真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

信者の妹

妹から久し振りにLINEが来て「会わないか」と誘ってきます。この流れは絶対に行ったらダメなやつだなあと思い断りました。

たった二回のLINEのやりとりで疲れてその日は早く寝ました。あんな単文でこれだけダメージが与えられるってどんだけ邪悪なパワーなんでしょう。

母の心が真光から離れていることに気づいたのでしょう。妹は危機感を感じて私を取り込もうとしています。

二代目が死んでからしばらく経って信者も冷静になり始めた頃です。三代目はあまり求心力がないらしいので、母の洗脳が解け始めたのかもしれません。
二代目は批判サイトを歯牙にもかけませんでした。そんなもので揺らぐような弱い霊力ではありません。

信者が減っても残ることで、妹はますます選民思想を強めています。
妹には二代目がとり憑いているのではないかと思うことがあります。三代目があんな感じなので四代目を探しているのかもしれません。
二代目が死んでからもっと妹のパワーが強くなっていることを感じます。

真光の罠:洗脳から覚めた

真光小咄2。

二世組み手のB子さんは、元々熱心ではない信者です。親に言われていやいや真光隊に参加したり、本山に行かされたりしていました。
道場で嫌なことが続き、ふとした思いつきから手元のスマホで真光のことを検索しました。

Yahoo!知恵袋を見ているうちに自分が騙されていることに気づきました。

B子さんの心の中は怒りで満ちました。
真光尽くしの家庭に笑いはなく、お金も時間も奪われていました。マンガやゲーム、テレビの話題を友達と共有できず、学校ではいじめられることもありました。真光以外のことを知らないのでなりたい職業も思いつかず、進学費用は親が真光に奉納してしまいました。

「こんなに不幸なのは真光のせいよ! 真光が全部悪い。こんなものに入れた両親なんか大嫌い! 二度と顔も見たくない」

オミタマを投げ捨てました。それからは毎日親に悪態をつくようになりました。
家族間の憎しみがこじれていく様を見て、真光の神とされるものは満足そうに笑うのでした。愛を嫌い憎しみを主食とする邪な神の姿がそこにあります。

真光の罠:おみたま返しました

真光小咄

おみたま返して即終了?

母親の意思で二世信者となったA子さん。
A子さんは都会で就職し、やがて恋をして結婚することになりました。
夫となる男性は真光によい顔をしませんでしたが、家族を巻き込まないことを約束してめでたくゴールイン。

信者ではない男性と暮らしているうちに、A子さんは真光に疑問を感じるようになりました。
ネットで検索しているうちに批判サイトに行き当たり、教祖の経歴や教団の分裂問題、教義のでたらめさについての記事を貪るように読みました。

「インチキ宗教じゃないの」と気づいたA子さんはさっさと教団に退会届けを出し、オミタマは燃えないゴミに捨てました。

「真光やめた! せいせいしたわ」

そしてA子さんはまた楽しく日常生活を送りましたとさ。
真光の神とされるものは、そんなA子さんを見てほくそ笑みました。

第一の罠

「オミタマ返してハイ終了」ではありません。私はこれを10年以上勘違いしていました。
真光がねじ曲げた教えや、人生の考え方を植え付けているので、それを一つずつ検証し、誤りを正していかなければなりません。
自分の中に染み着いた真光を追い出し終わってようやく真の意味での脱会が完了するのです。

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御朱印帳のススメ

神社やお寺に参拝した証として御朱印をいただくことができます*1。御朱印帳仏教の納経帳が元で、本来はお経を書き写して納めた証を記録する和紙の帳面(ノート)です*2

寺社の社務所に御朱印をお願いして、数百円程度納めます。

お守りだとモノですからそんなに何個もいただくわけにも行きません。「これっていつごろ返納に行くんだっけ?」「旅先でいただいたものだけど、現地まで返納しにいくのはちょっとなあ」などと面倒ですよね。

朱印帳なら一冊で済むのでかさばりませんし、参拝した寺社の名前と日付が残ってよい記録になります。人の手で書いていただける割にはお守りよりお手頃。

私は御朱印帳で二回くらい命を救っていただいております。
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不安が強いときには枕元に置いて寝ることもありますし、お守りがわりになっていいですよ。

真光も御朱印帳が嫌いみたいですし、おススメです。

*1:お経を納めないといただけないお寺や、宗派として御朱印そのものを受け付けていない場合や人手が足りない、特別なときにしか受け付けないなどがあります。

*2:帳面に書くのではなく半紙に書いたものをくださる場合もあります。

真光が出て行く

最近は毎日のように額に塩を刷り込んでいます。
肩や背中が重くなるので、身体にも塩を振っています。漬け物になった気分です。
最近は肩だけではなく背面の太股や足首が重くなります。

「やだなぁ、真光からの攻撃だなぁ」とうんざり。
うしおさんと話して、清め塩で肩は祓われたけど、悪いものが肩より下に落ちてきたんだろうとのことでした。

ある日気づいたのです。「これは真光からの攻撃ではない」ということに。

私の中に長年住み続けていた真光の成分が、外に出て行っているのです。額から入ってくるのではなく、吹き出している。

膿を出すときには痛みを伴うもの。
悪いものを出し切ったその後は、きっと爽快な気分になることでしょう。

ブログを始めて半年経ちました

早いものでもう半年です。

何にせよ継続するというのは大変なことです。
トラブルもありましたが、乗り越えたときには必ず得るものがありました。

うしおさんをはじめとして、多くの方々に支えられてこのブログは続けてこられました。
カルトから完全に抜けるために、色々な神様仏様からご加護をいただいています。無神論者を気取っていた私も、神様の救いを感じるようになりました。神社やお寺、教会やモスクに行くと気分がすがすがしくなります。

困難に打ち克つたびに、私は神様と人々の助けと愛を感じることができます。
人のやさしさと、神様のことをより強く信じることができるようになりました。

かつての私は真光や、自分を入信させた母親を強く恨んでいました。
「こんなはずじゃなかった」「たくさんのものを失った」「人並みの青春を送れなかった」「暗い性格になってしまった」「自分に自信が持てない」「何もかも真光のせいだ」「こんなカルトに入れた親が憎い」

やめてからも10年以上憎み続けていました。
オミタマを返したから真光をやめられたとは限らないのです。

「人を呪わば穴二つ」

他人を憎むということは、自分を憎むということです。他人を焼き殺すつもりで向けた怒りや憎悪は、必ず自分自身を燃やし尽くします。
とはいえ怒りで頭に血が上ってしまうと刺し違えてもよいと思ってしまうものです。

そんな憎しみに満ちたあなたを見て喜ぶのはいったい誰でしょう?
真光の神とされるものです。

怒りや憎しみを捨て去ることは負けたような気がするかもしれません。
それは真光があなたを焚き付けているのです。
「もっと憎め、怒れ、悲しめ、呪え、そしてその業火で己自身を滅ぼしつくせ」と。

怒りや憎悪は真光のエサ

真光を怒りや憎しみで攻撃しても何のダメージもありません。それどころか喜びます。
憎しみや怒りで心がいっぱいのときには、人のやさしさに気づかないかもしれません。コーヒーがおいしかったとか、空がすっきりと晴れてきれいだったとか、そんな小さな幸せに気づかないかもしれません。
不幸とは自分で作りだしていることも多いのです。

周りの人に恵まれないのは、いつもあなたが心に怒りを抱えているからかもしれません。
人間は他人に対して受容や否定のサインをなんとなーく出しています。
人間が好きな人は、他人に対して「あなたに興味がありますよ、好感を持ってますよ」という印象を与えるような言動を取ります。そういう態度を取る人を嫌いになる人は少ないです。だから人間が好きな人は「自分の周りにはいい人しかいない」と思っています。

真光で失ったものは取り返せない?

真光に関係なく、過去に戻ることはできません。「あのときああすれば、こうだったら」、という悩みをぐるぐる回っても何も変わりません。
他人と過去は変えられません。変えられるのは自分自身と、未来だけです。

失ったものを嘆く期間は必要ですが、過去を生き直すことはできません。過去に囚われても何の意味もありません。
人間は「今、ここ」しか生きられないのですから。

つらかったことは人に話すのが難しかったら、紙に書いてみましょう。
ここのコメント欄やネットの掲示板に書くのもよいでしょう。書くことで心の整理がつきます。頭の中だけで考えても、同じことをぐるぐる考えてネガティブに傾きがちです。

心がつらいのなら精神科の門をたたきましょう。それに抵抗があるのなら、まだ真光の医療否定が身に沁みついているのかもしれません。

あなたの足で、一歩前に踏み出しましょう。

真光が避けているもの:現代医療

真光が避けているものとして、魔を祓うものとされるものや縁起のいいものを取り上げました。榊や豆まき、門松などですね。
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ほかにも避けているものがいろいろありますね。

真光の教義の特徴は、現代医療の否定です。薬や手術などの治療を信者から遠ざけます*1
「寝を楽しむ」と言うのでしたっけ? 落ち着いて考えたら苦しみを長引かせてるだけなんですよね。

床に長く伏せては仕事や勉強にも大きな穴をあけてしまいます。軽い病気でも長く休み、しかも病院に行かなかったなんてことが分かったらどう思われますか?
「治す気がないんだ」、「責任感がなくていい加減な奴だ」と思われます。

「福祉や医療で苦しみを止めたらミソギにならない」

と真光は言います。

もう本音がダダ漏れではありませんか。
要するに「苦しみなさい」というのが真光の意図なんです。真光は病気治しや奇跡で人を集めておいて本音は「不幸になれ」なのです。

病院で治療を受ければ数日で治る病気も、「無駄に」長引かせる。もっと症状が楽になるはずなのに苦しませる。
早期発見早期治療すれば天寿をまっとうできるはずだったのに、「罪が消えない」と脅し、病院に行かせないことで早死にさせる。

救急車を呼ぶべき場面で道場の人に許可を取るような奇異な行動を取ってしまう。保護責任者遺棄という倫理的にも法律的にもアウトな行動を取らせてしまうくらいに強い洗脳です。
真光の教義に反することは大切な人の命を失うことより怖いのですよ。

そもそも病院すら行かずに、救急車すら呼ばずに「助かるかどうかは神様にお任せ」というのは、神様に対して大変な失礼行為ではありませんか?

極端な言い方をすると「ゴムなしでバンジージャンプしますが信者だから必ず奇跡が起きて助かるはずです」のような主張です。神様からすればそんな横着なことを言われても「知らんがな」ではないでしょうか。

人事を尽くして天命を待つ

人間は人間の領域で、人間のできることを尽くす。
そのあとは神様に運命を任せるのが正しいと思います。

*1:薬事法に引っかからないように、手かざしと医療を十字に組むと改められました。現在はさらに軟化している模様