真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

うしおを引き剥がす

皆さん神社検定の勉強はしていますか?
私は大神のトロフィーがあと一つでコンプリートです。


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うしおが邪魔

大きな神社に行く日が近づくと、うしおさんと仲違いすることがあります。
我に返ればだいたい真光の罠です。

今でも特定のテーマの記事を投稿した後には額がむずむずしたりします。
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真光が嫌がってるんでしょうね。やっぱり元信者には恨み苦しんでいてほしいんでしょう。

憎しみに支配された人生なんてどう考えても不幸です。そりゃあ真光も腹を抱えて笑いますよ。

思い返せば現役信者の母は、よくうしおさんの悪口を私に言いました。
それでよく喧嘩になったものです。
こうやって私が一番嫌がることを真光はやらせていました。別れてほしかったんでしょうね。
近年うしおさんの霊感が強くなったせいか、真光にとっては邪魔なんだろうなぁと感じます。

真光をやめられていないことに気づいたのもうしおさんのおかけですし。
神社に時々参拝して真面目に神棚も拝むようになりました。

明るく楽しく生きていきましょう。

教祖の人格、教団の性格

組織は統率者のカラーに染まるものです。

宗教団体は保守寄りが多いので女性差別に容認的な傾向があります。
真光は逆に女性が男性を虐待してる話がちらほらありますね。
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うちの妹の真光夫妻も、妹の方が夫を虐待して奴隷みたいな扱いをしてます。
そりゃあストレスで早死にもするでしょう。
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会社など団体にも性格と言いますか、傾向のようなものが出てきます。

初代光玉氏は軍人と経営者。欲のあるギラギラした感じです。

二代目恵珠氏はきっと男性に恨みがあったんでしょうね。
求心力があり教団を大きくした功労者だと思います。

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二代目が亡くなる少し前くらいにやっと「真光をやめられていない」ことに気づいたくらいです。
その後は(元)信者の方もちょっと精神的に落ち着いてきた感じがあります。
それぐらい影響力の高い人間でした。

光玉氏と恵珠氏は、タイプは違えど二人ともカリスマ。
三代目は「俺の方が初代より優れてる」と思ってるから粛正したり教義を変えたりするのかな?

二代目は「ネットのことなんぞ歯牙にもかけない」というどっしりと構えた感じがありましたので、相当に器が違います。

このままだと一万人以下の細々とした団体になりそうです。四代目まで保つのかな?
人数が減るときには当然ライト層から脱落していきます。
反面、狂信度の高い崇拝者だけが残りその比率が上がっていきます。

先鋭化されてカルト濃度が上がるので、早めに逃げておきましょう。

戒告

真光小ネタのお話。

真光において不幸現象は戒告と言われています。
霊が何らかの訴えを気づいてもらうために不幸を起こすのだそうです。
例えば、真光的に正しい先祖の祀り方をしてほしいから祟って病気や家庭不和を起こすなどです。

その考え方の正誤は横に置きます。

「戒告」の本来の意味は失態や過失に対して戒めること。
経営者が従業員に対して出すものです。

光玉氏は会社をやっていたことがあるんでしたね。
こういった言葉一つ一つにも本人の人生や経験が現れるのです。

真光こんなにヒドイ! が駄目な理由

真光批判の罠

感情的になる

だまされたことに気づいて、まずは怒ったり悲しんだりするでしょう。
人間ですから恨んで当然です。

しかしあまりにも長期間、感情的になり続けると心身によくありません。
涙を拭いたら立ち上がりましょう。もうどこにでも行けるのですから。

そろそろ日本人女性の平均寿命も90代になろうとしています。数十年単位の回り道もそれほど致命的な無駄ではありません。

過去に戻ることも変えることもできないのですから、恨みを燃やし嘆いたところで無駄な感情のコストを支払ってるだけです。
人が苦しんでるのを見て喜ぶような神が満足するでしょう。

復讐という正義

復讐とは、正当性があると確信できる暴力です。
発散は必要ですが、怒りは怒りを呼びます。
暴力は振るってもたいしたストレス解消になりません。
アルコールやギャンブルと同じように「やらずにはいられないこと」であり、依存症だと思います。

誹謗中傷や物理的な暴力ではなく、損害賠償など正当な法に基づいた復讐を選択しましょう。
人類は個人間の復讐を捨てて、第三者に委ねて公平な処罰を下すこと選択しました。
復讐の連鎖や弱肉強食を避けるためです。

むしろ誹謗中傷なんぞで何かやったような気になってしまうことの方が危険です。
何を見失っているか分かりますか?
それが真光の罠です。

脅しは無意味

「真光はこんなにひどいところだ、恐ろしいところだ」と恐怖をあおるような言い方も、やり過ぎれば逆効果になると思っています。

脅して不安にさせるのはカルトの手口です。
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カルトからの救済を目指すのなら、同じやり方を取るべきではありません。
今感じている恐怖よりももっと強い恐怖を与えてコントロールするのって倫理的にどうなんでしょう?
もっと強い脅しをかけるカルトが現れたら、その人はそちらに流れていくでしょう。

つまり問題は何も解決していないのです。

もちろん被害者を救いたいという善意から、必要以上に真光への誹謗中傷や恐怖で脅すようなことを言ってしまうのでしょう。
正義は暴力の免罪符です。

ただ、「私はつらかった」とだけ言おう

「真光批判しちゃいけないの?」
「誰かが今も傷ついているのに放っておくのか?」

人間は誰かを責めるとき、相手を主語にする傾向があります。
「お前のせいだ」「あなたがああ言ったから」「真光に大切なものを奪われた」

これは文字通り主役が自分ではない状態です。それが被害者意識の問題点です。相手の言動にただ振り回されて、自分で自分の言動を選択できていません。
「ああされた、こうされた」というのは現実に対して受動的です。それはただの反応です。

相手が何をした、どう言った、はそれほど問題ではありません。それはすでに起こった過去のことなのですから。
今から自分が何をどうするかが課題なのです。

具体的な話をしましょう。
真光で起きたことや受けた仕打ちを語ることには何の問題もありません。
愚痴をどこかに記録するだけで、それは信者予備軍へのワクチンとなるでしょう。

ただ語るときに少しだけ意識してほしいのです。
「私は真光でこんなことがあってつらかった」と自分を主語にすることを。

些細な違いに見えるかもしれませんが、このようなことで少しずつ「自分の人生を生きること」を取り戻していきましょう。

神社検定参級のコツ あまり出題されない範囲

捨て問

試験には出題頻度の低い範囲というものがあります。
本来は過去問を解く内に気づくものですが、思い出したので書き留めておきます。

具体的に言うと神棚、神葬祭神道式の葬式)、御霊舎(仏教で言うところの仏壇)、お墓です。
地域や宗派、その家の風習次第なので、正誤を問う試験問題になじまないからだと思います。

ただし先祖崇拝については出題されます。

追記

と書いていますが、頻度が低いというだけで絶対に出ないわけではありません。
普通の試験は基礎的な問題だけでなく、難問や奇問も出題されます。

効率よく勉強するためには、ある程度細かいところは捨てなければなりません。
参級であっても100点を取ろうとして完璧にしようとすると、基礎的なことを落としてしまいます。

そして試験というものは、この記事のように対策を公開すると、その穴をふさぎます。
古い記事は役に立たないのです。

※この情報は執筆当時のものです。
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痛みはミソギ

「『痛みや苦しみで罪が消える』。初代はそんなこと言ってないはず」

とうしおさんが言い出しました。
例によって単なる霊感なので特に根拠はありません。

私は、さすがに言ってないとまでは言えないにしても、二代目あたりから話をかなり盛ってるんじゃないかなとは思います。かなりニュアンスが変わってしまった。
「苦しめば特別な何かを得られる」という考え方は割と人類共通な気がします。

教えはすでに改竄されていることが分かっているので、古い資料を探さないと裏を取ることはできません。
「文明教団も、あちらはあちらで改竄してるだろうから、今の教典を見ても分からないだろう」と言っていました。