真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

真光が避けるもの3 先祖崇拝

日本は先祖崇拝が当たり前のものとなっています。ここを悪用して真光は「先祖の祟り」だの「戒告現象」だの「先祖祀りしないと不幸になる」と脅してきます。ご先祖様に対して失礼ではないですか?

しかし実際に真光がやらせるのは先祖との断絶です。

普通はお彼岸やお盆などには墓参りをするものですが、真光は墓を軽視しています。(教えが改竄されていなければ)初級研修では真光式の仏壇があるから墓参りはなくてもいいかのようなことを言います。
私の実感では、墓参りするとけっこう喜ばれますね。
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「亡くなった人の写真を飾るな」と真光は言います。
先祖はあの世で執着を取る修行をしているんだ、愛した家族の顔すらも忘れてしまうんだと言います。

忘れないといけないのなら、先祖祀りそのものが必要ないですよね。
執着を取る割には食事は「生きている人間と同じものを出せ」と言い、タバコやほ乳瓶に入れたミルクまで供えさせます。食の執着はあっていいの?

神棚や仏壇もごはんや水、果物やお菓子など、故人の好物を供えることはありますが、食事形式は聞いたことがありません(地方や宗派の習慣なら問題ないでしょう)

神道にも神様にまるごとの野菜や魚などを奉る「生饌」と調理済みの「熟饌」があります。
*1
今では生饌が中心ですが、熟饌は古社の特殊神饌として行われています*2。お米を炊いたり、酒を醸したり、魚や野菜も調理します。お粥、魚や果物の干物、蒸しアワビ、魚や海藻の煮付け・汁物など、。
神宮には神饌を調理する「御贄調舎(みにえちょうしゃ)」があり、アワビなどの調理を行っています。

仏壇に向かうときに、亡くなった親や祖父母など身近な方を思い浮かべたり、遠いご先祖に感謝したりしますよね。

亡くなった方に嬉しいことや悲しいことを報告することもあるでしょう。そうやって亡くなった方と対話をします。
仏壇に写真でもあれば、我が子に「これがあなたのひいおじいちゃんよ」とでも話すでしょう。
子供も曽祖父がどんな人だったか聞くかもしれません。そうやって会話が生まれ心を通わせます。

愛情を「執着」と呼んで避ける真光式の仏壇では、こういった心の交流ができません。
確かにお釈迦様は愛情すら捨てましたが、真光が言うのとはまったく違う次元の話です。

先祖を敬ったり手を合わせて祈ることを真光は嫌がるのです。もちろんそれがよいことだからです。
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参考

神社のいろは 要語集祭祀編P284~5「新嘗祭」の「神饌行立」

神社検定公式テキスト7『神社のいろは要語集 祭祀編』

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  • 発売日: 2015/02/26
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