真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

天津祝詞の元ネタ:祓詞

真光の天津祈言の元ネタは祓詞はらえことば

祓詞とは

神社で改まって参拝したいときや祈願があるときは「昇殿参拝」や「正式参拝」といって本殿の中でお参りができます。
特に願い事に関する祝詞をあげてもらうときはご祈願やご祈祷と言います*1

本殿内で席に着くとまず修祓しゅばつで参列者の罪穢つみけがれを祓います。このときに読み上げるのが祓詞です。


祓詞はらへことば

けまくもかしこ伊邪那岐いざなぎ大神おほかみ筑紫つくし日向ひむかたちばな小戸をど檍原あはぎはらに、みそはらたまひし時に、りませる祓戸はらへど大神おほかみたち、諸々もろもろ禍事まがごとつみけがれらむをば、祓へ給ひ清め給へとまをす事をこしめせと、かしこみ恐みもまを
*2

意味:

心に思うのも恐れ多い伊邪那岐の大神が、筑紫の日向の橘の小戸の檍原で禊・祓なさった時に生まれ出でなさった祓戸の大神たち、種々の災い・罪・穢れがあろうことを、祓いなさり清めなさいませと申すことをお聞き届けなさいませ、と恐れ謹んで申し上げます。
*3

真光の天津祝詞の後半部分は、神道の祓詞がオリジナルだと私は考えます。

ネット情報ですが大本教でも祓詞を改変したものを使っているようなのでここを経由しているのでしょう*4


禊祓についてはこちら
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祝詞神職だけが唱えるものではなく、家庭でも唱えることを勧めています。唱え方には特別な方法はなく、大きな声を出す必要もありません。神主さんは独特の調子で読みあげますがこれをまねる必要はないとのことです。
ただ、神様に対して申し上げることなので間違いがないようにしましょう。


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参考文献

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真光の元ネタ:産土(うぶすな)

よく読み上げる弔霊じゃない方*1に「産土力うぶすなりき」という一節があるはずです。産土力って説明できます? 私はこの意味を誰からも教わっていません。

産土さまとは
神社を氏神さまや産土さま(神)と呼ぶことがあります。
本来の氏神さまとは同じ氏族が共同で祭った祖先神や守護神のこと。
産土さまは人々が生まれ育った土地の守護神です。今では氏神さまと同じ意味で使われています。*2

基本的に意味は解らないまま唱えていましたし、少なくとも私にとっての真光は雰囲気程度の信仰でした。
耳慣れない単語がちりばめられているものを意味も解らないまま読み、悦に浸る。

誰も知らないし教えてくれないし、でもそれを疑問に思わない。
あのころはけっこう選民意識がありましたね。こんな特別なことをってる自分はえらいと思っていました。何も知らないのに。

*1:タイトル教えてください

*2:

P20

真光の元ネタ:先祖崇拝

先祖崇拝というと仏教のイメージですよね。

古くから日本人は、亡くなった後、その魂である祖霊は地域を望む山などにとどまって子孫を見守り、盆と正月に降りてきて子孫と交流すると考えていました。*1

正月には年神様(正月様、歳徳様)をお迎えするために門松を立て注連縄かざりをします。新しい年に豊かな実りをもたらす神様であり、私たちのご先祖様とされています。

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真光ではやたらと先祖が祟ることにされています。本来ならご先祖様は血縁者であり子孫を見守る暖かい存在のはずなのに、負債の様な言いぐさです。
祟る祟ると子孫に言われるご先祖様の気持ちも考えてみてください。

神道にも御霊舎(みたまや)という先祖をお祭りするものがあります。
白木でできた仏壇みたいなものですが、日本古来の祖先の考え方が先にあって仏教の方が影響を受けたそうです*2

*1:

神社検定公式テキスト1『神社のいろは』

神社検定公式テキスト1『神社のいろは』

P136

*2:同P138

天津祝詞は存在しない?

天津祈言の元ネタを探して

天津祝詞」で検索すると、真光の「天津祈言」の元ネタらしきものがヒットします。
それをオリジナルと思いこんでしまい「アマツノリゴトじゃなくてアマツノリトが正しいですよ」という記事を書くつもりでした。

もはや脱会して随分経ちますから、真光的に「アマツノリト」なのか「アマツノリゴト」なのか忘れてきました*1
ネットで見つかる「天津祝詞」の文言は何パターンかありましたが、中にはカルトの勘が働くものもあって出典とするには難がありました。

「この代表的な祝詞くらい図書館で探せば見つかるだろう」と思い祝詞の本を4冊ほど借りてきました。
しかし「天津祝詞」という名前の祝詞がどの本にもありません*2

もしかして――

神道の世界に「天津祝詞」は存在しない?

では天津祝詞はどこから来たのでしょうか?
順を追って説明しましょう。

祝詞とは

祝詞について | 神社本庁
まず祝詞とは、「祭で神に申す(ことば)*3

狭い意味では神職の方が神前で奏上するものです。
お祭りのときなどに自然の恩恵、日々生かされている感謝であったり、お願い事などを神様に対して読み上げます*4

一般の方が祝詞を唱えてはいけないなんてことはありません。
参拝のときには略拝詞(りゃくはいし)などを唱えます。

(はら)(たま)ひ清め給へ 守り給ひ(さきは)へ給へ」

言霊信仰

祝詞の背景にあるのが言霊(ことだま)信仰です。これは祝福の言葉を言えば幸福が来るし、悪い言葉を言えば不幸が起きるという思想です。
ゆえに祝詞は神様を盛んにほめたたえる言葉を使います。

ちなみに祝詞の初出は、古事記において天岩屋戸で天照大御神がお籠もりになったところで天児屋根命(あめのこやねのみこと)が「布刀詔戸言(ふとのりごと)」を申し上げたところです。これはノリゴトに美称の(ふと)をつけたものです。

日本書紀本文では、天照大御神が出てきた直接的なきっかけは天鈿女命(あめのうずめのみこと)の裸踊りですが、日本書紀の異説*5には「中臣の遠祖である天児屋命祝詞を読み上げられました。すると日神*6は磐戸を開けて出てこられました*7」とあります。


祝詞の読みはノリトですが、時代によってはノト、ノット、ノリトゴト、ノトゴトなどバリエーションがあります*8
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*1:真光では天津祝詞ではなく天津祈言というのようですので訂正します。2017.9.24

*2:正確に言うと延喜式祝詞と現行の神社庁が定めたものの中にはないという意味です。一般的には現行の祓詞か、それに似たものを指すようです

*3:祝詞必携P8

*4:祭りの会場に集まった人々に聞かせるものもあります

*5:一書第二

*6:天照大御神のこと

*7:

P104より

*8:祝詞概説」西牟田 崇生編著 国書刊行会 昭和62年 P3

真光の元ネタ:恢弘(かいこう)

私も恢弘かいこうをやったことがあります。
恢弘とは地域の民家を回って真光を広める活動です。知り合いに出会ったらどうしようとひやひやしながら各戸を回ったものです。

うしおさんに話すと「ブラック企業とやり方が同じだね」と言われました。広めることそのものより恥をかかせること自体に意味があります。恥を捨てさせると言うことをよく聞くようになりますから。知らない人と名刺交換させたりするのと同じです。

さてこの恢弘という言葉の元ネタですが日本書紀神武天皇紀に「天業恢弘」という言葉が出てきます。
「天つ神から委ねられた事業を延べ広める」*1という意味です。

神日本磐余彦尊かむやまといわれびこのみこと神武天皇)は「瓊瓊杵尊ににぎのみこと以来の歴代が日向の地で施してきた恩沢は、未だ遠い国々には及んでいない。そこで天業恢弘のために東方の美しき土地に都をおこう」と東征を始めます。

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真光の元ネタは神道:注連縄

神社と言えば鳥居に注連縄。
真光は古来の宗教で縁起が良いものや清浄なものとされるものを否定していますが、しめ縄もその一つです。

正神が天の岩戸にお隠れになった時に、岩戸を縄で縛って出れないようにしたのがしめ縄の始まりだと初級研修会にて教えられる。

神道においては「そこが神聖な場所であることを示すもの」*1

日本書紀によると、素戔鳴尊(すさのおのみこと)の狼藉に怒った天照大神が天石窟(あめのいわや)に閉じこもり、出てきていただくために天鈿女命(あめのうずめのみこと)が踊ったりなんだりしました。
天照大神が外の様子をうかがったところを手力雄神(たじからおのかみ)が手を取り引き出し、中臣神と忌部神がしめなわを石窟に張り渡し「再びお戻りになりませんように」と申し上げました*2

真光では「天石窟から出ないように」、神道では天石窟から出てきた天照大神が「戻らないように」ですのでまったく逆です。

*1:

P132

*2:

神社検定公式テキスト10神話のおへそ「日本書紀」編

神社検定公式テキスト10神話のおへそ「日本書紀」編

P101-102

不幸と感謝

最近は昔の嫌なことばかり思い出します。
前職での理不尽ないじめのことや学生時代の友達のもめごとなど、あれやこれやと古~い記憶が次々と蘇ります。

なんだか精神状態がよくありません。
真光のせいかなぁ、体調の問題かなと悩みつつ神棚を拝んで報告しました。

ほんの数秒後にビビっと答えがきました。

今思い出すのは10年以上昔のことばかり。逆に言うとここ数年は大した不幸がないのです。毎日平穏無事に過ごしていられるとはなんとありがたいことでしょう。真光はこんなに大切なことを私に教えてくれました。だんだん素で真光に感謝ができるようになってきましたよ!

確かに去年は山に殺されかけましたが、「しょうがないな。勘が鋭くなったしおかげで真光をやめられていないのにも気づいたし、まあいっか」と思いました。急病になったのもいろいろ学びがありましたし。
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弱ると真光がつけ込んでくるのですが、最終的に私は勝ちますし、苦労したことからは学びが得られています。

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真光に対しては「面倒くさいな」とは思いますが、怒りや恨みはありません。

大変なことがあっても、心の傷にならないと言えばよいのでしょうか。思い出しても悲しくなったりつらくなったり怒りが沸いたりしませんね。死にかけたのに変な話です。

真光は親戚のおじさんみたいなものです。
顔を合わせると取りあえず説教しますけど、最後にお小遣いくれるタイプです。