以前に「ケセン語」という気仙沼地方の方言で書かれた聖書を紹介しました。
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よきたより
内容は4つの福音書ですが、目次では「マタイの伝えた《よきたより》」となっております。
確かに「○○伝」や「福音」ではすっと馴染みにくいものです。
何弁で書かれている?
地の文や王などの改まった言葉は幕末期の日本語風でややかため。
イエスも改まった場では、このござる口調です。一人称はやつがれ。
各地方や役職ごとに方言が割り当てられ、
イエシューやガリラヤ人はケセン語、
サマリヤ人は鶴岡弁、
ローマ人やピラトーは鹿児島弁
……と他にも色々そろっています*2。
人はパンのみにて生くるものに非ず
この聖書は分かりやすい反面、原文にない意訳をしている箇所があります。
聖書で有名な「人はパンだけで生きるものではない」ですが、本書では
「人は飯さえ食っていれば幸せに暮らすというものではない」(マタイ4.4。P32)
というように、日本語として分かりやすい文章になっています。
確かに日本でも「飯」というと、食事そのものや、生活費の意味があるので通じやすい意訳でしょう。
他にも「石をパンに変えてみろ」も「握り飯に変えてみろ」(ルカ4.3。P335)となっています。
すべてが握り飯に置き換えられているのではなく、5千人に分けるのも最後のお膳で分かつのもパンでした(マタイ14.13-21、26.26)。
洗礼
洗礼者ヨハネは「お水潜らせのヨハネ」として登場。
真光信者は洗礼自体が何のことか分からないので、「火の洗礼・水の洗礼」と脅されていました。
「お水潜らせ」だったらそこまで怖くなかったんじゃないでしょうか?
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以前紹介した口語訳版ともかなりニュアンスが違います。
隣人を自分のように愛しなさい(新共同訳)
「汝の隣人を愛せ」も
「見ず知らずの他人をも進んでおのが身内となし、これをおのれのごとくに大事にせよ」(マタイ19.19。P123)
と具体的な説明になっています。
脚注によると
《隣人》とは隣近所の親しい仲間。ただしこの掟には、見ず知らずの他人でも自分の目の前にいる人を自分の《隣人》として扱えとの含意がある(同P)
だそうで、当時の文化・背景も分かるようになっています。
鹿児島弁ピラトー
去年は大河ドラマの西郷どんを見てたので、ピラトーは鈴木亮平の声で再生されますね。
「
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何故イエスよりバラバが解放されたのかはP294に詳しいので、自分の目で読んでみてください。
その他
死後の復活は「三日目にはまた立ち上がらせていただくことになっている」(マタイ16.21。P109)
メシアは「お助けさま」などやわらか言葉。
まとめ
とはいえ「聖書に興味あるけど、そもそも日本語として意味が分からない」という方には解説も多く、読み物として楽しめると思います。
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出典「ガリラヤのイェシュー」。
おことわり:引用の際に、一部のルビを省略しました。