真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

天津祝詞ができるまで

あんまり需要のない天津祝詞シリーズ

unlearn-mahikari.hateblo.jp
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大祓詞にある「天津祝詞あまつのりと祝詞ふとのりとごと」とは、何か特別な唱え詞があるよ派の一人に平田篤胤あつたねがいます。
歴史の教科書に載ってたかなというレベルでしか覚えていませんが、幕末の国学者です。この方が天津祝詞を作成しました。

……というところまではネット情報で分かりました。
どうにも出典をはっきりしないと、記事にするには座りが悪いので調査に時間がかかりました。
篤胤の著書「天津祝詞考」がソースのようなのですが古文が読解できずにいったんは頓挫。
学生時代には古文や漢文が何の役に立つのか理解できませんでしたが、十年以上経ってから「あのとき勉強しておけばよかった」と後悔。
人生何があるかわからないものです。

話はそれますが、子供の嫌いな科目No.1は数学だそうですね。社会人になったら数字の話がほとんどですので頑張りましょう。
医学と科学、数学と論理はたしなみましょう。エセ医学に騙されると最悪死にます。

というわけで「天津祝詞考」の現代語訳が載ってる本を探しました。天津祝詞は思ったほど祝詞関係の書籍には取り上げられていませんでした。図書館の司書に尋ねても見つからず、最終的にGoogle Booksで見つけました。

篤胤は「美曽岐祓詞みそぎはらえのことば」が「天津祝詞の太祝詞事」じゃないかと考えました。
美曽岐祓の詞は祓詞とほぼ似たような文章で、当時から流派別に何パターンかありました。それを篤胤は「なんか間違いが混ざってるなあ」と思い、四種の美曽岐祓の詞を比較検討した上で一つの正文を定めました。
そしてこれを「天津祝詞の太祝詞事」として「天津祝詞」と名付けました。

この説を受け入れず、弟子の鈴木重胤は「他の神道の詞だよ派」、「大祓詞そのものだよ派」が当時からおり、今に至るまで結論は確定していません。

そしてこの天津祝詞大本教などで取り入れられて改変されたそうです。

参考文献

祝詞古伝承の研究 (1985年)

祝詞古伝承の研究 (1985年)

祝詞古伝承の研究
国書刊行会
祝詞全評釈―延喜式祝詞 中臣寿詞

祝詞全評釈―延喜式祝詞 中臣寿詞

青木紀元祝詞全評釈