ギリシア神話と日本神話のうち、最も似ている話がオルフェウスとイザナキが死後の国を訪れる物語でしょう。
イザナキの黄泉国 訪問(古事記)
火の神を産んだ
イザナキは閉ざされた入り口ごしに、「まだ国が完成してないから還ってきてほしい」とイザナミに頼みます。
イザナミは「早く来てくださらなくて悔しい。もう黄泉の国の食事を摂ってしまいました。還りたいので
イザナミは奥に消えていき、長い時間待たされました。
イザナキは髪に刺した櫛の太い歯を折って、火を灯して覗き見をすると、そこにはウジがたかった妻が横たわっていました。その体の各所には
イザナキは恐ろしくなって逃げ帰ります。
しかしイザナミは「決して見てはならないと約束したのに、よくも私に恥をかかせてくれました」と黄泉の国の
イザナミが髪飾りの蔓草を投げるとブドウに変わり、醜女たちはそれを食べるので、その間に逃げます。食べ終わるとまた追いかけてくるので、次は櫛を投げると、タケノコに変わり、醜女はまたタケノコを抜いては食べます。
今度はイザナミは八雷神に黄泉の国の兵をそえて追いかけさせましたが、イザナキは後ろ手で剣を振りながら逃げます。
そして
最後に追いかけて来るのはイザナミ本人です。
イザナキは千人がかりで動かせるような大岩を引いて塞ぎ、岩ごしに二人は絶縁の言葉を言い合います。
「いとしい夫の
イザナキは「いとおしきわが妻の命よ、おまえがそのようにするなら、わたしは一日に千五百の産屋を建てよう」と応えました。
オルフェウスの冥府下り
詩の女神ムサイの一人であるカリオペを母に持つオルペウス(オルフェウス)は天才的な音楽家で、竪琴の発明者とも言われています。その演奏と歌声は猛獣の心も和らげ草木もなびくと言われるほどです。
彼は
この事故で最愛の妻を失ったオルペウスは嘆き悲しみ、竪琴で彼女を偲ぶ歌を歌い続けても心は慰められませんでした。
そしてオルペウスは妻を取り戻すべく、竪琴を片手に地下の死の国へと赴きました。
死んだ者は二度と生き返らないというのが曲げられない冥府の掟です。
ところがオルペウスの哀切な歌声は、冥王ハデスとその妻ペルセボネの非情な心ですら動かしてしまい、掟を曲げてエウリュディケを連れ帰る許可がでました。
妻を連れ帰る条件はただ一つだけ。オルペウスの後をついて行く妻の姿を決して振り返らないこと。
喜び勇んで帰路に就いたものの、後ろから妻の足音が全く聞こえません。気配も感じられず、不安に耐えかねて振り返ってエウリュディケを見ると、彼女は息絶えて倒れてしまいました。
せっかく一度は失った妻を取り戻せそうだったのに、今度は永遠の別れとなってしまったのでした。
このように話の骨格はほとんど同じです。
妻を不慮の事故で失い、夫は彼女を取り戻すために地下の死後の国を訪れる。その願いを叶える条件はただ一つ、妻の姿を決して見ないこと。
夫はそれを守れず二人は別れ、夫だけが地上に戻る。
オルフェウスとイザナキの違い
違いはイザナキは妻の変わり果てた姿を見て、恐ろしくなって逃げたこと。
一方オルフェウスは、地上に戻ったのちは色々あって殺害されてしまったのですが、頭部は川から海へと流されながらもエウリュディケを慕う歌を歌い続け、レスボス島に漂着しました。なんとも一途な男です。
イザナキは黄泉の国に行くことは簡単でしたが、帰り道は怖そうな醜女や兵に追われました。「死」は行けば後戻りのできない世界なのです。
オルフェウスは生きているので、冥府へは入れないとステュクスの渡し守のカロンにも断られます。番犬ケルベロスも妨害します。
黄泉の国と違い、冥府は生きた者が入ることの困難さに重きを置きつつ、それを乗り越えるのはオルフェウスの音楽であり、芸術の重要度にも文化の差が表れています。
さて、大切な人を取り戻すために、死後の世界に赴く話は他の国にもあります。
タタールの伝説には、怪物に切り落とされた兄の頭を妹が取り戻す話があり、満州の叙事詩には若者の魂を取り戻す話があるそうです。
大切な人を取り戻すことに成功していることが大きく異なっています。
では他国には妻を取り戻せなかった話はないのでしょうか?
ニュージーランドのマオリ族の話
タネという神は配偶者がほしくなり、土で女の形を作って生命を吹き込み、これと交わってヒネという娘をもうけました。その娘が成長してから妻にしました。
しかしヒネは自分の夫が父親であることを知り、恥じて自死を選び地下で偉大な夜の女王となりました。
タネは妻の死を悲しんで冥界に行き、ヒネの家にたどり着いて戸を叩きますが、ヒネは入らせてくれません。
タネはヒネに、自分と地上に戻るように頼みますがヒネは断りました。
タネには一人で地上に戻り、太陽の下で子孫を養うように勧め、自分は冥界にとどまって彼らを暗黒と死の中に引き下ろすであろうと宣言します。
妻を取り戻せなかった点や二人の別れの言葉は似ていますね。
ヒネは近親婚を恥じて死を選んだので、「そもそも帰る意志がない」のが大きな違いといえます。
やはり愛し合った二人が引き裂かれないと話が盛り上がりません。
この妻を取り戻せない物語は、日本とギリシア以外では北米の原住民の伝承にもあります。
カリフォルニア地方のテルムニ・ヨクット族のお話
死んだ妻と一緒に使者の国に行き、冥府の主に妻を連れ帰る許可を願います。
「もし夫が一晩中眠らずに妻を守って過ごせば願いを聞き届ける」と約束を取り付けました。
夫は妻と床に入り、夜を過ごしますが夜明け前に深い眠りに落ちてしまいました。目を覚ますと腕の中の妻は腐った薪に変わっていました。
もう一晩チャンスをもらったもののやはり眠ってしまい、妻はまた腐った薪になりました。
夫は冥府を去るときに、「この冒険を六日の間に誰かに知られると、死んでしまう」と警告をされます。
夫は一人で生きるよりは早く妻の元に行きたいと願い、家に帰って隣人を招いてこの話を聞かせ、翌日に蛇に咬まれて死にました。
与えられた課題に失敗して、妻を取り戻せなかった点は同じですが、地上に戻った夫がすぐ死んだ点は違います。
死因が蛇なのはエウリュディケと同じです。
ギリシア神話の死後の世界観は、他にも日本と共通点があります。
三途の川と六文銭
ギリシア神話では、冥府へ行くにはステュクスという川を渡ります。そこにはカロンという渡し守がいて、渡し賃を払って船に乗せてもらいます。
死者を埋葬するときは、その口に1オロボス銅貨を含ませていたそうです。
旅をする神話
遠く離れたギリシアの神話が日本神話にも影響を与えた、というのはなんとなく知っていたいましたが、ここまで話が似ていたり、死後の世界観などの共通点があるとは知りませんでした。
その中に真光の元ネタらしきものを一つ見つけたので、また記事にする予定です。
ギリシアの文化は遊牧民であるスキタイ人が好み、朝鮮半島ではスキタイの文化の影響がありました。
古墳時代の日本は、当時は文化が進んでいた朝鮮半島との結びつきが強く、新しい技術や文化をもった人が移住していました。
朝鮮にもスキタイにも三種の神器に似た話があり、影響があったのは確実だとされています。
ギリシア神話を読むことで、また日本の個性や特徴も分かるので、日本神話がより深く味わえるようになると思います。
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