自分と向き合えていると思っていました。
私は何も見ず、聞かず、自分の世界に閉じこもって生きていました。
いまもまだそうです。
「自分は逃げている」ということにすら目をそらしていました。
毎日のように、自分の弱さを見つめる羽目になりました。
本当の自分は弱くて惨めで、人への思いやりもありません。
本当の自分を知ることが、こんなにも恐ろしいことだなんて思っていませんでした。
確かに昔から自分のことは好きじゃないですし、今でも卑下しています。
子供のときから空想にふけっていました。
私に安心できる場所はありませんでした。
だからやさしい人に出会っても信じられません。全員を避けてしまいます。
よい人に出会うと、今まで会ったことがないのでどう接していいのか分かりません。
今は親切な人たちに囲まれていますが、それがとてもつらいのです。
自分が未熟で幼稚なことを思い知らされ、また自分を責めてしまいます。
一方、悪い人というのは追いかけてでも傷つけてくるものです。
いいことがあっても悪い方ことだけを見つめて、やさしい言葉は悪い方に受け取り、勝手に傷つく人生でした。
それは私が望んで選択したことです。
自分は幸せになってはいけないと思っているから。
心が「今、ここ」にないのです。
未来に怯え、昨日を悔やむ。
自責と後悔、不安と恐怖、様々な雑念が保護膜のように包み込み、目を曇らせ、耳を塞ぎ、現実から遠ざけて生きている実感が失われています。
砂を噛むような人生でした。
その膜は私の身体の一部です。母親のようにまとわりついて離れません。
引き剥がせば私ごと裂け、多くの血を流すでしょう。
それでもまた、私は鏡を見なければなりません。
何故こんなところに来てしまったのか。
何故こんなおそろしい場所に来てしまったのか。
一生足を踏み入れるはずのない蛇の穴へ。
本当の自分なんか知りたくなかった。
本当に欲しかったものなんか知りたくなかった。
失われたものは永久に手に入らない。それを認めるのが何よりもつらい。
欲しかったものはここにはない。どこにもない。
でも、必要なものはここにすべて揃っている。