批判サイトで必ず触れる件ですね。
基本情報ですが初代には妻子がおり真光には入信せず離婚しています。二代目は愛人だと言われています。
愛人というところを責めるのはなんか違うんじゃないかなぁと前から思っています。
あの時代がどういうものか分かりませんが、好き好んで正妻ではなく愛人の立場を選んだのでしょうか?
奥さんと子供は傷ついたでしょうね。二代目を責める権利があるのは彼らだけだと思います。何の利害関係もない私がどうこう言う問題ではありません。
第一、愛人だの妾だのって言うの、なんか前時代の性差別って感じですよね。
ちなみに愛人というソースは文明の教祖の発言*1。つまり仲違いしてる人の誹謗中傷ですね。あまりまじめに取り上げる価値を感じません。
確かにそこに触れないのは不自然なのですが、私が主張したいのは、二代目が愛人かどうかなんてことはどうでもいいということなんですよ。単なる属性は問題の本質ではありません。
むしろそこに着目することで本当に見なければならないことを見落としてしまう。
よって二代目が愛人っていうトピックに過剰に注目するのは真光にとって利益になると思っています。