真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

天津祝詞は存在しない?

天津祈言の元ネタを探して

天津祝詞」で検索すると、真光の「天津祈言」の元ネタらしきものがヒットします。
それをオリジナルと思いこんでしまい「アマツノリゴトじゃなくてアマツノリトが正しいですよ」という記事を書くつもりでした。

もはや脱会して随分経ちますから、真光的に「アマツノリト」なのか「アマツノリゴト」なのか忘れてきました*1
ネットで見つかる「天津祝詞」の文言は何パターンかありましたが、中にはカルトの勘が働くものもあって出典とするには難がありました。

「この代表的な祝詞くらい図書館で探せば見つかるだろう」と思い祝詞の本を4冊ほど借りてきました。
しかし「天津祝詞」という名前の祝詞がどの本にもありません*2

もしかして――

神道の世界に「天津祝詞」は存在しない?

では天津祝詞はどこから来たのでしょうか?
順を追って説明しましょう。

祝詞とは

神社本庁 | 祝詞について
まず祝詞とは、「祭で神に申す(ことば)*3

狭い意味では神職の方が神前で奏上するものです。
お祭りのときなどに自然の恩恵、日々生かされている感謝であったり、お願い事などを神様に対して読み上げます*4

一般の方が祝詞を唱えてはいけないなんてことはありません。
参拝のときには略拝詞(りゃくはいし)などを唱えます。

(はら)(たま)ひ清め給へ 守り給ひ(さきは)へ給へ」

言霊信仰

祝詞の背景にあるのが言霊(ことだま)信仰です。これは祝福の言葉を言えば幸福が来るし、悪い言葉を言えば不幸が起きるという思想です。
ゆえに祝詞は神様を盛んにほめたたえる言葉を使います。

ちなみに祝詞の初出は、古事記において天岩屋戸で天照大御神がお籠もりになったところで天児屋根命(あめのこやねのみこと)が「布刀詔戸言(ふとのりごと)」を申し上げたところです。これはノリゴトに美称の(ふと)をつけたものです。

日本書紀本文では、天照大御神が出てきた直接的なきっかけは天鈿女命(あめのうずめのみこと)の裸踊りですが、日本書紀の異説*5には「中臣の遠祖である天児屋命祝詞を読み上げられました。すると日神*6は磐戸を開けて出てこられました*7」とあります。


祝詞の読みはノリトですが、時代によってはノト、ノット、ノリトゴト、ノトゴトなどバリエーションがあります*8

*1:真光では天津祝詞ではなく天津祈言というのようですので訂正します。2017.9.24

*2:正確に言うと延喜式祝詞と現行の神社庁が定めたものの中にはないという意味です

*3:祝詞必携P8

祝詞必携

祝詞必携

*4:祭りの会場に集まった人々に聞かせるものもあります

*5:一書第二

*6:天照大御神のこと

*7:

神社検定公式テキスト?『神話のおへそ『日本書紀』編』

神社検定公式テキスト?『神話のおへそ『日本書紀』編』

P104より

*8:祝詞概説」西牟田 崇生編著 国書刊行会 昭和62年 P3