真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

鏡餅

前回は鏡餅について触れました。
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うしおさんから「三色の鏡餅って何?」と訊かれました。普通の人は真光式の鏡餅なんか知りませんよね。

真光式の鏡餅は三段の餅で、順番は忘れましたが白・ピンク・緑の草餅でできています。真光の神をあらわす「主」の文字をかたどっており、ダイダイと一段目の餅の間に昆布を挟んで前に垂らします。

うしおさんいわく「黒い昆布は色も悪いし、紅白の縁起物をまっぷたつにしてぶちこわしてるのが最悪」だそうです。

鏡餅は年神さまの神霊が宿る聖なる供物*1鏡餅の鏡は三種の神器である八咫鏡から来ていて、ダイダイは八尺瓊勾玉で串柿が天叢雲剣だそうな*2

こういうめでたいものをいちいちねじ曲げてしまう真光。こんな三色鏡餅を毎年飾ってたなんて、今となっては恐ろしいことだなあと思います。

真光もおめでたいものが嫌なら飾らせなきゃいいと思うんですけど、ひん曲げてやるところに悪意を感じます。

新年のご挨拶

新年あけましておめでとうございます。

みなさん、年末年始はどう過ごされました?
クリスマスの後は除夜の鐘を聞いて、おせちを食べて、初詣に初夢。

家族や恋人、友人と楽しく過ごしましたか? 一人用のおせちも最近はありますし、福袋でも買いに行って明るく過ごしましょう。

門松の竹は斜めに切れていますか?門松を真横に切るのは真光と関係なく伝統的なスタイルです*1
 真光の嫌いなお雑煮は食べましたか? 鏡餅は三色のじゃなくて白いやつですよ。七草粥もいいですね。
もうじき節分ですから、真光の嫌がる豆まきもお忘れなく

真光が嫌いなのは、教義や団体としての矛盾点を突かれたり批判されたりすることではありません。

真光が一番嫌なのはあなたが幸せになることです。真光への恨みや憎しみを忘れて、明るい感情を持って笑顔で過ごすことです。まともな宗教に帰依することや、縁起のいいものを置いたり行事をやったりすることです。

本年も、真光が本当に嫌がることをどんどんしていきたい所存です。

初めてのイスラム教

ISのせいでイスラム教徒には怖いイメージがありました。

まずはハラール料理店で腹ごなし。立派なひげのおじさんたちが店員ですが、慈愛に満ちたまなざしの紳士でした。
スパイスの効いた辛い料理を食べたのでずが、味はどうかと聞かれて「辛いです」って言ったら謝られました。言い忘れましたが愛がこもってておいしかったです。

やはり実際に会ってみないと分からないことがありますね。

モスクの中を見学させてもらうことができました。男女の入り口が別になっていたのでうしおさんとは離ればなれです。
女性の方は、絨毯があるお祈りスペースの前は白い壁でした。壁というよりも、見た感じは開けられそうなドアの雰囲気なんですが取っ手がありません。男性側からは開けられるのかな?

女性側から男性側に通じるドアがあるので顔を出したら、結局男性エリアも見学させてくれました。「僕は怒られるけど、あなたは怒られないです」と言われました。本当は右手と右足から入らないといけないとか、身を清めてから入らないといけないとかいろいろルールがあるそうです。
絨毯に描いてある模様は入り口をイメージしたものだと説明してくれました。

お祈りする部屋では、真ん中の前方に空間があるんですが、いわゆるご神体的なものは何も祀ってありません。上にきらきらしたシャンデリアがあるだけで本当に単なる空間です。偶像崇拝禁止ってこのレベルなんですね。
空間の右側にイスの形をしたタイル張りのものがありました。ここに先生的な人が座っていろいろやるっぽい?(説明してくれた人がちょっと早口でよく聞き取れなかった)。

子供たちがイスラムのルールなどを勉強する部屋もありましたが、先生がムチを使うとかさらっと言ってたような? 子供たちもわかってますって何だろうね。

初めてイスラムの神様に触れたわけですが、力強くてきれいな感じでした。何もない空間のあたりから炎の形をしたカリグラフィーのようなものが見えました。ナシード(イスラム教の音楽)が好きでYoutubeでときどき視聴するのですが、似たようなマークが一瞬見えました。
うしおさんはイスラム教徒の方に気に入られたようで、「友達になったらいろいろ教える」とか「今度の土曜日においで」とか言われてました。

ちなみに真光はイスラム圏だとご神体が違うそうです。

神様から返事が来ます

悩み事は日々ありますね。私は一難去ってまた一難という感じです。
だからときどきおみくじを引きに神社に参拝しに行きます。具体的な悩み事を神様にお話しして、それからおみくじを引くと的確な答えが返ってきます。
黒字で書かれた「神の教」が一番大事です。占いはおまけですよ!
これはうしおさんも同じで「今朝の会話を聞いていましたか?」と言いたくなるくらいピンポイントの返事が返ってきます。

カルトでしばらくごたごたした後は「楽しみなさい」と書いてありました。これは同じようなことが二回連続で書かれていました。
楽しむというのは楽に見えて実は難しいミッションです。普通の人でも日々ストレスがありますから、「明るく楽しく過ごすこと」を実行するのは割と大変です。

今回は三回連続で「神様に頼りなさい。きっとお助け下さる」と書かれています。微妙に違う内容なんですよね。同じような内容が続くと言うことは前回言われたことが達成できていないわけです。

「神様にお願い事ばかりしてはいけない」と神社の本に書かれていることが多いようです。これはうしおさんも同じ事を言っていたので御利益信仰がよくないのは確かです。
なので甘えなさい、助けるからと言われても「えっ?」となったわけですよね。

もちろん金がほしいとかは欲なのでダメです。じゃあなんなんだと悩んでいたら次のおみくじで「人間の力ではどうしようもできないことはあるから、そういうときに神に頼るのは自然なこと」と書いてありました。
でも具体的に何をお願いしたらいいのか、どのあたりから頼るのはいいのかというところがまだ不明確だったんです。
うしおさんに寄ると、再々頼れとメッセージがくるのは「tenさんは変な欲まみれのお願い事をしない人間だと解ってるからだよ」だそうです。

そこで三回目。
「母親の乳房にすがる赤子のこころになって神様におすがりする」と具体的な心構えが示されました。
文末に「信神に疑いは大の禁物である」と書いてありました。神様に頼らないというのは信じてないということなんじゃないかなと思いました。今までカルト宗教にしかいなかったから普通の信心というものが分からないのでしょう。
その次は、「生きている親だと思え」「慈しみの心でいつも側にいるよ」などと書いてありました。おみくじって何種類あるんだろう。延々と諭されています。

適当に引いているはずのおみくじですが具体的な答えが書かれています。うしおさんにはだいたいスケールの大きい厳しめのことが書いてあります。私は甘えん坊体質なので楽しめとか頼れとか書いてありますが、うしおさんは自分に厳しくて逆に人に頼ることが難しいタイプ。その人にできそうなことしか書かれていないとも言えます。

地に足が着いた内容のおみくじを、神社やお寺で引いてみませんか?
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Google Mapsは古代神じゃなくても使える

私は一人でとある店に行く予定にしていました。うしおさんは知ってる場所ですが私は行ったことがないので、Google Mapsアプリで場所を調べていました。
うしおさんがぽつりと「それは地図にある場所なの?」と言いました。市街地にある普通のお店なのに変なことを言うなあと思いました。
「前にもそういうことあったじゃない」と、うしおさん。
そういえば山の神事件よりも前に、変なことがありました。
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あれは椿が咲いていた頃なので冬だったのでしょう。そのときも雨上がりの湿った日だと記憶しています。
旅行先で、ある公園を目指していました。歴史に残る偉人の終焉の地で公園内には寺と彼の墓があります。椿や桜などたくさんの花が植えられた自然豊かな観光地になっていました。
うしおさんは毎度ながら運転手です。Google Mapsの指示通りに進んでいくと周りは一面田んぼで、古戦場の跡地なのか○○本陣跡地というのぼりが立っていました。そのあたりを曲がって細い道に入っていきます。
目的地近くにはそれらしきものがありません。道の回りは竹藪と田んぼ。今思えば気味が悪いのですが、ピンが立った場所には小さな池がありました。
そのときは深く考えませんでした。民家も近くにありましたし、山の神事件ほどではないです。これは神様じゃなくて人間ですね。

目的地近くをぐるぐるっと回って、車を停める場所を探しました。長年使われていないような古い公民館のようなものがありました。周りは竹藪に囲まれて鬱蒼としています。廃墟みたいだしこの辺も暗くて気持ち悪いです。
ホームページから住所をコピーしてアプリに貼り付けても、同じく池の中にピンが立ちます。観光地の事務所があるのでそこに電話をかけて目的地に無事たどり着きました。普通に看板のとおりに行けば着く場所でしたよ。
本陣跡に接したのと同じ道路を数分進んだところにありました。思い返すとこの本陣跡がなんかあやしいよね。

今思えば、このときにでGoogle Maps経由で「呼ばれる」癖のようなものがついたのかもしれないなと思いました。

余談。
このことを思い出してできさらぎ駅が思い浮かびました。2ちゃんねるのオカルト板では有名で、電車に乗っていたら存在しない駅に着いてしまって異世界のようなところに入ってしまうお話です。そういう駅はいくつかあるようで、駅の名前で検索すると地図の池の中にピンが立つという後日談がありました。
なんか似てますね。
ちなみにうしおさんにきさらぎ駅のURLを送ったら、胸が痛くなったそうなので「たぶん本当の話だと思う」とのことでした。

おまけ:うしおさんに質問コーナー
「異界に迷い込むと、カメラで写真を撮っても写らないことが多いのは何故?」
「カメラはこの世の理屈で動くように作られているから。異世界はルールが違うから動作しない」

元信者同士の言い争い

真光元信者向けの掲示板をときどき見ています。
先日はとあるスレで二人がしょうもない言い争いをしていました。きっかけは、「スルーすればいいのに」という程度の言い言葉に買い言葉でした。しかし中身のない罵詈雑言の浴びせ合いへとエスカレートしていき、人格攻撃はもとより家族への侮蔑や差別発言まで飛び出す始末。醜い論争で埋まったスレッドは本来の役割を果たせなくなりました。
この二人は現役信者と元信者というわけではなく、二人とも真光に対して批判的な考えの持ち主です。つまり真光からの攻撃というわけではありません。

しかし「真光に対して批判的な者同士」が口げんかでモメるなんて、真光の神とされるものは大層喜んでいることでしょう。ネガティブなエネルギーや汚い言葉は真光の神とされるものにとっては何よりのごちそうです。

真光に批判的な者同士だからといって必ずしも気が合うわけではありません。好き嫌いはありますし、人間ですから時にはケンカになることもあるでしょう。ただし、あまり続くようだと真光を利することになることは忘れないでほしいと思います。

真光に批判的な人間同士がモメて得をするのはいったい誰でしょう?

私はこのように考えました。「真光の神とされるものが、批判的な元信者同士を仲違いさせようとしているのではないか? スレも書き込めなくなり、本来の役割を果たせなくなって一石二鳥ではないか」と。

真光にパワーを与えてまでやりたいケンカなのかは、冷静に考えて欲しいなあと思います。

歴史が浅い

長い年月が経っても残っているものには、それなりに意味や価値があります。本当のよしあしというものは長い時間が経たないと分からないものです。
真光は千年後にあると思いますか?
地元で長く崇敬を集めている宗教はよい宗教である確率が高いです。