真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

母性を諦めて父性を得る

kuniuminoshima.jp

天の父、伊弉諾尊いざなぎのみこと

イザナキについての記事を書いたご縁もあったのか、伊弉諾いざなぎ神宮へ行きました。
unlearn-mahikari.hateblo.jp
広大な敷地はなんだか独特な雰囲気でした。
妻である伊弉冉尊いざなみのみこともお祀りされているのですが、敷地内は男性的な空気に満ちています。
参拝者も男性比率が高かったように思います。

一言で言うと「天の父」という感触でした。
「父性」という概念そのものなのかも知れません。

親の愛を求めて

私もすでにいい年なのですが、子供の頃には親の愛情には恵まれず、寂しい思いをしてきました。
母親に愛してもらえず、恨みに思っていました。

そういった感情を、認めることができませんでした。
感染症のために会わないでいたら、母親が嫌いだったことも忘れてしまいました。

私には父性愛も身近ではありませんでした。
父はほとんど家に居ませんでした。
なので母親のように「愛してほしかったのに、そうしてくれなかった」という意味での積怨はありません。

記憶の蓋

とあることをきっかけに、閉じ込めていた過去の記憶が開かれてしまいました。
母性を求めて頭がおかしくなってしまいました。

求めても永遠に手に入らないと分かっているのに。
ほしいものはそこにないと知っているのに。

私は手に入らないものをひたすら妄想し続けています。

お母さんともっと話したかった。
病気のときは心配してほしかった。
妄想の中の母親と、ひたすら話し続けています。
これを書いている今もそうです。

まるで幼児のように、母親を恋しがっています。

お母さんの笑顔がほしかった。
どれだけこいねがっても、叶わない。

神仏からの回答

困ったときは寺社仏閣です。
取り戻せない母親への慕情に悩乱していることをお話しました。

母性は得られそうもありませんが、父性を与えてくれる人はいました。
ずっと昔から近くに。

母性は新たな命を産み出し、そして奪い去るもの。何もかも受け入れて曖昧に溶かし込み自立を阻みます。
父性は、包摂はすれども分かち断ち、認めて、自立させるもの。

母性への望みを絶って、自立を目指す。

それが私の進むべき道です。