真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

カルトの見分け方4 奇跡・ご利益信仰

真光は奇跡そのものが売りですのでアウトです。
病気直しの看板なのに中身は医療拒否ですから悪どいものです。こういうやり方に真光の神とされるものの意図を感じますね!

もちろん普通の宗教も、奇跡を売りにしているところはたくさんあります。伝統宗教だって経営が成り立たないとつぶれてしまいます。おまじない程度の「効果があれば儲けもの」という気持ちなら問題ありません。
御利益信仰も信仰のきっかけになるのだからそれほど悪くはありません。ですが脅しとセットにして、奇跡をちらつかせて金を巻き上げるのはダメです。

奇跡・御利益信仰のいけないところは「奇跡や御利益があること=その神様は本物だ」と思ってしまうことです。奇跡が起きるからよい神様とは限りません。
手かざしは思いこみだ、奇跡なんて偶然だと言われています。大半はそうでしょう。しかし辞めてもなお「あれだけは本当に奇跡だった」という思いが拭えない方もいます。私は「それって本当に奇跡だったかもね」と言います。
「何を言っているんだお前は」と思いましたね?
真光の神とされるものは邪神に低級霊が寄りつき、人の怨念や悲しみが流れ込んだ化け物です。それなりに力は強いんですよ。ですから人の望む奇跡くらいは起こせると思います。

では何のために?

ギャンブル初心者がいきなり大当たりを出して、ギャンブルにのめりこむことってありますよね。あれと同じです。入信してから浅いうちに奇跡を見せればもう完全に信じ込んでしまいますよね。二度と離れられなくなるかもしれません。
これが真光の神とされるものの恐ろしさです。

そもそも信仰というものは地獄に行きたくないとか、なんらかのご利益を期待してするものではありません。お賽銭や奉仕、信仰心を「支払って」奇跡や御利益というサービスを「買う」という代物ではありません。
例えば仏教は苦しみの受け入れ方の哲学です。宗教の本当の効果というものは奇跡なんかじゃなくて、心の折り合いの付け方を教えてくれることだと思いますよ。
人生は思い通りに行かないことだらけです。なぜなら欲望に限りがないからです。幸福を手に入れても、すぐに飽きてもっともっと欲しくなるのです。
無限増殖する欲望とのつきあい方を教えてくれるのが仏教だと思います。

たまには本をオススメしましょう。私が読んだのは超訳ブッダの言葉です。お釈迦様は案外厳しいです。

超訳 仏陀の言葉

超訳 仏陀の言葉