真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

真光の元ネタ:五大宗教元一つ=三教一致思想

五大宗教元一つ

真光では五大宗教は元々一つの教えであり、それが真光の教義だと主張しています(記憶違いだったらすみません)。

他の宗教の中から、自分の知っている宗教と似たような話や、似たような教えが見つかることってありますよね?
「元々一つのものだったんじゃないかな?」
と思うのは、むしろ月並みな発想です。

他の新宗教にも「五大宗教元一つ」と同じような考え方として「万教帰一」を唱えるところが何カ所があります。
こうなるとありふれて平凡とさえ言えます。

個性的になろうとすると、かえって没個性の金太郎飴ができあがります。

本地垂迹ほんじすいじゃくせつ

仏教は元々外国の神様ですが、日本に伝来して広まりました。
平安時代頃には

「仏こそが神の真の姿『本地』であり、日本の神々は人々を救済するために仮に神という姿で日本に現れた『垂迹』である」

*1
という本地垂迹説がありました。神様の姿は仮の姿で、本当は仏様なんだよ、というお話です。

熊野神の真の姿は阿弥陀如来」、「神は仏と同体(神仏習合)」

*2

どの神様の本体がどの仏様なのかという対応も推測されていきます。
このように昔からある、むしろ伝統的な考え方と言っていいでしょう。

三教一致思想

三教一致思想とは、中国の「仏教・儒教道教の三教は究極的に一致する」という思想のことです*3
これが日本に入って「仏教・儒教神道」の三教に変わりました。

この 三教一致思想を取り入れたのが吉田兼倶室町時代神道家です。
吉田兼倶は、本地垂迹説に対し、逆に「神こそが仏の真の姿で、仏は神の仮の姿」だよという「神本仏迹説」を主張しました*4

神本仏迹説自体は鎌倉時代にもありました。
兼倶は更に一歩進めて、神道は万物の根源なんだから、他の宗教も含まれてるんだよ、と主張します*5

「五大宗教元一つ」もなかなか歴史が深いでしょう?
500年も前からこのような思想があるのですから、単なる伝統と言えます。
パクリだなんだというよりは、むしろ普通で何の特徴もありません。

*1:

神社検定公式テキスト1『神社のいろは』

神社検定公式テキスト1『神社のいろは』

P58

*2:

神社検定公式テキスト1『神社のいろは』

神社検定公式テキスト1『神社のいろは』

P58

*3:

神社検定公式テキスト3『神社のいろは 続(つづき)』 (神社検定公式テキスト 3)

神社検定公式テキスト3『神社のいろは 続(つづき)』 (神社検定公式テキスト 3)

P113

*4:

神社検定公式テキスト3『神社のいろは 続(つづき)』 (神社検定公式テキスト 3)

神社検定公式テキスト3『神社のいろは 続(つづき)』 (神社検定公式テキスト 3)

P113

*5:同上P113>> 「『神道』を万物の根源と定義し、諸教もそれに包摂されると説いたのです」 <<