真光やめたら幸せになりました

真光やめるほどじゃないけど、ちょっと疲れたな。そんなときは一息つきましょう。無理にやめなくてもいいんですよ。

加湿器の断末魔

粗大ゴミ

掃除をしていたら、完全に存在を忘れていたものが奥から出てきました。
妹から押しつけられた加湿器です。

今では吹き出す蒸気が熱くないタイプが主流ですね。これは妹が先輩からもらい受けた古いものなので、蒸気が熱くなるタイプ。子供が触ると危ないから使わなくなったのです。
古いせいか業務用かと思うくらいに大きなもので、捨てるのにも処分費用がかかるので私に押しつけました。

一ミリもほしくなかったのに有無を言わさぬ雰囲気に負け、惨めな気持ちで持って帰ったことを思い出しました。見ると不愉快な気分になりますし、処分の面倒くささでとりあえずクローゼットに押し込めていたのでした。

それから何年もそいつは押入の奥で息を潜めていたのです。気持ち悪いですね。

気色が悪いのですぐ家の外に出そうかと思いましたが、うしおさんが「変に動かすとよくない。気づいたことに気づかれる」というので、回収業者が引き取りに来る日までそのままにしておくことになりました。

回収日の前日、加湿器をクローゼットから外に出すと、黒いオーラがプーンと漂います。本体は白いのですが、なんだか黒く見えます。真光信者の顔のように黒いのです。
家の前に出しておきましたが妙に存在感があります。セリフをつけるなら「チッ、気づいたか」でしょう。

この加湿器、別に道場で使っていたというわけではなく、妹が使っていただけです。たかがそれだけなのにずいぶん邪悪な感じがしますね。
これが真光とのアンテナの中継地点の役割を果たしていたようです。何を言っているんだと思われるでしょうが、そういうものなのです。

回収完了

無事回収されて一安心。しかしそれからなんだか額がむずむずします。
特に真光のイベントもなく、母や妹にも特に動きがないので思い当たるふしがありません。これが数日続きました。

やたらと暑くて体調を崩しました。うしおさんも体調が悪くなりました。
そして寝る前にとても悲しい気持ちになりました。
「どうして悲しいの?」
「今日が終わるのが悲しい」
「日曜の夜なら分かるけど、今日は平日だよ? 何もないでしょ」
「あれ? 変だなあ」

インスピレーション

違和感を感じてうしおさんの霊感タイムが始まります。

「加湿器が処分されたくなくてもがいているんじゃないかな? 回収に出されたくない感じがしたし。
加湿器があがいたから額がむずむずしたんでしょう。回収してから何日か経って、処分されそうになったから突然悲しくなった。加湿器の念波が飛んできてtenさんがキャッチしたんだろうね」

翌日からは何事もなかったようにすっきりとしました。

「加湿器が処分されたのですっきりして心が明るくなったんだよ。
あのパンダの話は意味がある。パンダと同じように処分されたくなくてもがいたんだよ」
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「体調が悪かったのもそのせいかもしれない。異様に暑がっていたよね?」
「熱が出るから」と押しつけられた加湿器でした。

うしおさんの体調が悪くなったのはとばっちりだそうです。うしおさんの方が霊感が強いので敏感なのでしょう。

ずっと我が家で潜伏していた真光の罠。
お古をもらっただけでこんなに悪影響があるとは誰が予想するでしょう。

真光と直接関係のないものをもらっただけでこの騒ぎ。ノリゴト集などの教典、真光誌はさっさと捨てた方がいいですよ。

真光の元ネタは神道:ハラヒキヨメと祓え

真光ではハラヒキヨメやオオハラヒ祭などとありますね

神道では禊祓(みそぎはらえ)

教科書にはありませんでしたが、神様にしてもらうのがハラエでするのがハライのようです。

祓えに使うのは大麻(おおぬさ)や塩湯(えんとう)。塩湯は文字通りですが大麻というのは何でしょう。
幣(ぬさ)から説明しましょう。神様に祈るときや罪を祓うときに神様に差し出すものが幣です。大麻は美しくたたえた呼び方です。
幣には木綿(ゆう)や麻(あさ)、紙を切った紙垂(しで)などがあります。榊に紙垂をつけたものや、六角か八角の白木の棒に紙垂をつけたものが大麻です。榊の葉先に塩湯を浸して参列者の頭上に降ります。これらを参列者の頭の上で左右に振ります。

イザナギノミコトが黄泉の国から帰ってきて心身についた穢れを祓うために阿波岐原で禊祓をした神話が元になっています。身につけていたものを脱ぎ払うことによる祓え(大麻)と海水に身を浸す禊(塩湯)です*1

本来の禊祓とはこういうものを指します。
真光式の不幸と苦しみで罪を消すという考え方とは大きくかけ離れています。
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雷鳴とともに届いた手紙

まだ真光で消耗してるの?(イケハヤ感)

前回はこちら。
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神社にお礼状を送ってから数日後のことです。正直返事はあまり期待していませんでした。
夕方、家に着く直前に何故か「お返事がきた!」と思い、郵便受けを確認したら空っぽで「なんだあ」とがっかりしました。

雷鳴

その夜は珍しく雷が鳴り響いていました。
翌日は職場のエアコンが古いせいか壊れてしまい、暑さでぐったりしました。暑くていらいらするせいかトラブルも起きました。
嫌な気分で過ごしていましたが、その日はうしおさんが家にいて「神社からお手紙が来ているよ」とメールしてくれました。手紙のおかげか部屋が清らかなオーラになったそうです。

うしおさんにその日の出来事を愚痴ると、「また返事が届くのを妨害したのかもね」と言いました。行きはともかく返信まで念入りに嫌がるとは。
みなさんも是非神仏にご加護をいただいたらお寺や神社にお礼状を送りましょう。真光が本当に嫌がることは批判より感謝ですよ。恨み言は喜ぶだけです。

開封の儀

帰宅してさっそく封を切ります。ずいぶんと教養高い日本語で読むのに頭を使いました。辞書や漢字辞典を引いても意味の分からない単語まであるのです。毛筆でしたためられ、書き慣れている印象を受けました。歴史書と神話のおへそ日本書紀は日本語が難しいのですが、普段から古いものに親しんでる人たちは現代人と語彙がだいぶ違うのですね。

私が送った手紙よりも礼儀正しい文面の返事で恐縮しました。
あまり踏み込んだ話はなく、「神様のおかげがあってよかったですね」という主旨でした。神職ならではの勘で正体をズバリ当ててくれたりするのかな? と期待してる部分があったんですよね。

神道は答えを教えてくれないのです。この返事もおみくじと同じように自分で意味を読みとらないといけません。正解を当てるのではなく考えることが大事なのです。
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神様からご加護をいただいてこちらが感謝してるのに、何故か「ご祭神様も喜んでるでしょう」とありました。
思うに、願掛けのときは真剣にお参りする人はいくらでもいると思うのですが、きちんとお礼の奉告(報告)をする人はあまりいないのではないでしょうか? 借金の申し込みみたいなものですね。

人間すぐに慣れてありがたみを感じなくなるものです。特別にお願い事をして叶ったときですら、きちんとお礼を言いません。「人間は秒速でつけあがる」ものなのです*1

雷は神鳴りとも言います。
うしおさんが「返事が届くから一緒に雷が来たんじゃないかな? あの雷は怒ってる感じがしなかったし、本当にご祭神様がお喜びだったんじゃないかな」と言っていました。

お礼のおまけ

手紙が届いた日には、神様の影響を感じさせることがありました。
成り行きで車の点検をしたところ不具合が見つかり、気づかなければ大事になるかもしれないところでした。
普段はスーパーに並ばない食材がありました。毎年初物をその神様にお供えしているもので、地元では有名です。

土地の歴史や神話や御利益を把握しているからこそ「あの神様のおかげだな」と気づくことができました。

最近気づきましたが、神様はお礼を言うと何故かおまけをくれます。もちろんおまけを期待してお礼参りに行ったわけではありませんので、無欲なのがよかったのかもしれません。
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逆に言うと今まではおかげを頂いてもきちんとお礼を言ってなかったということですね。

今手元にあるものに感謝していますか?
当たり前だと思いこんでいるものは、本当は当たり前ではないのです。

真光の元ネタは神道:柏手

柏手

真光では柏手を打ちます。
仏教では手を合わせ、神道では柏手を打ちます。ですから元ネタは神道なのです。

真光式は二拝三拍手一拝でしたっけ? 昔すぎて記憶が曖昧です。
一般的な神社は二拝二拍手一拝が標準です。これは明治時代から一般化しました。

もちろん全部が同じというわけではありません。他の形式で有名なのは伊勢神宮の八度拝八開手*1と、出雲大社の二拝四拍手一拝ですね。

真光のときには手を合わせた状態で二拝していましたが、正しい作法は手は横か前で腰を90度に折ります。いわゆる普通の礼でよかったんですね。ずっと真光式の二拝二拍手で神棚を拝んでいました。

細かい真光の罠があるものです。

*1:座った位置と立った位置で拝を行う起拝を4回、続けて座して8度拍手をし、最後に軽く手を一つ打ち、次に座したまま1拝、これ2度繰り返す。 神社のいろはP38より

神社検定公式テキスト1『神社のいろは』

神社検定公式テキスト1『神社のいろは』

山、愛の試練 後編

前回はこちら
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そこは原始的な空間でした。
木々に囲まれた道を下り、伝説の残る岩や、その手前に置かれた石仏を拝みます。
大きな岩を見てうしおさんが何かを感じ取ります。「ここは人の気配があるね。誰か住んでいたのかな。
神殿かな? 何か儀式をしたり拝んでいたのかもしれない」
毎回思いますが誰に確認を取ればいいんでしょうね。

とおりゃんせ

うしおさんが急に道を外れました。いえ、道自体はちゃんとあるのです。メインの通りから横道に入っていきました。
その道には木が倒れていました。それほど高い位置ではなく、乗り越えるのは難しくありませんが一瞬迷いがありました。うしおさんはその奥にある山肌にあいた四角い穴を見ています。
その少し手前に大きな岩があり、下に石仏がありました。つまりここは観光スポットということです。そして仏様があるということはきちんと祀られているということです。
「じゃあ、大丈夫だろう」と思いましたが目の前の倒木が気になります。
何かヤバイ感じがあります。うしおさんは悪い予感がしながらも自分では止められないようです。行こうか、行くまいか迷いました。
二人で岩の奥にある穴を見ました。

ああ、呼んでいる。
魅惑的で、でもなんだかぐるぐるとしています。

倒れた木をじっと眺めると、うしおさんが力強いねと言いました。
横たわる木の肌に生えた苔を見て、「倒れてからどのくらいの間、このままになっているのだろう」と考えました。ここは観光地なのにどうしてとおせんぼのままなんだろう? まるで立入禁止と言っているようではありませんか。
倒木がなければ、二人ともあの穴の前に行っていたでしょう。

うしおさんが、「穴がぼんやりしてよく見えないから」と近くに行きたがります。
「葉っぱがたくさん落ちてきて見えない」
今は春ですから落ち葉なんか降ってきません。また何か見えないはずのものを見ているのです。
うしおさんの様子がおかしいことに気づきました。
今度は「穴の前に注連縄が張ってある」とうしおさんは言い張りました。
注連縄は神道のシンボルですから、それがあればうしおさんが来ると思ったのでしょうね。
「そんなものないよ。注連縄があるなら紙垂(しで)が見えるはずだよ」
私もよく見ようとしました。さっきまではっきり見えていたはずなのに、穴のあたりだけ視界がぼやけて見えないものだからよけいに気になりはじめました。ぼんやりするのは以前の山の神事件を彷彿とさせます。

そしてうしおさんが決定的な一言を口にしました。
「ここで待ってて、見てくるから」
うしおさんが私を置いていこうとしている。疑いが確信に変わりました。頭の中で非常事態を告げる赤いランプが回転しサイレンが鳴ります。
「待って、ここは境目だよ!」
とうしおさんの腕を引き留めました。
「じゃあ越えないから」
と穴を眺めながら道も何もない山肌に足を踏み入れました。ケガをするぞ思って呼び戻しました。
「この人はもう完全にアカン」と思いましたが、そこから離れたら通常営業に戻りました。

名残惜しそうにうしおさんはその穴の写真を撮りました。後で見返してみたら別段ただの穴で何も危険な感じはしませんでした。うしおさんは「あのとき見たのと違うものが写っている」と言っていました。

後でパンフレットを確認したらきちんと観光地として載っている場所でした。なのに私たち二人しかいなくて、他の人は後ろを通り過ぎていくだけでした。誰も私たちのいるところに来ないし、まるで別の空間にいるかのようでした。

境目のお地蔵さん

道を歩いて行くとさっきのお寺の近くまできており、子供の背丈くらいのお地蔵さんが立っていました。まるで生きている人間がそこにいるかのような存在感があります。なんだか私に用事があるような雰囲気で、じいっと見られている感じがしました。セリフをつけるなら「今の、な! な!」というところでしょうか。
うしおさんが言うには「このお地蔵さんが境目になっている」とのことでした。助けてくださったに違いないと二人で手を合わせました。

バス停までの帰り道で陽気な外国人が片手を上げて「あと5分でバスが出るよ」と教えてくれましたが、どう考えても5分で戻れない距離でした。
体力のない私がこんなに大変な道のりを歩いてもほとんど疲れはなく、むしろ肩こりや腰痛が治っていました。

麓まで戻るとカミ感は薄れて人間界に帰ってきた感じがしました。野犬が集まり始め、ゴミ箱に顔を突っ込んで漁りだしました。
別の神社に行く予定でしたが閉門時間をとっくに過ぎていて参拝ができず、残念でした。
穴の件は交通事故みたいなもので、山自体は大変すばらしかったです。
うしおさんは特に山を下りることを残念がっていました。

眠れない

その夜は疲れてすぐ寝るだろうと思いきや、解決できない情報で頭がパンクしました。答えが絶対に出ないのですが、気になると他のことが手に着きません。
「あのとき穴の中の何かと目があった」とうしおさん。
何それ普通に怖い。
「何が見えたの?」
「お地蔵さん」
「それは穴の手前にあった岩の下だよ。穴の前には何もないよ」

うしおさんが山に呼ばれるのは「一生に一度のまれなできごと」ではなく「定期的に起こること」と思わないと駄目なんだなと思いました。
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この世のものではないので解決しません。
倒木のおかけで向こう側には行きませんでしたが、うしおさんがもっと怖いことを言い出しました。
「むしろ山肌の斜面に誘い出す方が目的だったかもしれない。呼ばれると言っても五体満足で生きている必要はないし、魂だけ吸えばいいでしょ?」
向こう側に行っていたら、根の堅州国(かたすくに)にでも行っていたのでしょうか。

考えても分かりません。
あれが何なのかさっぱり分かりません。神様のことは分からないのです。私は知るべき立場にはないし、知ってはならないのです。
でも何のためなのか、大きな流れは分かります。二人の絆をより強くするためです。
縁結びの神様にお礼参りをしたところからこれは始まったのです。あのとき手をつないでいたから。

うしおさんは生涯のパートナー。
持論ですが「この人だ」と決める基準は「一緒に地獄に堕ちても後悔しない」だと思っています。
しかしこのときばかりは考え込んでしまいました。「うしおさんがあの穴に入ってしまったら、自分は迷いなく後を追うことができるだろうか?」と。
ついていく勇気はありません。自分の気持ちに嘘があることが悲しくなってしまいました。
そのことをうしおさんに話すと「それはちょっと悩むところが違う。論点がズレていると思う」と言いました。
「tenさんが『あんなところには行きたくない』と思うから守れるんだよ。『この世にいたい』って思ってるから自分もとどまれる。だからそれでいいんだよ。それに一緒にあの穴に入ったからといって一緒にいられるとは限らないよ」
と諭されました。
雨が急に降ったから、きっと悪い考えが出てきたのでしょう。すぐに止んで過ぎ去っていきました。

しばらくはこのことでうんうんと悩んで過ごしました。

翌日とりあえず氏神様に参拝するつもりでしたが、うしおさんの提案で別の神社に行くことにしました。何度か行ったことがありましたが看板でご祭神を確認してびっくり。昨日参拝し損ねた神社と同じ神様なのです。氏神様とここのご祭神もご縁があり、不思議なもんだな思いました。

人間にはどうしようもない領域のことでしたので、神様に報告したら後はお任せです。参拝が終わったらすっきりしました。

翌日はうしおさんと帰省した友達が遊びに行く予定でした。
自分がいなくてもこの人は山にさらわれたりしないだろうかと心配になって泣きつきました。久しぶりの旧友との交流なので快く送り出したいのは山々ですが、うしおさんが消えてしまう恐怖が激しくて取り乱しました。

行き先がある程度決まっていたので山に登る必要があるかは地図で確認して、山に行かないようにしつこく言いました。神棚に祈り、特に交通安全の神様には道中の無事をお願いしました。

うしおさんの発案で、私のご朱印帳もうしおさんが持ち歩くことにしました。どういうルールなのかは分かりません。
当日は、友人たちとは一部別れて行動したので友人が山に行く間は別のところにいたようです。小さな祠があり、そんなところにも例の交通安全の神様が祭られていました。
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山、愛の試練 前編

神の山に行こう

橋を渡って清流を越えると空気が変わり、まさに神の山です。
人が多すぎて入山するのに時間がかかるので、川のせせらぎを楽しんでから麓の喫茶店でゆっくりしていました。お店は満杯で、外国人客も多く言葉が通じなくてトラブルが起きていましたが、店員さんは嫌な顔の一つもせずにきびきびと働いていました。

屋外のテラス席に座り、暑かったのでかき氷を食べていました。急に日が陰って冷たい風が吹き、空気が変わったのです。
なんだか神様がそろそろ来いとおっしゃってる気がしました。うしおさんも「とても呼ばれている気がする」と言っていました。

入山

麓から山頂手前まではバスで移動します。高度が上がるごとに感激がこみ上げてきました。やっと来れたなあ。山肌から大きな岩が顔を出しています。原始的な風景に感じました。きっと古代の人も同じ光景を見ていたのでしょう。
山頂近くの駐車場で降りると予想を超える人だかりでした。

ある程度は道が舗装されていますが、ピクニックではなくなかなかの登山です。時に狭くなり段差も激しい道を転ばないように歩いていきます。運動不足がたたって思った以上にキツかったです。

早速バテてぜいぜい言っていたら帰り道の外国人男性から「もう少しもう少し、がんばって!」と日本語で声をかけられました。
神様からのお言葉のような気がして、この後から急に持ち直しました。足下ばかり見ていたので顔も分かりませんでしたが、すれ違いの赤の他人が親切にしてくださることもあるものですね。

岩の上にときどき小石が積んでありました。人為的なものであることは一目で分かります。登山が好きな方はご存じでしょうが「ケルン」という積石だそうです。道しるべや登頂記念、墓標として置くのだそうです。知らなかったので賽の河原かと思いました。

お寺でご朱印

山頂の手前にはお寺があって一休み。参拝して、お線香を立てたりご朱印をいただいたりしました。おまけつきのおみくじがあり、「私に必要なものをください」と念じて引いたところ健康の御利益があるものが出てきました。
あたりを見回す余裕も出てきました。意外にもおしゃれな若い女性がたくさんいます。「大変な登山道なのになんでだろう?」と思ったら恋愛の御利益があるそうです。
おそらく先日縁結びの神様にお礼参りしたので、おまけの御利益でここに来ることになったのだと思います。
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若い女性たちは彼氏がほしいなどと話していました。老夫婦や若いカップルも多く、絵に描いたようなイチャイチャぶりで熱かったです。
パンフレットで確認すると、観光地のうちのいくつかの場所は閉鎖されて行けなくなっているようでした。七不思議の半分が非公開。

ここはパワースポットと言うよりは霊場という感触がありました。観光スポットになってる場所には小さな石仏が各所各所に置かれていました。山と言えば修験道ですかねえ。

いざ山頂へ

山頂は晴れて遠くの小島が見えました。文句なしのすばらしい絶景です。
さて一番のお目当てはここの巨石群、磐座(いわくら)。神様が降りてきて寄りつく岩のことです。大きいものだと物置ぐらいの大きさがあります。
観光パンフレットには「自然に配置された岩」と書いてありましたがそうは思えませんでした。

山頂から下るときに、一つ下の段にある大岩のてっぺんが平らになっており、小銭がたくさん置かれていました。うしおさんもお賽銭を投げようとしましたが私は止めました。
「ご神体かもしれないのに小銭を投げつけるのはどうだろう? それにあんなとこにお金があっても、危ないからお寺の人は取りに行けないよね」
うしおさんはこのときからあまり冷静ではなかったのかもしれません。ちなみにうしおさんによるとその岩は別段ご神体というわけではありません。単に投げやすいし他に賽銭を入れる場所もないからああなっているだけだったのでしょう。

行きとは別の道で山頂から下りました。
うしおさんがとある岩の前で立ち止まり、積石を撮影しようとしたので腕を出してやめさせました。私の脳裏に浮かんだのは寺にあった「撮影禁止」の看板です。賽の河原の積石など撮るものではないとそのときは思いました。

後日うしおさんに聞くと、「あまり悪い感じはしなかった。石がありがたいから撮ろうとした。石の方が撮って欲しがった。視点を変えれば分かることもある」と言っていました。
ただ、後から思えばこのとき、何かのきっかけを作ろうとしていたように思います。このことがあったから私は悪いことが起こらないように気にし始めたのかもしれません。
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謎の白い粉

真光は神社が嫌い

神社やお寺に行こうとすると強く邪魔が入るときがあります。
その翌日は磐座(いわくら)のある山に行く予定でした。磐座というのは神様がよりつく岩石の依代(よりしろ)のことです*1

その夜にご朱印帳をバッグに入れるつもりでしたが、「入れるのを忘れるかもしれないから」と朝の内に入れておきました。

ホームセンターで買い物を済ませ、私の急な思いつきで神社に寄りました。
このときにおみくじを引き、なにについて聞いたのかは忘れましたが「なんかふんわりしたお返事だなあ」と思ってのを覚えています。神社検定の勉強中でしたが勉学の欄は「自己への甘えを捨てよ」と大変厳しいお言葉が書いてありました。短いだけにマイルドな表現になりません。

縁起の悪い何か

夕方、食事に出かけました。
久しぶりに飲食店の立ち並ぶ通りにを歩き、思考力が落ちていたのか無駄に動き回って疲れてしまいました。
普段なら車が入ってこないところに不審な県外ナンバーの車がどんどん進入してきてどこかに吸い込まれていきました。道が分からないのか切り返してまた出て行く車もありました。
ある車は後部座席に大量の衣類が積まれていて、異様でした。ぐしゃぐしゃっと詰め込まれて、清潔感はなく他人の古着のようです。
なんだかとてもまがまがしくて、悪いものを見てしまった感じがしました。運転している男性はうつろな目をしていました。

おそらく破産者が長期休暇を使って逃げてきたのでしょう。マンガで得た知識ですが、金貸しは「連休前には注意しろ」と教えられるそうです。

ともあれおいしいごはんを食べて落ち着きました。お店の方もよい人でした。

あやしい白い粉

悪いものを見てうしおさんも弱っていたのか買い物するときにお釣りをぶちまけてしまいましたが、店員さんは感じよく応対してくれました。
駐車場に戻ると車の前方が少しすれて白い粉がついていました。見た感じでは何か柔らかいものに当たったようで、わずかに塗装がはげていました。なんとも言えない嫌ぁ~な感じがします。

昼間にホームセンターに行ったので、誰かが石灰の袋でもぶつけたのかもしれません。この白い粉から何か悪意を感じるのです。その石灰は何に使うのかな? といろいろ考えてしまいました。
うしおさんは車を洗うかどうか決めかねていましたが、私は「嫌な感じがするならした方がいい」と断言しました。こういうときは直感に従う方がよいのです。

車がきれいになると祓われた感じで気持ちよくなりました。
白い粉を触ったのが気持ち悪いので、家に帰ってから清め塩をして流し、念のためにすぐにお風呂の用意をして、清め塩を体にまぶして流しました。
清らか清らか。

うしおさんとさきほどのできごとをひとしきり語り合いました。
うしおさんは昼間にホームセンターで買った家具の組立をしていて、よろけた表紙に神棚にぶつかってしまい、お神札(ふだ)が横に傾いたのを不吉に感じたそうです。
私はそのとき勉強のために日本書紀を読み上げていました。うしおさんはかなりの音を立てたようですが、夢中だった私はまったく気づきませんでした。
うしおさんによると「神話を読み上げることで祓っていたのではないか」とのことです。

今日ひいたおみくじを見てみると「清め祈って祓う」と書いてありました。ほとんど予言です。何故早い内からご朱印帳をバッグに入れておいたのか。どうして急に氏神様に参拝しようと思い立ったのか。洗車するべきだと直感に従ったのか。

真光の罠

そして明日はうしおさんの車で長距離運転をします。洗車もせずに不吉な汚れをつけたまま、サンデードライバーだらけの道路を長距離運転すればどうなっていたことやら。

いつも先回りでお守りいただいておりますので私たちは無事です。

明日は見るからにすごそうな神の山に行くので、真光が邪魔をしにきたのでしょう。こんなに抵抗されるとは逆に期待ができます。

さすがにうしおさんもぐったりしていました。しばらく「怖いなあ、気持ち悪いなあ」と二人で言い合っていましたが、こうやって思い悩むのもまた真光の嫌がらせです。

なかなかのできごとでしたので混乱しましたが、うしおさんの言うとおり記録だけつけて考えるのは先送りにしました。

今時の天気予報はかなり正確ですよね。
雨は降らない予報だったのにざあっと降りました通り雨は祓われたものが雨になったように思えました。

*1:

神社検定公式テキスト1『神社のいろは』

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