真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

真光批判の意味のなさ

批判は逆効果

真光批判ってあんまり意味ないですよね。それが私のスタート地点です。

真光被害に怒ってる方に「批判など意味がない」言うと「真光の肩を持つのか」と思うことでしょう。

批判サイトは確かに信者を減らしたでしょう。
しかし批判サイトができはじめてからすでに10年以上が経ちました。批判サイトで目が覚める人はもうとっくにやめているのです。
そもそも批判サイト自体見ない人や、しがらみでやめたくてみやめられない人、批判サイト程度では信仰が揺るがない人などが残っているのでしょう。

さて、90年代くらいはオカルト番組が多かったです。UFOだネッシーだミステリーサークルだノストラダムスの世紀末だって騒いでたんですよ。
オウム真理教の教祖ですらテレビに出ていましたが、サリン事件で一気にカルト宗教への目が冷たくなったのです。そういうのもあってオカルトブームは去りました。
カルトも伝統宗教も含めて、全般的に宗教の信者は右肩下がりです。

ところで真光批判サイトってなぜ削除されないのだと思います?

言論の自由だから」
「削除依頼を出して騒がれたら困るから」
「消すと増えます、でしょ?」
「裁判になるとインチキがバレて逆に困るはず」

という批判サイトが有利なように考える意見も見かけますが、私の考えは違います。
「真光に有利だから」です。

真光を批判したり攻撃しても意味がない

真光をやめさせようとやっきになると視野狭窄になります。
人間は怒ると深く考えることをやめてしまい、白黒思考になりやすいのです。
世の中も信者の心も複雑なのに、これではよい考えも浮かびません。

正義感にかられて動くと、自分の言いたいことだけを言って終わりになってしまいます。それは逆効果です。

相手を動かすことが本来の目的なのですから、「では、どうするのか?」という難しいことに向き合わなければなりません。