真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

【神社検定のコツ】ノートにまとめるな

ノートを取るという呪縛

学校の授業は板書が基本です。
ノートをきちんと取っているか、先生にチェックされたことありますよね。
してない人はよく怒られていたものです。

しかし資格試験では、この「勉強=ノートにまとめる」という常識が足を引っ張ります。

ノートにまとめるのはただのムダ

必要なことは全部教科書に書いてあるので、ノートに書くこと自体がムダです。
教科書にはラインを引いて、余白にちょっと書き込みでもすれば十分です*1

ノートの弊害

最大の弊害は、勉強したような気になってしまうこと。

ノートにまとめること自体が目的になってしまい、肝心の勉強がおろそかになることがあります。
むずかしく言うと「手段の目的化」です。

きれいなノートに意味はない

多色ペンを使い分けてカラフルにしたり、きれいにまとめている方もいます*2
もはやきれいなノートを作ること自体が目的になっていませんか?

理解して、覚えるためにノートを使うのです*3

そもそも教科書を読んだだけで、要点がどこか分かりますか?*4
授業と違い、先生が解説したり、ポイントを教えてくれたりするわけではありません。
これではまとめようがありません。

基本は問題集

本当に大事なところは、過去問で出題された部分です。
何も分からなくても問題集を解いて、教科書にマーカーを引くのです。

そして間違えたところはさらっと要点をまとめます。
ここで初めてノートが必要になります。

私が実際にノートに書いたのは

釈日本紀 しゃくにほんぎ-卜部兼方 日本紀の家」
「三枝祭-大神氏」

という程度です。色ペンは使いません。

似たもの同士は比較してまとめましょう。
斎院と斎王、多賀大社伊弉諾神宮あたりは最後までなかなか覚えられませんでした。

教科書にはいらないことも書いてある

教科書には重要度の濃淡があります。
本当に要点だけ書いたら、単語の羅列や箇条書きだらけになってしまい、内容が理解できません。

例えば弐級の「神社のいろは 続」には歴史や仏教の解説も書いてあります。
それがないと理解できないからです。

しかしあくまでも神社検定は正式名称の通り「神道文化検定」なのです。
神道と仏教との関係」は非常に重要ですが、「仏教そのもの」の試験ではありません。
神道の歴史」がテーマであって、「歴史」の試験でもありません。

目的が何かを忘れると無意味な勉強をして時間を浪費します*5
基本を押さえましょう。

unlearn-mahikari.hateblo.jp
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*1:というと教科書の余白にびっしり書き込んで、教科書をノートにしてしまう人もいるそうです。違う、そうじゃない

*2:女性に多い印象があります

*3:東大生のノートは美しいなんて書籍がヒットしたのもよくなかった。

*4:

*5:無意味にサブテキストを増やすとか