真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

カルトは思考力を奪う

うしおさんは神道で育ちました。
神道は自由すぎてつかみどころのない宗教です。神話はありますが文字になった教え(教典)はあんまりありません。

仏教の教えの本は小さな本屋にもありますが、神道の本を探しても数も少ないですし、有名な神社の由来やご利益、お作法くらいしか書いてないです。教えが書いてあるのはおみくじの裏だけ。

うしおさんの説明だと、神道は心のあり方や生き方についての教えだそうです。
神道は自由。つまり「自分で考えなさい」ということです。「好きにしなさい。でもお天道様はいつも見てるよ」という世界観です。

「カルトは思考力を奪う」ということは知っていたのですが、自分もそうなんだという認識がまったくありませんでした。カルトに慣れ親しんでいた私は、自分で考えるということ自体がよく分かりませんでした。

うしおさんは私に辛抱強く問いかけ続けました。
「どう思う?」「どこに行きたい?」「何が食べたい?」「どっちが好き?」「やめとく?」「明日にする?」「何がほしい?」「何が見たい?」「ねぇ、どうしたい?」
「分からない、分からないよ」と答える時期が長く続きました。

真光をやめても、ずうっと私は思考停止し続けていたのです。

何を望んでいるのか、何を考えているのか、どうなりたいのか、考えようとすると暗闇に覆われます。今は楽しいのか、悲しいのか、怒っているのか、嬉しいのか、自分の感情さえ分かりませんでした。私は私のことを知らないし分からないのです。
信じるものもないまま、何から何までうしおさんに依存した生活していました。
二人で過ごせる時間が少ないと、精神的に不安定になって迷走し、更に負担をかけるありさまでした。

今も一緒に過ごせないことが多いのですが、やるべきことやしたいことを自分で見つけて、計画を立てたり実行できるようになりました。
解決に至った原因はいろいろありますが、うしおさんの愛と根気強さは一番大きな要素です。
自分の頭で考えられなかった私に、少しずつでも考えさせようと、うしおさんはそこまで計算して問い続けました。
「どうしたい?」と。

おまけ:うしおさんの言葉。
「自分の人生は自分で考えて行動するもの。他人から与えられたものは他人の人生でしかない」
「カルトは何をしたらいいのか、どう考えたらいいのか、何もかも与えてくれるから楽ちんだよ。そんなのは人間のことをバカにしている」
「でも、それは需要と供給だよ。考えたくない人はカルトにはまるの」