海運の神様
休日にうしおさんと二人である神社に参拝しました。
行ってから知りましたが、海運の神様でした。
こんな感じで、多少の危険はあっても事前にセイフティーネットが準備されています。
だから真光自体は怖くないです。
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真光よりも怖いもの
それよりも私が恐れることは私自身です。
感謝や学びを忘れてしまうこと。
苦しみは怒りを呼び、悲しみは恨みを生み出す。それに溺れてしまう。
もはや真光は私を攻撃することが出来ません。
私が真光を恨んでいないからです。
一頃と違って真光は私の人生に影響を与えることはできないのです。
己の弱さと向き合い、失敗して転んでもまた立ち上がる。
これは私の人生の問題です。
間違えたら立ち止まる。迷って前後に暮れたら、戻ってやり直す。
泣いてもいいけど、終わったら涙を拭いて立ち上がる。
灯明になろう
私には夢があります。
真光という闇にとらわれている人達にとって、小さくとも灯明となることです。
私は幸せへの道を行き、後の旅人のために一里塚を築いていきます。
その道を多くの人が踏み固めれば、細い獣道もやがては大きな道路となっていくでしょう。
私のたどった道が正解かどうかは分かりません。
真光をやめたところで、すべての問題が解決できるわけではありません。
また別の困難や苦しみが始まります。
ただ、今、私は幸せです。
真光にいたことにすら拝謝しています。
失った時間、つらい経験も私の糧となったのですから。嫌味ではなく、心からそう思っています。
憤怒がいかに自分を損なってしまうのか。
自己憐憫がどれほど自分のことを駄目にしてしまうことか。
積怨を背負っていては行きたいところにいけません。
そうなって喜ぶのはいったい誰なのか。
真光のせいにしたがっているのは、本当は誰なのか。
真光が自分の人生をコントロールしていることを許しているのは誰なのか?
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私は同じ過ちを繰り返していますが、「そのたびに軌道修正すればいいか」と思っています。