真光やめたら幸せになりました

真光抜けて十数年経ってようやく洗脳が解けました。

初代光玉=イエス・キリスト説

「tenは気でも狂ったか」と思ったかもしれないブログ読者と真光信者とキリスト教徒のみなさまいかがお過ごしですか。不謹慎を恐れてカルト批判はできません。

もうずいぶん前から、私とうしおさんの中で光玉氏のことは「害のないおもろいおっさん」という結論が出ています。酒を飲んだら楽しそうとすら思います。

真光の元ネタはキリスト教

うしおさんが言うには神道以上にキリスト教の影響が強いそうです。

手かざし

なんといっても手かざしで病気を治すところですね。
真光の初級研修では「イエス・キリストは手をかざして病気を治した。真光で小イエスになれると」と習います*1

聖書は手元にないので福音書を読んでいますが、イエスは病気治し以外に除霊・悪魔祓いもしています。イメージほど手をかざしているわけではないですが、マルコ6.5では「手をのせて、なおされた」*2とあるのでかつての救世教の浄霊のように手で触れる治療だったのでしょうか。

意外と基本的なことを失念してしまうのですが、このように元ネタはキリスト教です。イエスは宗教画ではだいたい手をかざしてるイメージがありますが、手元の芸術新潮2017年8月号にはそういう絵は掲載されていないので、真光の刷り込みかもしれません。

芸術新潮 2017年 08 月号

芸術新潮 2017年 08 月号

架神恭介が言うように、キリストはきっと気のいいロックなあんちゃんだったのでしょう*3。罪人や売春婦、税金取りという当時の被差別民に優しかった。その時代で言えば反社会的な行為だったでしょう。

光玉氏にしても、統計上に有意の差はなくても体感では手かざしの効果を感じていたでしょう。案外悪気はなかったかも知れません。

改竄と神格化

二代目以降教えが改竄されていることが明らかになり神格化される傾向にあります。後世の人々が話を盛ってしまうのは真光もキリスト教仏教と変わりません。

終末思想

世界の終わりがきそうな気がする人はいつの時代もいるようで、キリストの時代にもありました。天変地異だの戦争だので世界が終わる頃にメシアが現れるというのはキリスト教だけでなく仏教でも末法思想がありますね。

表現的にはキリスト教が元ネタのような気がします*4
ゾロアスター教にもあるそうなので*5、単に人がよく抱くディストピア願望的なものかなと思います。

さきがけのメシアや救い主というのもキリスト教の影響でしょうね。

地獄に落ちる

ゲヘナという言葉は初級研修で出たと思いますが、これもキリスト教の言葉です。
エスに洗礼を授けた洗礼者ヨハネも、悔い改めないと「火の中に投げ込まれる」と説いています*6
対比するように「わたしは悔改めのために水で洗礼を授けている(マタイ3.11)」とあるので火と水という組み合わせもここからでしょうか。
洗礼という言葉も「その方は聖霊と裁きの火とで洗礼をお授けになる(同3.12)」からきています。

また真光では「ゲヘナは魂さえも焼いてしまう」と脅しますが、これもマタイ10.28「体を殺しても魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄(ゲヘナ)で滅ぼすことの出来る方を恐れよ」とあります。

信者になっても安心できない

初級研修で真光信者になっても火の洗礼を免れられるとは限らないと脅されます。

これも洗礼者ヨハネが、洗礼を受けに来た大勢のパリサイ人とサドカイ人に「蝮(まむし)の末ども、わたしから洗礼を受けて来るべき神の怒りの裁きを免れるようにと、だれがおしえたのか。本当に悔改めたのか。それなら洗礼を受けるだけでなく、悔改めにふさわしい実を結べ。『われわれの先祖はアブラハムであるから大丈夫だ』などと考えてはならない(3.7)」と言ったことが元かも知れません。

元の文を読むと儀式さえをやってりゃ大丈夫と思わず、ちゃんと日々の行動に表しなさいよという意味なのが分かりますが、真光式だと入信しても心が安まらない感じしかしませんね。

宝を地上に積むな。天の倉に積め

善行や祈りは人の目につくところでこれ見よがしにやるんじゃなくてこっそりやりなさいよ。相手は天の父ですよと説いてるのですが、これも真光になんかあった気がします。
神様に貯金でしたっけ? 本当に思い出せないので誰か教えてください。

身内は入信しなかった。

光玉氏には妻子がいましたが入信することはなかったと言われています。
エスも生地ナザレで教えを説いたものの耳を傾ける者はなく、「預言者が尊敬されないのは、その郷里と親族と家族のところだけである」と人々の不信仰に驚いたとあります(マルコ6.1-6)。

悟り

またイエスは喩えをよく使い、弟子が意味を理解しかねると「まだ悟らないのか」と言います。
真光もサトるサトると言います。差を取るからサトリと言っていましたがどういう意味なのは思い出せません。覚えてる方がいらしたら教えてください。

神の子

真光でも「神の子、人」という言い方をしますが、福音書でも人の子とか神の子という言い方をします。
神道でも神様は人間の親ですよという言い方はするのですが、肝心の人間の誕生は神話になく、いつの間にかいます。神様が人を作ったという世界観はキリスト教よりだと思います。

人を裁くな

これも聖書から来ています。道徳的な教えは割と聖書ネタが多い気がします。

新約聖書 福音書 (岩波文庫)

新約聖書 福音書 (岩波文庫)

新約聖書福音書塚本虎二訳のあとがきによると、昭和初期には口語訳聖書はなく、文語体だったそうです。当時の人にとってもそれは理解しにくいものでした。

塚本氏は口語体に改訳したものを昭和5~6年から個人雑誌に掲載を始め、14年かけて完成させました。
威厳がないという批判を受け「結局宗教の経典は意味はわからずに朗読されるものを聴聞し、暗記するに便利なように出来ているのである」と述べています*7

その後各所から口語訳が出版されました。昭和25年にカトリックから新訳、27年にキリスト新聞社から新訳、28年に塚本氏のマルコ福音書、29年に日本聖書協会から旧約新訳。
そして真光は昭和35年頃です。つまり普通の人にとって意味が理解できる口語訳が常識となったのちの立教です。

イエス・キリストと光玉氏の共通点

実は本当に一つだけこの二人に共通項があります。
それは冤罪です。

*1:入信前のキャッチコピーかも?

*2:

新約聖書 福音書 (岩波文庫)

新約聖書 福音書 (岩波文庫)

*3:

「バカダークファンタジー」としての聖書入門

「バカダークファンタジー」としての聖書入門

*4:

かわいい☆キリスト教のほん

かわいい☆キリスト教のほん

P25

*5:同P40

*6:マタイ3.10

新約聖書 福音書 (岩波文庫)

新約聖書 福音書 (岩波文庫)

*7:同書P415