読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

真光やめたら幸せになりました

真光抜けて十数年経ってようやく洗脳が解けました。

真光の罠:真光に入ったことを後悔し続ける

真光小咄。

Eさんは、真光に魅せられて入信しましたが、色々と嫌なことが多かったので退会しました。
Eさんは真光をやめてからずいぶんと経ちますが、真光に入信したことをずっと後悔していました。
お金も時間も無駄にしてしまいました。しつこく勧誘して友達を失いました。職場でも就業時間内に真吼え(勧誘)をして浮いてしまい、転職せざるを得なくなりました。

「人間関係もよくて仕事もやりがいがあったのに。なぜあんなことをしてしまったんだろう」

自分を騙した真光が憎い。批判サイトを作る気力もなく、ただため息をついて暮らしています。何の喜びもない、喰うための仕事。酒とギャンブルと女の話しかできない同僚たち。ボスの顔色をうかがい、いじめられないように話を合わせるだけの自分に嫌気がさします。

ただただ失ったものを嘆き続け、自分を責め続けています。

後悔は気落ち

失ったものを悔やむ時間は必ず必要です。心の整理はそう簡単にはできません。カルト宗教のことなどは気軽に相談もできませんし、吐き出し口がなかなかないものです。

とはいえ永久に後悔し続けるわけにもいきません。
クヨクヨ悩み続けると、そのネガティブな感情は真光の肥やしになります。

変えられない過去を「こうすれば、ああしていたらと」考えても仕方ありません。後悔とは過去に生きることです。昔日の亡霊になるよりも「今、ここ」の一瞬を生きましょう。悔恨に囚われるのではなく反省を次に生かすのが大事です。紙に手書きすると案外冷静に過去を見つめられますよ。

人はまるごと

人間はまるごとでその人です。工作のように簡単に切り貼りできません。
都合の悪い部分を切り捨てたり、なかったことにしたりはできません。体の一部を切り落とすようなものです。

真光に騙されたこと、入信したこと、本気で信仰したこと。あるいは強制的に入信させられたこと。その過去を全部含めてあなた自身なのです。

真光をまじめに信仰していた部分も、あなたそのものです。その過去を否定するのは自分自身を否定することです。だから真光を攻撃しているつもりでも、実際に傷つくのは自分自身なのです。
ここが真光の罠ですよ。だから真光批判に意味はないのです。
(しかし裁判をするのはよいと思います。なぜなら正式なルールで戦うからです)

「色々失ってしまったけど、勉強になったなあ」

そんな感じで受け入れましょう。
真光に限らないと思いますが、拒否して逃げると何倍にも大きく膨れ上がって追いかけてきます。正面から向き合うと意外に「あれ? こんなに小さかったの?」となるものです。

真剣に向き合えば気づきや学びがあります。
経験から悟れたら、恨みも消えます。勉強になったなあと逆に感謝の念すらわいてきます。
そうやって乗り越えていくのです。

受け入れるというと難しいかもしれませんが、「まあいっか」と思えるようにやっていきましょう。