真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

怒りの余りに除霊する

お盆って本当に地獄の釜の蓋が開くんですね。色々事件が続いた盆明け頃のお話しです。

私は寝ているときに起こされるとものすごく機嫌が悪いタイプです。うしおさんには「いびきがうるさかったら起こしてもいいよ」と言ってあります。しかし私がブチ切れるので結局、うしおさんは私を起こすことなく耳栓をして寝ています。
ちなみに寝ぼけているときのことはまったく記憶にありません。

その夜は久しぶりに暴走族が来ていました。スヤっと気持ちのよい寝入りばなを起こされて怒りがマッドマックス。後から思えば「いくらなんでも怒りすぎだろ」というくらいにカッカとしてました。そのときは仕事でけっこうなストレスがかかって体調不良になっていたのでそのせいかもしれません。あまりの怒りで血が上ったのか寝付けず、次の日はかなりの睡眠不足になりました。

家に帰ってからうしおさんから聞いたのですが、あのとき手洗い場のあたりに女の霊の気配を感じたそうです。台所の隣が手洗い場で、トイレ、風呂場と湿っぽい場所が固まっています。彼女は手洗い場のあたりをうろうろしていたけれど台所の隣の部屋にある神棚に近づけないせいか、その奥で寝ているこちらにまでは来ていませんでした。

うしおさんが「嫌だなあ」と思っているところに騒音で起きた私がブチ切れたのでした。そしたらなんと霊の気配が消えたそうです。
なんか妙にブチ切れたなあと思ったら勝手に除霊してしまった模様。気迫がよかったのかな。神様の気配と人間の霊の気配って違うし、人間の怒りの方が追い払いやすいのかしら。

竹内文書から始まり、人の怨念の事件が続いていましたがこのときに諸々が消えて部屋が清浄になりました。

まあ、偶然といえば偶然です。
私は昔から人に助けられて生きてきました。苦しいときには必ず誰かが手を差し伸べてくれます。真光漬けの不幸な時代ですらそうでした。友達が少ない割には二度の転職とうしおさんとの出会いも人からいただいたご縁です。

山の神事件のときにもそうですが、あのとき怖くなかったのは心のどこかで「自分は絶対助かるはず」という根拠のない自信があったのだと思います。でないと「ここはこの世じゃない」と思ってるのに慌てふためかない理由がありません。
山の神事件の一ヶ月くらい前に、とあるお寺に行って「トイレの神様ですよ」と言われてお札を授かりました。ご不浄ですから不浄を祓う仏様の絵が描いてあります。何故か事件が起こる前に都合よくこういうものを買ってるんですよねぇ。あのお札があることでどれだけ心強かったことでしょう。

何も考えずにした行動が、都合よく自分やうしおさんを助けてくれることがよくあります。意味のない行動だと思っていたら意外とよい結果になっていたりします。謎のオートガードがよく発動します。
「なんでだろう、不思議だなあ」と思いつつ感謝して神棚を拝んでいます。
うしおさんからは「神様に念入りにかわいがられている感じがする」と言われました。

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