真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

最後のお膳 ケセン語訳聖書

日本語のために

様々な文体を集めるという、変わったというコンセプトの本です。
宗教の言葉以外にも、シェイクスピアのいろいろな翻訳、日本の憲法の現代語訳などが掲載されています。

神道

大祓詞の現代語訳が載っています。
祝詞の現代語訳は、学者など専門家が書くことが多いのですが、今回は文章として読みやすく分かりやすい仕上がりになっています。

仏教

般若心経は、唱えたことはありますが、意味をほとんど知りませんでした。
たまにお坊さんが読んでいた白骨とか、こういうお話だったんですねぇ。

キリスト教

聖書のマタイによる福音書の、各翻訳の比較ができます。口語、文語、新共同など。

面白いのはケセン語訳で、これは東北の気仙地方の方言だそうです。

山浦玄嗣やまうらはるつぐは「信仰の言葉は信徒の耳に直に届かなければならないと考え(P126)」て、ケセン語辞書を作ることから始めて聖書の翻訳をしたそうです。

ただ訳すのではなく耳に聞いてわかりやすいように、漢語を避けてときに大胆な意訳をしています。

原文「心の貧しい人は、幸いである、天の国はその人たちのものである」
ケセン語「頼りなぐ、望みなぐ、心細(こごろぼそ)い人ァ幸せだ。神様の懐(ふどごろ)に抱(だ)がさんのァその人達(ひだぢ)だ。」(P126)

「最後の晩餐」は「最後のお膳」(P169)。
確かに晩餐って最後の晩餐ぐらいしか使いません。
「取って食いなれ。これァ、俺ァ体(かばね)だ。」(P169)
「ヤソォ語(かだ)りやった。『はっきり語(かだ)っておぐ。其方(そなだ)ァ今夜、鶏(にわどり)ァ鳴ぐ前(めァ)に、三回(みげァり)、この俺ァどごォ知ら゜ねァって語(かだ)っ事(こっ)た。』」(P170)

地元民の心には入りやすかったようで、長らくイエスの言葉をさまざま聞いたが、今日ほどイエス様の気持ちがわかったことはなかったと言った老婦人がいたそうです。

おことわり

なお、元の文章ではケセン語専用の表記文字が使用されていますが、入力できないため、省略または近い音の表記に変えて引用しました。
また標準語と同じ読み方をする漢字のルビも省略しました。
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神様のふとん

先日、とある神社に行ってきました。

本殿を特別拝観

今年は天皇即位記念ということで、普段は非公開の本殿や摂社・末社を拝観できました。

修祓を受けて本殿の敷地に入ると、すでに数十人の参拝客がいました。

若い神主さんが汗を額に浮かべながら、創建の由来や文化財としての見どころを説明していました。
浅黄の袴と日に焼けた肌の赤み。
空の青さは濁りなく、日差しが彼に刺さります。

御装束神宝

本殿の中には、神様のための衣服や椅子、布団など調度品が納められているそうです。
御装束神宝のことでしょうかね。

装束は名前通りに衣服や服飾品など。
神宝は神様の御用に供する調度品で、紡績具、武器、武具、楽器、文具、日用品などだそうです*1

神様も寝る

神様は朝起きたら、拝殿近くの椅子に座って人間の祈りに耳を傾ける。夜は奥でお休みになるというお話でした。
なんだか人間の生活のような映像を思い浮かべてしまいました。

神主さんが「質問があればどうぞ」と言ったので、

私は「神様も寝るんですか?」と聞きました。
「夜はお休みになって力を貯めておられます」
布団の中で神様も横になるのか……目は開けたまま寝るのかなと考えました。

布団を使うとは明言されませんでしたが、椅子に座るなら布団にもお入りになるのではないでしょうか。

神主さんによると、「神様も夜はお休み中だから、夜中に参拝に来るのはあんまりよくない」とのことでした。

いつだったか、地元の祭りで夜の神社に行ったことがあります。
なんだか本殿から眠そうな感じがして、うしおさんに話したことがあります。

神主さんの顔には玉のような汗が浮かんでいました。
笑顔で一生懸命に説明してくれてありがとうございました。

参考文献
「神社のいろは」

神社検定公式テキスト1『神社のいろは』

神社検定公式テキスト1『神社のいろは』

*1:参考:神社のいろはP158。

[書籍紹介]山怪

山で死にかけてから三年

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未だになんだかよく分かりません。

さて、図書館でぶらぶらと書架(本棚)を眺めていると、山の不思議な話を集めた本がありました。

山怪 山人が語る不思議な話

山怪 山人が語る不思議な話

ヤマケイ文庫 山怪 山人が語る不思議な話

ヤマケイ文庫 山怪 山人が語る不思議な話

出版して1ヶ月と11日で六刷なので売れたのでしょう。
弐と参まで刊行されています。

山怪 弐 山人が語る不思議な話

山怪 弐 山人が語る不思議な話

山怪 参 山人が語る不思議な話

山怪 参 山人が語る不思議な話

山怪とは

山怪の序文にはこう書かれています。

日本の山には何かがいる。
生物なのか非生物なのか、個体なのか気体なのか、見えるのか見えないのか。
まったくもってはっきりとはしないが、何かがいる。
その何かは、古今東西さまざまな形で現れ、老若男女を驚かす。
誰もが存在を認めているが、それが何かは誰にも分からない。
敢えてその名を問われれば、山怪と答えるしかないのである。
(P3より)

「これだな」と思いました。なんだかよく分からない。これぞ山です。

宗教・神道コーナーには何度か足を運びましたが、民話・伝説コーナーはなぜかほとんど見ていませんでした。
服飾や飲食の文化史があり、その隣に妖怪の本があるのは何となく知っていたのですが。

興味のない棚でもふらっと見に行くのは大事ですね。

うしおの意見

うしおさんに聞いたら「三年経ったしそろそろヒントが出たのでは」と言っていました。

著者はフリーランスのカメラマン。マタギ(猟師)の取材をよくされています。

内容紹介

P172の「ナビの策略」では私の体験とほぼ同じようなことが書いてあります。
著者は泊まる予定のホテルの情報をプリントしたものを忘れてしまい、名前も思い出せません。とりあえず市内の中心地に出れば道が分かるだろうと、目に付いた消防署をナビに入力します。

県道をまっすぐ行くはずなのに左折右折左折。田圃を過ぎ、寂しい集落を過ぎ、杉林に入り勾配はきつくなり、未舗装の林道はすれ違い困難なほど細くなりますした。
嫌な予感がしてUターン。県道に戻るとすぐに道が分かったそうです。
ホテルにたどり着き、あの道がどこへ向かう道だったのかを確認すると、標高700メートルほどの山の頂上だったそうです。

夜中に山の頂上に行くなんて、考えただけでもちびりそうです。

お化けいないよ派

山の住人の中には、不思議なことにも全部説明がつくと言い切る現実主義者もいます。
山の怪異では、誰もいないのに人の声が聞こえる話が多いのですが、「移動販売やお知らせの放送が山の下からいろんな所を伝わって、すぐそばで何か言っているように聞こえるだけ」(P120)。
と一応は説明してくれます。

ベテランのマタギが迷う話もよくあります。
集落で捜索隊を編成することもあり、皆に迷惑をかけてしまいます。
「そん時に狐にやられたって言えば誰もそれ以上は何も言えねべ? 都合の悪いことは全部狐のせいよ」(P47)。
なるほど山で生活していないと出てこない発想ですね。

その他まとめ

狐は生臭もの(魚)と油揚げが好き
天ぷらなど揚げ物も盗られる。
狐をいじめない。
狸は音を出すだけ
生のニンニクを一つ胸ポケットに入れておく
雪山で遭難したら寝るな
吹雪の中の呼び声は人間ではない
お経を唱えたり、たばこで一服して落ち着く
幼い子供が山中で行方不明になると、子供の足では不可能なくらい奥に入り込んだり、大岩の上で発見されたりする。
慣れた道なのに大岩が塞いでる(ぬりかべ?)ときは深呼吸などで落ち着くと消える。
濃霧の日にリュックを捕まれたら振り向かない、大声を出さない。静かに少し待つと必ず去っていく。
見慣れない道やきれいな池ができていたら行かない。
きのこなど好物に惑わされるな。
テントに泊まると何かが出るが、車中泊は何も出ない。

天狗夫婦がホラを吹く

ドキ! 寺だらけの山巡り

数々の寺を持つ霊山に出向きます。
一カ所目のお寺はゆるい出店がありました。やはりお寺はエンタメ感があり接客スキルも高いです。
二つ目のお寺に行く前に、山中のレストランで腹ごしらえ。

天狗の写真

店内は混み合っているので料理を待つ間、書棚の写真集をうしおさんと眺めていました。

修験者の写真が何枚かありました。このあたりで修験道が盛んだったのかもしれません。
ヒゲのたくましい男たちは胸元にぼんぼんのついた白い服を着ています。
きわどい崖の上でおびえる風もなく強い視線をカメラに向けていました。

修験道

暇つぶしに、修験道は明治に廃止された話などをうしおさんにしました。
修験道とは

山岳修行を通じて超自然的能力を身につけ、その力で神仏の加護を得て民衆の救済活動を行う信仰・活動のこと
(神社のいろは続きP150)

密教山岳信仰陰陽道などがベースで、修行者は山伏とも呼ばれます。

修験道ってまだやってるのかな」
とうしおさんに聞かれました。近年の写真は皇室のバックナンバーで見たことがあります。
「まだあるにはあると思う」
「女性の修験者っているのかな」
「いやぁ見たことないね。山だし、こういうのって女人禁制なんじゃないの」
ヒゲのおじさんしか見たことがないので、適当に答えました。

宙飛ぶカーナビ

食後に次の寺を目指したものの、ぐるぐる回ってなかなかたどり着けません。
(また山の怪異か?)
またうしおさんは山に吸い込まれてしまうのかと不安が募ります。

単にカーナビが古くて、遠回りの旧道を走っていただけでした。

お目当ての寺に着いたものの、時間も大幅に遅れており、大層くたびれてしまいました。
駐車場から更に長い石段を上ってヘトヘトになり、お茶で一服。もう動きたくない。

夫婦天狗

御朱印帳を受付に預けてから近くのお地蔵さまを拝むと、白い装束をまとった男女が現れました。

(えっ、修験道の話をしたら修験者が出てきた)
この目で山伏を見るのは初めてです。しかも夫婦のようです。

あの長ったらしい階段を上ってきたはずなのに、彼らは息も切らさず、疲れたそぶりも見せません。
椅子においた荷物が目に入り、その中には法螺貝がありました。
大河ドラマでたまに聞くアレです。

うしおさんによると、夫婦は住職に「お経をあげていいか」などの確認をしていたそうです。

法螺貝

ご本尊の横から洞窟のようなところに入ると普段は非公開の秘仏が並んでいました。
うしおさんと二人で拝んで回っていると、表から法螺貝の大音量。
こんなところまで聞こえるのかと仰天しました。

戦場などで信号として使用されていたのは知っていましたが、実際に聞くと迫力があります。高音も出ます。

表に戻ると修験者夫婦は、仏様にお経を唱えていました。経文も見ないぐらいですから唱え慣れてるのでしょう。
再び聞こえる法螺貝。もう二度と聞くことがないだろうなぁと思いました。

かたや他の参拝者が、「秘仏を写真に撮っていいか」と住職に聞いていました。

山からの返事

修験道はもうあんまりない」とか、「女の人はいない」などと言ったはしから夫婦の修験者と出会うという、山からの即レスでした。

大量に寺があるせいか、特に不思議なことや怖いことは起きませんでした。

目玉を追い払う三本柱

夢うつつのマシュマロ

床につくと脳裏に色々な映像が流れていきます。
起きたまま夢を見るような、単に夢を見ているだけかもしれない感覚です。
心配事などがあると、薄気味の悪い映像が見えます。

その日は食べ過ぎでおなかの調子が悪かったせいか、いろんな人の目玉が見えました。
人間の目です(あくまでも「そういうイメージが浮かぶ」と言うだけで、実際に何かが見えるわけではありません)。

そのことをうしおさんに話すと、
「目玉が見える。マシュマロみたいなのがいろんな方向から見ている。でも怖がらないで。私がいるから」
と言いました。

いや、よけい怖いわ。

「うしおさんは、今まで何かが見えるとか言ったことなかったよね」
「霊能力がちょっと上がったから」
最近は山に行っていないのですが、勝手にレベルアップしていました。

三本柱が降臨

「三本の柱が降りてきて、マシュマロ目玉を蹴散らしてくれたからもう大丈夫。柱は地下に降りていった」
とうしおさんが話していました。

神様の数え方

日常会話であまり使わない「柱」。
神様は「一柱ひとはしら二柱ふたはしら」と柱を単位に数えます*1

人々が神様を依りつく樹木をご神木として神聖視してきた
(神社のいろは P45より)*2

のが理由だろうとされています。

(柱ってもしかして神様なの?)

我が家の神棚にはお神札が三枚祀られています。
神宮大麻氏神様と、交通安全の神様です。
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ああ、助けてくださったのだ。

その考えをうしおさんに伝えました。

「柱が地下に沈んでいくの?」
「四次元だから、本当は上下とかはない。あえて言うなら、上から来て下に消えていった」

異常に苦しかったお腹も、いつの間にか落ち着いていました。
うしおさんが塩で清めようというので、額に塩を刷り込んで、洗い流してから布団に入りました。

うしおさんが一体何を受信しているのかは、まだ飲み込めないところがあります。

*1:ちなみに延喜神名帳では「」で数えます。

*2:

神社検定公式テキスト1『神社のいろは』

神社検定公式テキスト1『神社のいろは』

[記事紹介]貧困男子さんの真光体験談

普通の人の入信体験談

今回は貧困男子さんが好きな女の子に誘われて入信し*1、脱会するお話を紹介します。
xn--icss5hm21axnv.jp

分かりやすくまとめられています。
文体も読みやすく、「真光ってなに?」と思って最初に読むのにオススメです。

被害体験の偏り

日々(元)真光信者の皆さんの恨みや悲しみを目にしています。

しかし信者・元信者の全員が苛烈な体験をしたというわけでもありません。
地方や時代、にもよるでしょうし、道場長やおスエワニン(?)、先輩信者、特に家族の信仰度合いや強制程度に左右されるでしょう。
ネットだけ見てると強烈な被害体験ばかりが目につきますが、それが平均値というわけでもありません。

ライト層は辞めやすく、被害の度合いも少ないのでそもそも外部に訴える必要もありません。
なのでこの層の実態は分かりにくいところがあります。
こういうゆるっと活動している人達もいますよ、というお話です。

コメント欄が本番

記事の一番下に閲覧者のコメントが書かれていますが、なかなか盛り上がっています。

被害体験もあれば怒りの批判もあり。
家族に辞めさせたいなどの相談もあり。
これに対する貧困男子さんのレス(2019年7月6日書込)はなかなか本質をついていると思います。

*1:この手の勧誘はまだまだ有効なのですね