真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

うしおの霊感と神がかり

うしおと神道

うしおさんは神道の家で育ちましたが、「神社のいろは」に書いてあるようなことを教わったり習ったりしたわけではありません。

神社検定公式テキスト1『神社のいろは』

神社検定公式テキスト1『神社のいろは』

以前にもうしおさんは、山で殺されかけた事件の後、「あの神様は、人間がお願いをして岩に降りてきてもらった」と言っていました。
unlearn-mahikari.hateblo.jp

神社のいろはによれば、

古代の人々は、神様は一つのところにいつもいらっしゃるわけではなく、お祭りなどのときにお呼びして来ていただくものと思っていました。そのとき、神様は美しい木々や岩などに宿られると考えられていたのです。
(P16)

あのGoogle Mapsが使える山の神様はもう過疎で祀られないわけですから「帰っていただくわけにはいかないのかな」とうしおさんに聞いたら「帰ってもらうならそういう儀式が必要だ」と言っていました。

いにしえの祭りも神様をお呼びして祭りが終わったら神様をお送りしたとあります。

記憶のないうしお

こういう話をしたときのうしおさんは自分の言ったことを覚えていません。だから私のブログの記事で自分の発言を読んで「うしおさんとは立派なお坊さんみたいなことを言う人だなあ」と完全に他人事のように思っています*1

神懸かりというと不思議な衣装を着た女性が不可解な動作をしたり、奇声を発したりするいかにもな様子を思い浮かべますよね。
うしおさんは「そういうのは嘘だよ、見た目は普通と変わらないよ」と言います。

うしおさんが自分の発言を覚えていないのに気づくのは私がブログを書き始めてからなのでかなり後になります。見た目は何も変わらないのです。
最近は慣れてきたので「この発言は覚えてないだろうな」というのが見当がつくようになりました。
しかし妹のことを「死体と話しているみたい」と言ったのはうしおさんは覚えていなくて「面白い表現だなあ」と言ってました。まだまだ霊感が働いているのに気づかないことありますね。それぐらいいつもと変わらないのです。

霊感が何の役に立つのかと言うと神社やお寺で神聖さを深く感じる点と、ヤバイ意味で呼ばれてるときは「ここやめとこう」と分かる点。
あとは真光の罠に気づく点ですね。
よくできた罠というのはかかったことにさえ気づかないものです。

さきほども母を遠くの神社に連れて行こうと思いつきました。まったくもってこれはよいアイディアだと自画自賛したものです。
母に連絡する前にうしおさんに報告しました。
「長い時間、密閉された空間に二人でいるのは危険」という判断で却下になりました。危ない危ない。

*1:LINEに自分の発言残ってるんですけどね。