真光やめたら幸せになりました

真光抜けて十数年経ってようやく洗脳が解けました。

カルトの見分け方 特別と非常識

「常識を非常識に」

とかいってる真光は直球で当てはまります。「今までの○○ではダメ」と脅しとセットにすると詐欺で使いやすいんですよね(エセ医学でもよくある言い回しです)。
用例:「現代医療はダメ、手かざしは特別に許された業」とか「今までの先祖祀りは間違いだ」とか。

エキセントリックな教えは選民思想に浸らせてくれます。人間は自分を特別だと思いたいものです。特に若いうちは客観性がありませんからそうなりがちです。

「自分を高く評価されたい」という願望に対して努力を重ね、現実の自分を理想に近づけていける人間もいます。しかしほとんどの人間は普通の人ですから努力しても人並みが関の山。経験を積むうちに自分に正当な評価を下し、それを受け入れていきます。

自己評価は高いが特段才能もなく努力もしない人間もいます。むしろこちらが主流かもしれません。そういう人間にとって努力もせずに特別になれる(という幻想を与えてくれる)ものはお金や時間を支払ってでもほしいものです。真光はその欲求を満たしてくれます。

本当の宗教はけっこう言うことが厳しいです。でも実現不可能なことではないラインなんですよね。だからこそ本当の意味で厳しいんです。最初から不可能なゴール設定だったら「そんなの無理だよ」ってあっさり諦められます。努力したら出来そうなゴールであるがゆえに目を逸らすしかなくなってしまうのです。

伝統宗教のアドバイスも、内容は当たり前のことが多いので目新しさもありません。例えば「コツコツ努力を続けなさい」なんてのは誰でも知っていて、意外性がないからつまらないんですよね。

人間が求めるエキセントリックな教えとは「楽してがっぽり儲けたい」ということです。参拝するだけで夢が叶ったり、お守りを買うだけで宝くじの一等が当たったり、何か楽していい思いができる方法があれば知りたいわけです。

カルト宗教が与えてくれそうに「見せかける」のはそちらの方です。「たった三日の研修でキリストも行った奇跡の業、手かざしができる」とか。
落ち着いて考えたら三日の座学でキリストになれるわけがありません。毎日奇跡だらけになり、真光の道場に行列ができてないとおかしいはずです。実際は信者がかなり減少しているようですね。

真光は本当に大事なことは何も教えてくれない

努力したっぽい「感じ」はいくらでも与えてくれます。なぜってあなたが本当によくなる道を閉ざすために。

私も含めて大半の人間はバカなんです。真光にはまってしまうような人間が特別に愚かだとは思っていませんし、むしろ普通なのです。欲があって、弱くてずるい、ただの人間です。
そういう意味では過剰に真光信者の特徴を悪し様に罵るのは感心しません。彼らは普通なだけなのです。
悪口を言うと真光の神とされるものが喜び、悪意をエネルギーにして力をつけてしまいますからね。

カルトは欲望につけこみ不安にさせてお金と人生を巻き上げます。
「真光に神はいない」「手かざしに医学的効果なんかない」という批判サイトは多いですが、私はもう一歩踏み込んで「真光は人の不幸をエネルギーにしているカルト」だと主張しています。
奇跡などのエサでおびき寄せて不幸にさせるのです。

金と時間を奪い、人生を奪う。真光のすること一つ一つ吟味すると「単に欲の皮が突っ張った人間がお金儲けしてるだけ」じゃなくて不幸にさせることそのものが目的だと分かります。
人の欲は強い。恨みや怒りなどのマイナスエネルギーは強い。だから真光はある意味強力なのです。人を引きつけてやみません。人間は弱くて欲が強いから引きつけられる。甘い匂いに吸い寄せられると後が大変ですよ。

手かざしに効果がないなんてウソですよ。あれは霊的なパワーがあります。最初に大きな奇跡の一つでも見せてやれば、その後は何十年経ってもやめられなくなるでしょう。ギャンブルで言うところのビギナーズラックです。だから真光を辞めた人でも「本当に奇跡があったという気持ちが消えない」という人がいるのも当然なんですよ。
それは本当に奇跡が起きたのです。絶対に辞めさせないためのエサですから。

感謝状を書きましょう

とある方に危機を救っていただきました。思わず涙あふれるほどに感謝をしたのでせめてお礼状を書くことにしました。
文面を考える間も「こんなことするなんて無駄だよ」「陰ではお前の悪口を言っている」「あいつら高給取りなんだからそんなの書かなくていい」「気持ち悪いと思われる」などの雑念が思い浮かびました。必死とも言えるほどの雑念が聞こえてきました*1

「ああ、これまた真光がじゃましてるんだな」と思いました*2

真光が本当に嫌がることは、真光への批判ではありません。正しいことをすると真光は嫌がります。善行をして真光に正しく嫌がらせをしましょう。

最近人に感謝してますか?
面と向かって言うのが恥ずかしかったら、付箋でも十分です。ありがとうの気持ちを伝えてみましょう。

*1:実際に他人の声が聞こえている訳ではありません。心の声です

*2:すごーい! 真光さんは本当に感謝が嫌いなフレンズなんだね

真光の罠:神も仏もあるものか

真光小咄

真光信者のDさんは長年信仰を続けてきました。道場長や幹部の言動があまりにひどく、ずっと耐えていましたがついに限界を超えてしまいました。
検索しているうちに真光の洗脳テクニックを知り、インチキだと気づき脱会しました。

真光でさんざんな目にあったDさんは考えているうちに「神も仏も人間の生み出した妄想にすぎない」という結論に至りました。神の名を借りて好き放題の幹部たちの顔が忘れられません。

「神も仏もいない、脅して金儲けしてるやつばかりだ!」
真光のことを熱心に信仰していたCさんは、無神論者になりました。

そんなDさんの様子を見て真光の神は満足しました。
真光は正しい神と信仰心を嫌い、信者に避けさせます。せっかく真光をやめても無神論者になってしまっては真光の思うつぼです。

unlearn-mahikari.hateblo.jp
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真光の罠:教義批判

真光小咄。

Cさんは真光批判サイトを立ち上げました。
真光の教えを丹念に調べ、元ネタが何なのかをまとめて記事にしました。真光の教えにオリジナリティというものはなく、パクリだコピペだという結論になりました。

そんなサイトの内容に真光の神とされるものはたいそう安心して胸を撫でろしました。

真光の罠

巧妙な罠というものは、かかったことにすら気づかないものです。そういう騙す能力に関しては、うしおさんは真光を高く評価しています。

さてこの小咄では何が悪かったのでしょうか?
真光の教えがパクリかどうかというのはもはやどうでもいいことなのです。単に嘘ついたなという程度で終わりです。
だいたいオリジナリティなんて重要な事柄なんでしょうか? 伝統宗教にある程度の独自性はありますが、どこにもない教えなんか誰も求めていません。
オリジナリティのある教えというのはエキセントリック、非常識な教えです。

オリジナルかパクリかという点にばかり注目してしまうと一番肝心なことが抜け落ちてしまいます。

大切なことは「その教えは正しい教えなのか?」言い換えれば「何を目的としているのか?」ということです。
真光はむしろ批判者たちがパクリ論争に時間や手間を浪費することを望んでいます。教えの意図や目的に注目されたくないですからね。

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伊勢神宮

一生に一度は行きたいお伊勢様にやっと来れました。
伊勢市には街は景観を守るための規制があり、地味な風景ですがゴミ一つ落ちていません。もう街全体が神聖な感じがします。人々もとても優しくて親切です。

しきたり通りに最初は外宮さん(豊受大神宮)に行きました。
直接見れないんだなぁと思いながら参拝。神職の方も明るくはきはきとご挨拶していました。
御朱印をいただき、全ページを使い切ったので新しい御朱印帳をいただくことにしました。
神主さんがちょっとばつの悪いような顔をして、御朱印帳だけをいただくのはできなくて、御朱印を受けないといけないのだと説明されまし。ここからスタートするという意味があるそうです。
御朱印代がもったいないという気持ちも特に浮かばず拝受しました。

うしおさんはお友達から伊勢神宮の御朱印帳をもらっていたので、これでやっとお揃いです。後で巾着がないことを思い出して別の社務所でいただきました。

ちなみに外宮さんに参拝した後は、しばらく食運がよくなっておいしいものを食べる機会が増えました。
その後は消化器系の病気になりましたが、悪いことだとはとらえていません。

私は昔から頑丈であまり大病にかかることがありませんでした。それはいいことばかりではありません。一病息災といって病気の一つでもある方が、身体を大事にしたり病院にすぐかかるようになります。
健康な人というのは自分の身体を過信してなかなか病院に行かず、手遅れになる場合があります。

医療否定という昔からの悪い膿を出して、きちんと医療にかかり自分の身体をいたわることを覚える年だと思っています。

外宮さん的にも、このあと色々あるから今のうちにおいしいもの食べてね、ということだったのかなあと思いました。

さてさて今度は天照大御神様をお祭りする内宮(皇大神宮)へ。

中に入るととても空気がきれいで美しい空間です。真光にはない清らかさがあります。
やっと参拝できて真光を完全にやめられますようになどとお祈りしました。すがすがしくなりました。

帰ってきてからはうしおさんの勘がするどくなりました。
私はより真光のカルト性について深く考えるようになりました。何もかも運がよくなりました。

真光が避けるもの3 先祖崇拝

日本は先祖崇拝が当たり前のものとなっています。ここを悪用して真光は「先祖の祟り」だの「戒告現象」だの「先祖祀りしないと不幸になる」と脅してきます。

しかし実際に真光がやらせるのは先祖との断絶です。

普通はお彼岸やお盆などには墓参りをするものですが、真光は墓を軽視しています。(教えが改竄されていなければ)初級研修では真光式の仏壇があるから墓参りはなくてもいいかのようなことを言います。
私の実感では、墓参りするとけっこう喜ばれますね。

亡くなった人の写真を飾るなと真光は言います。先祖はあの世で執着を取る修行をしているんだ、愛した家族の顔すらも忘れてしまうんだと言います。

忘れないといけないのなら、先祖祀りそのものが必要ないですよね。執着を取る割には食事は「生きている人間と同じものを出せ」と言い、タバコやほ乳瓶に入れたミルクまで供えさせます。食の執着はあっていいの?

神棚や仏壇もごはんや水、果物やお菓子など、故人の好物を供えることはありますが、食事形式は聞いたことがありません(地方や宗派の習慣なら問題ないでしょう)。

仏壇に向かうときに亡くなった親や祖父母など身近な方を思い浮かべたり、遠いご先祖に感謝したりしますよね。
亡くなった方に嬉しいことや悲しいことを報告することもあるでしょう。そうやって亡くなった方と対話をします。
仏壇に写真でもあれば、我が子に「これがあなたのひいおじいちゃんよ」とでも話すでしょう。子供も曽祖父がどんな人だったか聞くかもしれません。そうやって会話が生まれ心を通わせます。

愛情を「執着」と呼んで避ける真光式の仏壇ではこういう心の交流ができません。
確かにお釈迦様は愛情すら捨てましたが、真光が言うのとはまったく違う次元の話です。

先祖を敬ったり手を合わせて祈ることを真光は嫌がるのです。もちろんそれがよいことだからです。

仏様に助けられた話

買い物に出かけて、最初の予定とは違うスーパーに行きました。
うしおさんがレジに並びます。人が並んでいたので「時間がかかりそうだな」と思って私は違う階の店に行きました。
私は片時もうしおさんから離れたくないのですから、これは不思議なことです。

うしおさんは荷物もあるし疲れているから「ここで待ってるね」と言いました。しかし私が時間がかかったせいなのか、すぐに私のいる店に来ました。

買いものをすませた後は腹ごしらえです。うしおさんの提案でお好み焼き屋に行きました。開店するとすぐに満席になるような人気店で少し待ちました。

その店は仏教にちなんだ名前が付いています。そのことを特に意識したことはなかったのですが、敷地内の隅に石碑があり、お地蔵様のようなものがありました。この店の名前の由来はこのお地蔵様のようでした。うしおさんが言うには、このときお地蔵様が私のことをガン見していたそうです。
この店が繁盛しているのも、彼らが信心深くお祀りしているからなのでしょう。お店の方も人柄がよくてきぱきと仕事をしていまし。もちろんおいしいです。

私は家に帰ってから額がムズムズするので清め塩をしました。昨日の妹のことかなぁ、変だなぁとは思っていました。そんなに妹のパワーは強いんだろうか? 一晩経ったのに?

うしおさんは熱を出しました。風邪かな? 昨日は妹からのメッセージでごたごたしてたし相談に乗ってくれたとばっちりかな? 熱っぽいのとカルトのダメージって似てるんですよね。

すっかり忘れていました。今日買い物をしたスーパーのレジにはあのカルトの女性がいます。
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カルトの念を持ち込んだせいか、お好み焼き屋のお地蔵さんが追い払ってくださったようです。
一応顔は覚えていますから、うしおさんはもちろん並ばないようにはしていました。でも今回は大きなマスクをしていて分からなかったんですよね。
うしおさんは「この人はなんか顔が黒いなあ」と思っていましたが、前回と同じ女性とは気づいていませんでした。またも不意打ち攻撃です。

別にこの女性自身が悪いわけではありません。彼女が攻撃しようと思ってやっていることではないからです。ただ真光が、マスクしたらわかんないだろうと仕掛けてきたことです。うしおさんは疲れているから私の帰りを待つつもりでしたが、そこにいるのは居心地が悪くて私のいる場所まできたのでした。

翌日になっても体調が悪かったです。ダメージが大きすぎます。レジ打ちですから、食べ物などを触ったわけですよねえ。手かざしをするその手で。

うしおさんが言うには母がやめそうなので真光がものすごくあせってるそうです。
「こちらは苦しいけれど、そのときは相手も苦しいんだよ」と。

ちなみにお地蔵さんのお店からの帰り道においしいケーキ屋を見つけました。小麦粉つながりなの?
ひどい目にあったからこれ食べて元気出してねというメッセージを感じました。