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真光やめたら幸せになりました

真光抜けて十数年経ってようやく洗脳が解けました。

もう神社に行かないで

地元の氏神様だけでなく、最近は出かけると神社やお寺や教会やモスクに行くようにしています。

節分の次の日の夜、変な夢を見ました。
うしおさんが突然「神社に行くのはもうやめよう。もう頼らないようにしよう」と諭すのです。

悲しくなったところで目を覚ましました。
雨がざあざあと降っていました。
変な夢だなと思ってうしおさんに聞いてみました。

「それは真光が『もう神社に行かないでくれ』って言ってるんだよ。tenさんは素直だから、大好きなうしおに化ければ言うことを聞くだろうと思ったんだろうね」

真光は、人々が神社に行くのを嫌がるのだということに確証が取れました。

そしてうしおに化けるという新たな変化球が飛んできたわけですが、真光は私を怒らせることにも成功しました。
真光はこうやって人を激怒させるようなことをするけど、怒りや憎しみにとらわれてしまったらこちらの負けでございます。

黒い車にあおられた

近場に出かけるときにも、行き先の神社にお参りするようにしています。
ネットで事前に調べた神社に行くと交通安全の神様と書いてありました。交通安全のお守りはどこでも授けてくださいますし、車のお祓いもしてくれますが、「交通安全の神」とうたっている神社は初めてでした。

清浄な空気に癒され、茅か何かでできた大きな輪っかもくぐりました。神主さんにお伊勢参りしたことを話すと「いいですねえ」とうらやましそうに言われました。

ひとしきり遊び終わった帰り道、五時に閉まるお店で買い物をして帰路に就きました。何度も通って慣れた山道に太陽は傾き始めて薄暗くなりはじめています。
逢魔時だなあと思いました。昼と夜の境目が混じり合う不安定な時間帯です。

信号のない一本道が何キロも続いており、車が多い道ではありませんが、飛ばす人はときどきいます。
うしおさんが、「神様がいっぱい祀られているねえ」と言いました。

うしおさんは私を乗せて運転するときには必ず安全運転です。元々スピードを出す人ではないのでよく車間を詰めて煽られるタイプ。
そんなうしおさんが妙~に速度を出してびゅんびゅんと走るのです。いつもよりは遅い時間の出立でしたが日暮れにまだ早く、急いで帰るような用事もありません。

そして唐突にブレーキを踏んで、やや乱暴に道の横の駐車場に入りました。
山道はときどき道の幅が広くなっており、止まって道を譲りやすいようにできています。ここはきちんと縁石の「境目」があって明確に設けられた駐車場でした。

煽られたのだろうと思いながら、私はうしおさんに「どうしたの?」と聞きました。
「後ろから黒い車がすごいスピードで煽ってくるからよけた」
と予想通りの答えが返ってきました。
「……ぜんぜん追い抜いていかないよ?」
私たちの前方には車が一台もいません。あれっと振り返ると、黒い車なんかありませんでした。はるか後ろに違う色の車が二三台見えます。

見落とすことはあり得ません。

一本道で、私のいる助手席側は山肌で、右手は田んぼばかりで民家はほとんどなく、視界は開けています。隠れられるところなんかどこにもあるはずがないのです。

それにうしおさんはかなりのスピードを出していました。つまりそれくらい車間を詰められていたはずです。そこで急にブレーキを踏んだのならぶつかってるはずです。

「もう安全だよ。通り過ぎたと思う」
釈然としないまま再び走り出しました。

寝る前に思い出し、改めて「あれはおかしかったよね」と振り返りました。
うしおさんとしては追いかけられて、必死でスピードを出して逃げ切ろうとしていた感覚があったそうです。

夕暮れになる時間じゃないのに「空が真っ赤だった」とうしおさんは言います。私が見たのは白んだ青灰色の空であって、赤みなんかありませんでした。夕焼けがでるのは六時過ぎのはずです。

自分で運転するときは、詰められると後続車の敵意というかイライラ感が伝わるときがあるのですが、あのときは感じませんでした。助手席だったのでここは明確にどうこう言えません。

「なんか異次元とうっかり出会った感じがする。異世界に迷い込む人の話の逆で、別の世界の人がこちらに入り込んで出会ってしまったような。あれは危険じゃないよ」
うしおさんの「危険じゃない」の定義はちょっと普通の意味とは違うんですよね。前みたいに「殺意はあるが(人の命を奪うことを悪いことだという認識がないので)敵意はない」的な感じだろうなと思いました。

「車の気配はあったけど運転手の気配はなかった。フロントガラスまで真っ黒なフルスモーク貼ってて中が見えなかった」
「フロントにそんなの貼らないよ。黒い車って霊柩車みたいなやつ?」
と聞くとそうではないと否定しました。

人間の気配がしないお話。
うしおさんは当時のことがいまいちはっきりと思い出せず、最初は「危険じゃないよ」と言っていましたが話していくうちに「追われていたから逃げた」とやっぱりアレやばいじゃんという流れになりました。

山には何かいます。


そして唐突に私は、何故その日の朝にお参りした神社が交通安全の神様だったのか理解しました。前もって神様が行かせてくださったのです。

出たよ! 勝手に発動するオートガード!

「多分ああいうので事故る人がいるんだよ。たまにあるでしょ? 見通しのいい道路なのになんてこんなところでっていう道で事故ったり、いつもは安全運転な人が猛スピードを出したりしてさ」

怖くなって眠れなくなり、何度か神棚に祈った後にうしおさんの助言でご朱印帳を枕元に置くことにしました。なんとなく今日いただいたご朱印を開いて見ると、安心しました。

御朱印帳を開けた瞬間にふわっと空気が変わって清浄になったよ。ここは安全。車内と同じ環境を再現したから、きっと安心して眠れるよ」
氏神様の肌守りを握りしめてやっと眠りに落ちました。

みなさんもなんだか知らないうちに、危険にニアミスしているかもしれません。そして気づくこともなく助けられていることでしょう。
神仏やご先祖様に感謝しましょう。意識することはなくても守ってくださっています。

豆まきで真光祓い

真光は豆まきが嫌いです。

unlearn-mahikari.hateblo.jp


というわけで今年はきちんと豆まきをしました。最後にやったのは何年前か思い出せません。

窓から外に向かって「鬼は外!」のついでに「真光は外!」と叫ぶのでした。
ちなみに豆をまいた後は後ろを振り返ってはいけないそうです。

豆まきは神事だと思ってたのですが毘沙門天が由来だったのですね*1。寺でよくまいてますしね。

なんだか終わった後はすっきりしますね。
うしおさんの体調もが少々悪くなって、「真光が苦しんでる感じがする」と言っていました。
豆まきの効果を実感するのでした。

伊勢神宮に行こう! 妨害開始

三代目の顔にしまりがないせいか、母の洗脳が薄くなってきたように感じます。
人望がなくて収入がダダ下がりするものだから三代目は最近焦ってますね。
節分ですし、産経に記事風の広告を出してキャンペーン中です。

真光は伊勢神宮がかなり嫌いです。

序列のない神道ですが、一応天照大神をまつる伊勢神宮が総氏神みたいな感じです。

伊勢神宮に行こうと決めたのはよいのですが、真光からの攻撃がすごいです。


私は職場で欠員が出てからは大変忙しく、体調を崩すことが増えてきました。その隙を彼らは逃しませんねえ。しばらく真光からの攻撃が途絶えていたのですっかり油断していました。

うしおさんが「真光はこのブログを監視している」と言い出しました。私はまったく思いつかなかったので驚きました。

突然うしおさんが苦しみ始めました。
「異様なほどにひどい耳鳴りがする」
耳鳴りというレベルではなく「バキーっとした痛みで病気かと思った」くらいです。

攻撃しているのが誰なのかは検討がつきます。監視を悟られたことに気づいたのです。だからうしおさんを攻撃した。

説明が難しいのですが、攻撃した本人は何も意識していません。監視しているのはブログであって、別段私の自宅に盗聴器や変な電波を出して体調不良にさせるような機械がしかけられているわけではありません。
生き霊というか念が見張ってるんですね。でもそれをやってる本人は知らないうちに無意識で攻撃してくるのです。
目に見えない、認識できない世界なのでこのように変な説明になります。
今日も我が家は霊界大戦かな?

このときは清め塩ですーっと楽になりました。真光と対抗するには必須アイテムですよ。
おそろしく強い念です。うしおさんとしては「カルトの中でもかなり下の方、最悪で邪念の強いカルト」だと言います。

竹内文書の念が強いから、それをパクった真光も強いのかな?
元ネタもねじ曲がっていますが、それを更にねじ曲げているのでえらいことになっています。
海水に砂糖を入れても真水にはなりませんからね。

母の洗脳が解けかけているのであせって攻撃してきたんですよね。
母は入信歴も長く、何人か入信させたことがあります。こういう人が抜けていくのは真光にとって痛手なはずです。

真光が豆まきをしない本当の理由

真光が特に嫌いな神事が豆まきです。
記憶があやふやですが、こんなエピソードだったと思います。

本来は真光の神が統治し、神の台座に座っていました。しかし人間に物質文明を発展させるために他の神様に台座を明け渡すことになりました。

台座を降りるときに「いつ戻れるか」と聞いたら他の神様から「炒り豆に花が咲くころ」と豆を投げつけられました。
「炒り豆には花も咲かぬ」とはありえないことを意味するので「二度とない」という返事です。

そういういきさつで真光信者は豆まきをしません*1

うしおさんにこの話をしたら以下のような霊感コメントをくれました。

「神様というのは、『物質文明を発展させる』といった人間的な欲望はない。このことからこのお話は神様ではなく人間、つまり教祖が考えた話だということが解る。要するに豆を投げつけられたのは教祖」
このエピソードは「正しく神様を崇拝しない私利私欲の光玉は台座を追われた」というお話なのです。

救世教の西荻窪支部長にまでなったのに、霊動に興味を持ち過ぎだと注意され、セクハラで罷免されましたから、台座=救世教での地位でだいたい合ってるんですよね。

本来ならば豆は芽を出し、花が咲き、実を結ぶものです。ここでは豆は神様を意味します。

炒り豆とは「欲望という火を通してしまって花が咲かなくなった」ものです。この台座を降りるくだりは教祖が「金儲けという欲を信仰に持ち込んだ結果、非難されたことを表している」とうしおさんは言います。
そういえば真光は火の神を自称していますから話が通ります。

光玉は救世教の方針に反して霊動が起きやすい手かざしを続けていました*2*3

光玉はなぜ霊動に興味を持ったかというと、単なるオカルトだけではなく金儲けに使えると踏んだからです。興した真光では霊動の激しさを売りにしていました。
unlearn-mahikari.hateblo.jp

だから救世教の方針にも従わなかった。信仰心より商売を選ぶあたりがビジネスマン光玉です。

うしおさんには教祖の過去や火の神について説明していないのですが、何故か言い当てました。
「炒り豆ですべて解った。所詮は人間の浅はかな知恵でできた教えだからすぐ解る。古代神はわけがわからん」と言っていました。

*1:真光が鬼だからしょうがないね。 unlearn-mahikari.hateblo.jp

*2:☆暴かれた真光 日本語版☆  2017年1月22日閲覧

*3:「眉間に手かざしをすると霊動が起きることは、分派元の世界救世教や大元教でも確認されているが、信者が発狂し自殺したため一切禁止された。しかし、真光系教団ではそのような危険な事を平然と行っている。」 崇教真光 - Yourpediaより引用。2017年1月22日閲覧

お雑煮の真相

真光ではお雑煮が事実上禁止されています。その理由は初級研修で習います。

記憶があやふやですが、真光での設定を説明しましょう。正神(真光の神)が神の台座に座っており、この世を支配していました。しかしその座を副神に明け渡したと説明されます。

正神が引退された後に残された龍体(正神が活動するための体)の眼球に柊の葉を刺した名残だと初級研修会にて教えられる。さらに、副神が正神の龍体を切り刻んで臓物を煮て食べてしまった名残が正月の「雑煮」だとされている*1

この話はいったい何を意味するのでしょうか?

龍体は教祖本人のことでしょう。
岡田光玉は世界救世教に入信後、西荻窪支部長にまでなります。霊的なことに興味を持ちすぎることを注意され、最後はセクハラで解雇されました*2

「台座を追われる下りはこのことを指している。セクハラは口実で、権力闘争に負けたんでしょ」とうしおさんは読み解きました。

「臓物を切り刻んで喰われる」という恨みに満ちた強い表現を使っているところに特徴があります。
人間の悩みに大してバリエーションはありませんので、人間関係に問題があったと推測するのが妥当です。何らかの裏切り行為があったと光玉は感じたのでしょう。いわゆる断腸の思いです。

「腸を切り刻んで食べるようなひどいやつらだ」という印象を与えるためでもあるでしょう。

さて、お雑煮はお正月の風習です。これは本来的な意味では「正しい行為」であり、真光的には「間違ったもの」を象徴しています。
「雑煮になった=正しくなった」

かつての取り巻きが救世教に残ったことを裏切りと感じたのかもしれません。活動するための体ですから、浄霊(手かざしの元ネタ)を奪われたという意味もあるでしょう。

聖書の抽象的な話に史実が含まれていることがあるように、真光の教義にもその歴史があります。そんな風に考えてみるとおもしろいかもしれません。

私の考えを述べましょう。
光玉の教えはそのへんの飲み屋で酔っぱらってるおっさんのノリで、しょうもないダジャレがたくさんあります。
多分、雑煮と臓物程度の思いつきが始まりでしょう。

*1:崇教真光 - Yourpedia 2017年1月18日閲覧。

*2:☆崩壊した真光の基礎☆ 2017年1月18日閲覧。 ■■■ 真光関係者集合!!(8)■■■ 2017年1月18日閲覧。

門松の記述の誤りについてのお詫び

管理人のtenです。
いつも当ブログ「真光やめたら幸せになりました」をお読みいただきありがとうございます。

わたくしは無知ゆえに、門松の竹を水平に切ったものを「真光式」だと決めつけ、「縁起が悪い」「悪意のあるねじ曲げ」という記事を書いてしまいました。

元々の門松は水平に切れている「寸胴」でした。先端を斜めに切るそぎタイプのものは江戸以降とされています*1
今でも地方や業種によっては寸胴タイプの門松を飾ります*2

伝統的に寸胴の門松を飾る皆様に対しての侮辱をしてしまい、大変申し訳ありません。もしかしたら、元から寸胴タイプを飾る人達のことを真光信者だと勘違いしてしまう人が出たかもしれません。
過去記事の記述を改めてお詫びいたします。

今回のことで己の教養のなさだけでなく、調べもせずに決めつけてしまう性格に気づきました。風習や文化はその土地ごとに違うという基本的なことを失念してしまいました。

私がはてなを選んだ理由は、脚注が書きやすいからです。インチキが嫌いなものですから自分はちゃんと根拠を示して行こうと思ってはてなを選択したはずでした。
「真光の毒を抜くのには正しい宗教の知識が必要だ」という記事を書いたのに、自分自身が守れていませんでした。

このような管理人ではございますが、この度のことを教訓によりよい誠実な記事を書いていこうと改めて思いました。
これからもよろしくお願いいたします。

ここまで読んでくださってありがとうございます。