒りは怒りを呼びます。
暴力は振るってもたいしたストレス解消になりません。
アルコールやギャンブルと同じように「やらずにはいられないこと」であり、依存症だと思います。

誹謗中傷や物理的な暴力ではなく、損害賠償など正当な法に基づいた復讐を選択しましょう。
人類は個人間の復讐を捨てて、第三者に委ねて公平な処罰を下すこと選択しました。
復讐の連鎖や弱肉強食を避けるためです。

むしろ誹謗中傷なんぞで何かやったような気になってしまうことの方が危険です。
何を見失っているか分かりますか?
それが真光の罠です。

脅しは無意味

「真光はこんなにひどいところだ、恐ろしいところだ」と恐怖をあおるような言い方も、やり過ぎれば逆効果になると思っています。

脅して不安にさせるのはカルトの手口です。
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カルトからの救済を目指すのなら、同じやり方を取るべきではありません。
今感じている恐怖よりももっと強い恐怖を与えてコントロールするのって倫理的にどうなんでしょう?
もっと強い脅しをかけるカルトが現れたら、その人はそちらに流れていくでしょう。

つまり問題は何も解決していないのです。

もちろん被害者を救いたいという善意から、必要以上に真光への誹謗中傷や恐怖で脅すようなことを言ってしまうのでしょう。
正義は暴力の免罪符です。

ただ、「私はつらかった」とだけ言おう

「真光批判しちゃいけないの?」
「誰かが今も傷ついているのに放っておくのか?」

人間は誰かを責めるとき、相手を主語にする傾向があります。
「お前のせいだ」「あなたがああ言ったから」「真光に大切なものを奪われた」

これは文字通り主役が自分ではない状態です。それが被害者意識の問題点です。相手の言動にただ振り回されて、自分で自分の言動を選択できていません。
「ああされた、こうされた」というのは現実に対して受動的です。それはただの反応です。

相手が何をした、どう言った、はそれほど問題ではありません。それはすでに起こった過去のことなのですから。
今から自分が何をどうするかが課題なのです。

具体的な話をしましょう。
真光で起きたことや受けた仕打ちを語ることには何の問題もありません。
愚痴をどこかに記録するだけで、それは信者予備軍へのワクチンとなるでしょう。

ただ語るときに少しだけ意識してほしいのです。
「私は真光でこんなことがあってつらかった」と自分を主語にすることを。

些細な違いに見えるかもしれませんが、このようなことで少しずつ「自分の人生を生きること」を取り戻していきましょう。