真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

真光をやめさせたい

批判サイトは脱カルトに有効か?

真光をやめた成功例でよく見かけるのは「批判サイトを見て目が覚めた」というものだと思います。
インターネット上に批判的な情報があり、インターネットに親しんでいる人達がそこにたどり着いた。その一部は脱会できた。
しかし信者の内、何割が批判サイトを見て、その中の何割が真光をやめられたのかは実数が解りません。

批判サイトで目を覚ましたという証言があるからといって、この手法が効率的なのかは判断ができないのです。

真光やめたら地獄に落ちるよ!

真光は信仰を捨てることに対して強く脅しをかけています。これはカルトの特徴です。
信者にとって信仰を捨てるのは崖から飛び降りるようなものです。それ以外の世界など存在しないのですから。よって「インチキの証拠を突きつけて目を覚まさせよう」という行為は崖に立つ人を後ろから突き落とす行為です。

「ここ真光批判サイトじゃないの? やめさせないの? あんた真光のスパイなの?」

「やめさせる」というのは「強要」です。そんな言葉が出てしまうのはなぜでしょうか?
「相手を自分の都合のよいようにコントロールしよう」「支配しよう」という気持ちがありませんか?
自分が正しいと確信したら、それはすでに真光に敗北しているのです。

怒りや憎しみなどのネガティブな気持ちで接して強要しても相手は反発するだけです。 自分が同じことをされたらどう思うか考えましょう。
仮に強引に形だけは退会させても心は真光に囚われたまま。表面的にはやめたように見えるため、問題がより複雑になります。

真光に限りませんが、他人は変えられません。 自分が変わると相手も変わります。

やめさせようとすると、そればかり考えてしまいます。本当に必要なのは真光をやめさせようと躍起になることではありません。相手を動かすというのは相当頭を使います。相手は一人の人格であって、自分の一部ではないからです。思い通りにならないのは当たり前です。

悪意や攻撃などは相手に防御を取らせ、堅く殻に閉じこもらせてしまいます。聞く耳持たないか、反論するか、縁を切るぐらいしか結末はありません。
自分が相手を否定すれば相手も自分を否定します。
だから否定しない、強要しない、攻撃しない。
まずはひたすら耳を傾けて共感し、受け入れることです。

私のスタンスとしては「気づいて、考えて、選択してもらう」ですね。

真光をやめることは崖を飛び降りること。
まずは今の足場(真光)以外にも世界が存在していることを知ってもらおうと思います。真光と関係なく幸せに暮らしている人たちがいることや、やめた人は健やかに暮らしていることを知ってもらいたいです。

やめたあとの情報が意外と少ないんですよね。だから真光やめたら罰が当たると思ってしまう。

だからこのサイトのタイトルとは「真光やめたら幸せになりました」なのです。
真光批判を繰り返すよりも、やめた後の幸福を語る方が真光にとっては嫌なことなのです。

そうやって崖の向こう側の世界から、ちょっとずつ足場をのばしていこうと思います。
恐怖心に克って向こう側の世界からこちら側にジャンプするのは無理ですから、できるだけ近くまで足場を寄せていくのです。

母が真光から解放されるように、頭を使います。

unlearn-mahikari.hateblo.jp
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