真光辞めて20年
若いうちにさっさと真光をやめました。
このブログを始めた2016年には、
「洗脳が解けていると思ったら解けていなかった。やっと本当に解けた」
などと思っていました。
もう真光については、自分の中では解決済みのものとなっていました。
脱真光3rdシーズン
最近は、やっと人生の諸問題と向き合えるようになりました。
発狂するほど苦しかったのですが、いくつかは乗り越えてきました。
洗脳の影響を自覚した
そして、「まだ洗脳解けてないじゃん」という結論に至りました。
趣味でたくさんの人々と関わる機会が増えました。
志を同じくするメンバーの方々とともに時間を過ごすのですが、元から人と話すのは苦手。
相手が気を遣ってくれないと、なかなか雑談もできないような状態です。
人と関わらないように、自分から話しかけないようにして生きてきました。
自分から人間関係を始めることが、出来ないんですよね。
自己肯定感が低いし、「私なんかがこの人と関わっていいのかな」とか。
でもそういう「遠慮」って他人から見たら拒絶しているようにしか見えません。
「どうして人と関われないんだろう」ってしばらく考えていたんです。
カルトは人間関係を破壊する
DV加害者もそうなんですが、カルトは周りの人間関係を断つように仕向けます。
unlearn-mahikari.hateblo.jp
この記事で紹介した「テロール教授の怪しい授業」でも、自然と周りの人間が離れるように仕向ける場面があります。
他教団でも信者以外を悪魔呼ばわりして強い恐怖感で縛り付け、外部と関わらないようします。
この偽りの恐怖感があるからこそ、教団の中で幸福に生きていくことが出来るのです。
人里離れた場所で集団生活するとまでではなくとも、精神的に縛り付け、教団信者以外と交流したり、深い信頼を築けないようにしています。
元々、そういう寂しい人間を狙っているとも言えます。
信者同士の深い絆は、自由を奪う鎖にもなり得ます。
人とつながれない孤独な私
何故、「私は人と関わってはいけない」と思っているのか。
これも、もしかして真光の洗脳のせいではないだろうか。
誰も信頼しないように。
誰にも受け入れられないように。
いつでも教団に戻れるように?
「信頼しようとしても、また裏切られるのではないか」
どうしてもその恐怖が拭い去れないのです。
「真光以外の居場所などない」
と、まだ思い込まされているのではないだろうか?
だからこんなにも、やさしくて親切な人に囲まれているのに、拒絶に怯えて人を避けているのではないか。
ああ、面倒くさい。
こういう面倒な人に関わりたいとは思わないだろう。
人との関わりを避けさせようとすることが真光の狙いであるとするならば、私はそれに打ち克たねばなりません。
年齢なりに重ねられなかった人間性、経験、乗り越えられなかった課題。
精算すべき時期に来てしまったのかも知れません。
それはとてもつらいことです。
もう負けるのは嫌なんです。
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人との絆、手を取り合うことをテーマにした、少年マンガらしい王道ストーリーが本当に最高!
自己愛とサイコパスが本当によく描けていた。
この手の人格、真光信者には心当たりがあると思うので、時間のある方にはオススメです。