カルトだって歴史深い
日本書紀には「常世神騒動」というカルト宗教の記述があります。
皇極3(644)年、静岡県藤川の河口で、大生部多(おおふべのおお)という人物が、虫を常世の神と称して「この神を祭れば富と長寿が得られる」とふれ回りました。巫女たちも荷担し、常世の虫信仰は都にまで押し寄せてきました。多は、人々に家の財産を捨てさせ、「新しい福が入ってきた」と叫ばせたといいます。しかし当然、損をするばかりで何の得もありません。そこで秦河勝(はたのかわかつ)が、民衆を惑わした大生部多を打ち懲らしめたといいます。
いやあ、昔からカルトの手口は変わりませんね。「神話のおへそ『日本書紀編』」P264*2には「財産を納めさせた」とあるので宗教の形を取った詐欺と考えた方がよさそうです。
古い神様、古いカルト
これは1300年以上も昔のことでして、「古い信仰だから正しいとは限らない」というお話でもあります。
伝統宗教もある程度の御利益は売りにしています。御利益か災難逃れの効果もないのに信仰する人間が果たしているものかと思います。私だって奇跡の起きた話をよく書いています。
unlearn-mahikari.hateblo.jp
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余談ですが、論理的に考えると「信仰すると御利益がある神様」と「信仰しないと災厄がある神様」の他に「信仰しても特に奇跡は起きない神様」と「信仰しなくても特に災難は起きない神様」もおられるはずですが、変化がないので人間に認識できていない可能性があります。だって何も起きないんだもの。
古い常識を捨てろ
初級研修のときに、「カップの中の古いコーヒーを捨てないと、新しいコーヒーは入れられない」という話を聞きました。古いコーヒーは入信前までの常識を意味します。
真光では「世間の常識は真光の非常識」と教えます。そんな価値観を身につければ世間と軋轢を起こすのは当たり前でしょう。今でもこの例えは使ってるんでしょうか?
あなたも新しい福を期待して財産を捨てますか?
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