天の父、伊弉諾尊
イザナキについての記事を書いたご縁もあったのか、
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広大な敷地はなんだか独特な雰囲気でした。
妻である
参拝者も男性比率が高かったように思います。
一言で言うと「天の父」という感触でした。
「父性」という概念そのものなのかも知れません。
親の愛を求めて
私もすでにいい年なのですが、子供の頃には親の愛情には恵まれず、寂しい思いをしてきました。
母親に愛してもらえず、恨みに思っていました。
そういった感情を、認めることができませんでした。
感染症のために会わないでいたら、母親が嫌いだったことも忘れてしまいました。
私には父性愛も身近ではありませんでした。
父はほとんど家に居ませんでした。
なので母親のように「愛してほしかったのに、そうしてくれなかった」という意味での積怨はありません。
記憶の蓋
とあることをきっかけに、閉じ込めていた過去の記憶が開かれてしまいました。
母性を求めて頭がおかしくなってしまいました。
求めても永遠に手に入らないと分かっているのに。
ほしいものはそこにないと知っているのに。
私は手に入らないものをひたすら妄想し続けています。
お母さんともっと話したかった。
病気のときは心配してほしかった。
妄想の中の母親と、ひたすら話し続けています。
これを書いている今もそうです。
まるで幼児のように、母親を恋しがっています。
お母さんの笑顔がほしかった。
どれだけ
神仏からの回答
困ったときは寺社仏閣です。
取り戻せない母親への慕情に悩乱していることをお話しました。
母性は得られそうもありませんが、父性を与えてくれる人はいました。
ずっと昔から近くに。
母性は新たな命を産み出し、そして奪い去るもの。何もかも受け入れて曖昧に溶かし込み自立を阻みます。
父性は、包摂はすれども分かち断ち、認めて、自立させるもの。
母性への望みを絶って、自立を目指す。
それが私の進むべき道です。