真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

縁結びの神様

昔、縁結びの神様に参拝に行きました。その後すぐに出会ったのがうしおさんですので、神様からいただいたご縁だと思っています。

その神社の前をたまに通ることがあり、気になっていながらいつも通り過ぎるだけでした。先日お礼を言おうと踏ん切りをつけ、行きすぎたところをUターンしてお参りをしました。
看板を初めて読みましたが、古くからの由緒ある神社で、平安時代にはあったようです。

一の鳥居をくぐるとそこはまさに聖域。
参道を通りながら「美しいね」と何度か言いました。清澄で力強い領域です。春の日差しに生命があふれ、きらきらと輝いています。
人気はなく静穏な空間でした。小さいけれどよく祀られているようです。しめ縄は手作りのようで、周囲の方々の信神(信心)の深さが分かります。

神籬(ひもろぎ)

うしおさんが奥の方で大きなご神木を見つけました。写真やテレビでしか見たことがないくらいの幹の太さです。樹齢千年以上あるかもしれませんね。

「どうやらこっちが元の方だね」
とうしおさんが言いました。触れるととても静かで何もない空(くう)だったと言っていました。

太古の神様は名前がよく分からないそうです。
神社ができる前は山や木、川、石などに依(よ)りついた神様をお祭りしていました。その土地や神社に現れた神様と認識されていたので「○○(地名)神」という感じでお呼びしていたようです*1

正確な樹齢は分からないので想像ですが、この縁結び神社ができる前からご神木が祀られており、古事記日本書紀にあるようなお名前の神様がご祭神として神社に祭られたのは後なのでしょう*2

神社には本殿以外にも末社・摂社という小さなお社があることがありますね。そこに本社に縁のある神様を祭る以外にも、その土地に古くから鎮座している地主神を祭ることもあるそうです*3

うしおさんはそういう知識がないのに、元々ご神木が先に祭られていて、名のある神様が後から祭られたと言い当てました。かなり背の高い木ですが本殿からちょっと離れています。ご神木のすぐ後ろは森で、「木を隠すなら森の中」状態であまり目立ちません。うしおさんはよく見つけましたものです。

その後はささやかなトラブルがあり単なる勘違いだったので何も起きませんでしたが、お互いの愛をしみじみと実感しました。

うしおさんが神棚を家に置きました。私にも「たまには拝みなさい」と促してくれました。ほぼ無神論者だった私ですが、今やご朱印帳を一冊使い切り、悩み事があればおみくじを引くために参拝し、神道の本を買い揃え始め、朝晩神棚に感謝を捧げています。

うしおさんには当たり散らしたり、ひどいこともしました。私のことを恐れたこともありました。甘えすぎて負担をかけすぎることも多かったです。
まともな神経をしていたらとても私のような人間とは一緒にいられないでしょう。私は私みたいな人間とは絶対いたくありません。

うしおさんは愛の人

受け入れ、許し、ただ愛を注ぐだけで見返りを求めない人です。そんなフィクションみたいな人間が自分の目の前にいると気づくのに何年もかかりました。

母親の愛に飢えていた私はただうしおさんを貪って生きていました。
ときどきうしおさんはこぼすことがありました。
「砂漠に水をまいているみたいだ」
いつかは乾いた心も愛に満ちて、今は春です。あたりは色とりどりの花が咲きこぼれています。

真光やめて十数年。
頭も働くようになりましたし、ようやく人のことを思いやるようになりました。うしおさんと日々明るく楽しく過ごし、辛いときは助け合い、お互いを思いやり尊敬しあって暮らしています。

苦労はあっても不幸はありません。
億万長者にもスーパースターにも、天才にもなれませんが、私は幸せに生きています。

真光やめたら幸せになりました。

*1:「神社のいろは

神社検定公式テキスト1『神社のいろは』

神社検定公式テキスト1『神社のいろは』

」P20。

*2:清らかでパワーのある土地に神様をお祭りするわけですからそうなりますね。

*3:「神社のいろは」P21。