真光やめたら幸せになりました

真光抜けて十数年経ってようやく洗脳が解けました。

お寺参拝の妨害

行けない

その日の朝は大変でした。

一年ぶりにお寺に行く予定でした。山の神事件の直前にいただいたトイレの神様のお札を返納し、新しいものをいただくためです。
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最近トラブルがあり、前日に無事解決したものの、妙に不安感が強くて気分が暗かったのです。
「もしやうつ病にでもなった?」と心配になりました。

つらさのあまり、今日はどこにもでかけないようにしようかと思いました。ずいぶん前から予定していたことがあったので無理に外出したものの、声もあまり出ずに店員さんから何度も聞き返されたり、すでにヘロヘロです。
「どこにも行きたくない、休みたい」と私は駄々をこね始めました。
「出かけるのやめて家で寝ておく?」とうしおさんが尋ねます。
「イヤだよー」と反射的に答えました。
「喫茶店に行ったらおいしいケーキを食べようね」
とうしおさんが気を紛らわせました。

スイーツの話題でようやく思い出しましたが、その日は体調が悪くて朝食を食べていませんでした。単にエネルギーが足りずに力が出なかっただけなのです。

甘いドリンクをコンビニで買って、糖分を補給したらすぐいつも通りに元気になりました。
体調が悪いにしても異常な感じだったので、ちょっと邪魔が入ったのかも知れません。

途中で護国神社を通り過ぎ、「いつかここに行こうね」とうしおさんが言いました。

目的のお寺の手前に小さな神社があり、気になりましたが行きませんでした。

お寺は広くて、看板をよく見るとまだ行ったことのないところがたくさんありました。小さな滝と川の流水音が耳に心地よく、観光地に値する風景でした。
山の上から滝壺へと冷たい空気が降りてきて涼しかったです。
お寺の方が言うには市街地とは10度くらい気温が違うそうです。

不動明王

炎を背負った大きな仏様を見上げていました。
迫力のある目で天を睨みつけています。武器を持っているので戦いの守護神なのでしょうか?
パンフレットをもらいそこねてなにをお祭りしてるのか分かりません。

おみくじを引くと、神社とはまた趣の違うアドバイスがありました。裏面は英語で書かれていたので外国人の参拝者も来るのかも知れません。

社務所はお茶やお菓子も売っていたので買い求めました。おいしそうなお菓子に目移りして、うっかり肝心のお札をもらい損ねるところでしたが無事に思い出していただきました。

帰り道に、さっきの神社が気になりましたがそのまま行きすぎました。たぶん呼んでいました。よいものか悪いものかは分かりません。住宅地の中なので危険はなさそうです。

気が付くとずいぶんと心身が楽になっていました。
あのまま家で横になって行いては気分も晴れず、後悔していたでしょう。

護国神社

うしおさんが急に思いついて、行きがけに見た護国神社に行くことにしました。今行かないと、ここを通り過ぎるたびに「いつか行こう」と思うのでしょう。
さて神社らしい簡素な風景で、参道の周辺はやたらとだだっ広い広場になっています。年輩の男性が少しばかり伸びた芝生を刈り込んで整えていました。

ご朱印帳を預けていざ参拝。

護国神社戦没者を中心に警察官や消防隊員などの公務員の殉職者や女性も祀られています。
ご祭神を確認しましたが神話の神様ではなく、国家のために亡くなった方たちでした。
第二次大戦後にできたものだとばかり思っていたら、それよりも昔に創建されているのですね。

きっと遺族が念入りにお参りしているのでしょう。
イメージと違いとてもおだやかな空間でした。地域の祖先のみたまが見守っている感じがします。ここは歴史を大事にする人たちがいるのだなあと思いました。

お手洗いも掃除がよく行き届いていました。

大きな碑が建っており、神社よりかなり前に建てられたようでした。石の傷み具合から戦国時代よりは後のように見えます。

末社・摂社

木に隠れて分かりにくかったのですが、本殿の隣にもそこそこの大きさのお社がありました。
いわゆる摂社・末社ですね。本殿にお祭りしているご祭神様とゆかりの深い神様などをお祭りするのが摂社・末社です。
特に説明がなくてどなたをお祭りしているのかは分かりませんでした。

二つの鳥居

神社の一の鳥居は明神(みょうじん)鳥居と言いまして一番上の横木が反っているタイプです。
そのお社には神明(しんめい)鳥居がありました。神明鳥居はまっすぐな丸太で作られて反りがない素朴なものです。神明鳥居は伊勢神宮天皇の御陵(墓)など国家に縁深いところにあります。調べたら護国神社にはあるものなのだそうです。なんで二種類混在してるんだろ?

テーマは闘い

改めて振り返るとこの日のテーマは戦いでした。
前述の通り、私はトラブルに疲れていたのです。策を練り人に助けを求めて動いたので、闘いだったとも言えるでしょう。

検定前からストレスで心身の不調が続き、終わったところで別の問題に翻弄されて無益な消耗を続けていました。
寺社で闘う意志と安寧を得られました。こうやって、神様はいつも私に必要なものを与えてくださるのです。
私は日々感謝して過ごしています。

帰宅すると活力が戻っていました。
なんだか部屋の汚れが気になり始め、掃除機を念入りにかけていきます。買い換えたばかりの掃除機は軽快で使いやすくはかどりました。どんどんモノも捨てて整理もできました。

最近までストレスのせいかあまり頭の働きがよくなかったのでしょう。
気がついたらモノが部屋に収まらず、収納を三つも四つも増やしてしまいました。
収納は増やしてはいけないのです。
箱や棚を増やすのではなく、収まるようにモノを増やしすぎないようにしなくてはいけません。この鉄則を忘れていました。

おすすめの本。

ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -

ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -

最近流行のミニマリストの先駆け。本文でも説いていますが、モノを減らすのが目的ではなく、本当に必要なモノを見極め、多すぎるモノに振り回されないようにしましょうというのが主旨です。