真光やめたら幸せになりました

真光抜けて十数年経ってようやく洗脳が解けました。

初めてのお祓い

うしおと二人で山の神に殺されかけたというわけのわからない事件がありました。
unlearn-mahikari.hateblo.jp

うしおの方が山に魅入られてしまい、これはきちんとお祓いしてもらった方がいいという結論になりました。

私は真光関係でトラブルがあり、非常に悔しい思いをしました。しかし結果的にはそれで洗脳から目が覚めたのだから「災い転じて福となす」ですねえ。

実家を出ても手かざしした米を食べ続けたせいで、なかなか本当の意味では洗脳が解けていませんでした。私は精神的に不安定で怒りっぽくて、よくうしおに当たり散らしていました。うしおが仏様並に人間ができており、ずいぶんと耐えて愛情を注ぎ続けてくれ、私の心は愛で満たされたのです。
私は特に秀でたところはないのですが、うしおは「tenが好きでいてくれたら、それで十分なの」と言います。見返りを求めない愛です。

うしおの家は神道なので、我が家にも神棚を備えました。自分は長い間無神論者でして、どうにも恥ずかしくてほとんど手を合わせませんでしたが少しずつ拝むようになりました。仏教と違って金が掛からないのが気に入りました。
別段怪しい新興宗教ではなく、千年以上昔からある普通の氏神様です。うしおと住むようになってからは初詣にも行くようになりました。そうやって少しずつ神道に親しみを持つようになったのです。

山の神騒動が起きてもはや神様にすがる以外の手段がなくなりました。危険なのは分かっているのにうしおはあの山に行きたくなる。やたらと背中に清め塩をかけてはシャワーで流すことが増えました。一時しのぎにはなってもそれだけでは神クラスの憑き物を祓うことができるわけもなく、お祓いに行くことで話が決まりました。
私も真光から抜けて真光の神とされるものが自分を奪い返しにきたのを感じました。やたら霊的な意味でトラブルが多いのです。洗脳が解けてある意味真っ白になっていろんなものが寄りつく感じがするし、ここは二人そろって祓ってもらってすっきりしましょうということになりました。

ちなみにうしおに頼んで例の島に関する本を図書館に帰してもらったのですが、何冊か借りたうちの山の本だけが行方不明になりました。ハードカバーの本ですからそれなりに目立つ大きさなのに家や車の中を探しても見つかりせまんでした。お祓いに行くときに、まるで縁が切れたのを知らせるかのように車の中から見つかりました。そこはとうに探したはずなのに。うしおは捜し物担当の人なのに今まで見つけられなかったのは不思議なことです。

その日は朝早く神社に行きました。気温が上がりきる前で過ごしやすかったです。
鳥居をくぐり境内の中に入ると結界内に入ったのが分かります。社務所でお祓いを申し込みました。神主さんらしき人が横を通り過ぎておはようございますと声をかけてきます。
お祓いのどのジャンルで申し込むかバタバタして、うしおが「悪霊祓いをお願いします」と言うと巫女さんが「除霊はやっていません」と慌てて否定します。たぶん法律的に除霊と言う言葉が使えないのでしょう。
「いや人間の霊じゃなくてカルトの縁だよ」と私も慌てふためきます。結局「除災招福」とだけ書きました。
うしおが「細かく書かなくても神様は分かって下さるはずだよ」と言っていました。

神主さんと巫女さんが神社の本殿の横で立って迎えてくれまし。夏衣は薄い紫の透ける素材で美しいものでした。
「暑い中をよくお越しくださいました」と向こうから感謝の言葉をかけてくれまし。あれは力が強い人だなと思いました。
かたや山の神に取り憑かれ、かたや邪な神に憑かれているのです。ダブルでやばいお祓いなど依頼される機会もそんなにないでしょう。「たぶん一番強い神主さんだったんだろうねえ」と後で二人で話し、ホームページで確認したら実際に一番えらい神主さんでした。何の巡り合わせなんでしょう。

「あ、これは強いとても強い」
薄暗い本殿の中は特に強い力で満ちています。本当に神様の領域に足を踏み入れたなあという感じがしました。薄暗い中はろうそくの明かりのみで、この中だけは平安時代で止まっています。暑いさなかでも風通しはよく、思ったより涼しかったです。
お祓いの言葉はよく聞き取れなかったものの「邪な教えに惑わされ」とだけは聞き取れました。巫女さんから聞いたのかもしれませんが、きっと何も言わなくても分かってくださったのだと思いたいです。
住所と名前を読み上げられ、どうもピンポイントでお守りくださるようです。
指示を出す巫女さんは社務所のバイト巫女さんとは雰囲気が違います。
太鼓の音がどぉんどぉんと響きわたり、笛の音が登っていきます。シャンシャンという鈴の音が頭上で鳴り、祓われてずいぶんと清らかになり、まるで生まれ変わったようにすっきりとしたのです。
最後にも来てくれてありがとうと言う主旨の言葉をいただき、感謝するのはこちらなのにと涙がでるほどうれしかったです。
うしお曰く「あの神主さんは力がすごくて光そのもののようだった」。お祓いが始まってもうしおの頭の中で「こんなことをしても無駄だ」という声が聞こえたそうですが鈴の音あたりで完全に消えたそうです。
お守りの木の札と、おさがりの食べ物と肌守りをいただきました。

このときにおみくじを引きました。いつも占いのところばかり見ていましたが、ふっと裏面に書いてある「神の教」を読んでみました。こちらの方が大事なんですね。

 何をするにも神様相手、人が知ろうが、しるまいが
神様が見ていらせられる。神様は、言う事、なす事、思うこと、見ぬき見透しに、心の底の底までも、見て居らせられる。人は知っても知らないでも、神様を御相手に、世のため、人のため、清い正しい心で尽くしましょう。神様は必ず正しい者に御味方下さる

これがこのブログを始めた理由です。
お祓いの後は涙ぐむほどに感謝の念が沸いて、多幸感に包まれました。このときの気持ちを忘れないようにしたいものです。

真光は私から何も奪えませんでした。私を幼いうちに勝手に入信させた母のことは、もはや恨んでいません。無駄にした時間と金と人生に執着してもいません。今が幸せだからです。
今が幸せならば、過去の苦しみは決して無駄ではなかったと確信できます。昔の経験を生かしてこのブログを綴っています。

誤った道を歩んできましたが、数十年などは神様から見れば一瞬でしょう。いつも困ったときは必ず誰かが助けてくれる人生でした。うしおとの同居がなければ真光漬の実家から出ることもできませんでした。お陰でカルトと縁が切れ氏神様にたどり着くことができました。うしおは神様からの使いみたいなものです。

真光の嫌いなものは正しい信仰心です。恨まず、怒らず、責めず、ただ優しさと正しさでこのブログを続けられたらいいなあと思います。
あなたの幸せをお祈りします。