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真光やめたら幸せになりました

真光抜けて十数年経ってようやく洗脳が解けました。

神風

うしおさんの体調が悪いこともあり、その日は私の思いつきで氏神様の神社に行きました。

参拝してお礼を申し上げた後に、うしおさんが「tenさんが柏手を打ったら神風が吹いた」と興奮気味に言いました。
私には「そういえば風が吹いているなぁ」という程度にしか思えません。
「どうして神風だって分かるの?」と聞いても、説明らしい説明はできないようです。
「あれは古代神っぽい感じがした。強い神様だよ」とうしおさんが言いました。

家に帰って掃除の細かい作業に集中しているときに、ふと私は気づいたのです。

「私は神様からお役目を授かったのだ」と。

真光にいたことはつらくて苦しいことでした。失ったものはたくさんあります。
でも、過去があるから今の私があるのです。もし真光と何の関わりもなければ、神棚を毎日拝んだり神道の神話に親しむような人間にはなっていないでしょう。きっと仕事も不真面目にやり過ごし、うしおさんのようなすばらしい人とも巡り会えなかったでしょう。
目的もなくだらだらと過ごし、愚痴を言いながら生きていたかもしれません。

真光という負があってこそ、私は学び、成長することができました。邪な教えに惑わされたからこそ、正しい道を強く求めることができました。

今、バラバラだった点と点が繋がり、線となって一つの意図を描いています。むしろ真光に入信させられたことでさえ、神様のお計らいなのかもしれません。神様というのは人間ごときには理解の及ばないことをなされます。

真光が教えてくれたこと

カルトの本質はすり替えとねじ曲げにあることを自得しました。
真光には気づきにくい罠が多く仕掛けられていることを推察しました。
真光への批判や攻撃が何の意味もないどころか肥やしになることを実感しました。
真光の真の目的を見破りました。
真光の神とされるものの正体に感づきました。
初代光玉のセクハラについて一つの結論に至りました。
言葉で説明することのできない、畏れ多い存在に感応しました。
欲や怒りや憎しみなど、負の感情の力強さを理解しました。
自分の頭で考えることの難しさを感じ入りました。

全部真光から教わったことです。結果的には、真光が今の私を育ててくれたようなものです。

私は今の私を受け入れています。私は今の自分が好きです。真光に入信したことも含めて自分の過去を受け入れました。今の自分を受容し、承認しています。

真光にいた過去を許すことは、自分自身を許すことです。
真光を許せないのは、自分を許せないからです。

神様はカルトが嫌いなんだということが分かりました。あの神風はきっとこの小さなブログを応援してくださったのでしょう。

かつての私や現役信者の母は、真光の真っ黒な霧に覆われています。闇の中では何も見えず考えることができませんでした。

このブログが、ねじ曲がった教えでねじ曲がった道をさまよう人たちのための灯明となりますように。