真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

一休み一休み

山寺に行こう

「さて、次のお休みはゆっくり温泉でも行こうかな?」とうしおさんと話していました。
うしおさんは、以前行ったことのある寺に行こうと言い出しました。
「呼ばれている気がするから」

そのお寺のホームページを見てみると、期間限定で秘仏を公開しているそうです。
ここで呼ばれたのかな?と二人で話しました。

温泉も行きたい、あの神社も行きたい、花が咲いて見頃だ、このお店でおいしいランチが食べたい……
久しぶりに行くので行きたいところがたくさんあります。

坊さんの話はありがたい

山では特に何もなくお寺にたどり着きました。
寺や教会、人を祀った神社はやすらぐものです。

掃除も行き届き、立派な庭園があります。

団体旅行の客がいて、お坊さんが庭について説明していました。
庭の大きな岩や木々も、ただ美しさのためだけあるのではありません。

仏教の世界観や説話に見立てて配置されているのだそうです。
苦しみに満ちた人間界と、遠くの極楽浄土を表現しているという話でした。

休みは休みじゃない

お坊さんは他にも印象的なことをおっしゃっていました。
「休むというのは、単に休むことではなく、自分を見つめ直すことですよ」

(そうだな、ちゃんと休もう)

実はこのブログ、週に二回は投稿しようと決めていました。書きたいことはもりだくさん。しかもどんどん増えていくからです。

しかし神社検定の勉強もあって、だんだん重荷になってきたのです。

これって真光の罠かも?
と、うしおさんと話しました。

あせって何もかも一度にやろうとして、逆に潰れそうになっていました。
ブログが負担になり、義務になっていました。

人助けでやっているようなブログですから、善意や自発的な意思でやるものです。
負担になり、義務になると嫌になってしまいます。

私はブログでバズりたいわけでもないし、アフィリエイトがしたいわけでもありません。
多くの人に読んで貰いたいのは事実ですが、それ自体は手段であって目的ではありません。

備忘録であり、書き出して整理するためです。

最終的には母や皆さんに真光をやめてほしいから、やっているのです。

カルト思想の檻から抜け出して、自分の頭で考えて、自分で道を選択してほしいのです。
ただ、鎖につながれるのは案外楽だし、つながれる自由もあるのです。