真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

カルトの見分け方3 手間や時間がかかる

「お金じゃなければいいのでは」と思ってはいけません。お金は後から取り返せなくもないですが、時間は取り返せません。
手間や時間の負担がそれなりにあった方が「特別なことをしている感」がありますが、その特別感がクセモノなのです。おまじない程度でしたらもちろん問題はありませんが、生活を圧迫するものはやめましょう。つらい負担は「こんなにしたんだから」と御利益を期待するようになります。
つらい負担が目的に見合うものなら問題はありません。仕事に必要な資格を取るための勉強でも、大好きなアーティストのライブに行くための貯金でも、納得の上ならいいのです。

目的は明確ですか?
目的に対して適切な負担をするのではなく、不安を埋めるために「適当な努力っぽい感じのもの」を選択していませんか? 努力をしたんだと言い訳できそうなものを選んでいませんか?

時間を取られれば自分の趣味など楽しみに使う時間が減ってしまいます。勉強をしたり、仕事のスキルを身につける時間も減ります。家族や友人、恋人と過ごす時間だって貴重です。

明るく楽しく過ごすのは大事なことなのです。楽しむことはワガママだとだと切り捨ててはいけません。
真光信者だった私はつい最近まで楽しむことが苦手でした。信者も暗くくすんでいて、覇気のない人が多かったように思います。
何故真光は楽しみを奪うのか分かりますか?
文字通り、真光はあなたに楽しく過ごしてほしくないのですよ。